反逆の双眸 7話
市街地を離れると外灯は極端に減り、夜闇が視界の先を遮るようになる――。
郊外に位置する霊園――その敷地内にある自家へと帰る道も当然暗いものであったが、クロスは眠る紫紺の少女を抱えつつも無事に辿り着くことができた。
正門の門扉を通り抜け、住み慣れた家屋へ進むと――玄関のドアの前で歩みを止める。
次いで少女を背負うことで両手が塞がっていた彼は、屋内で待っているだろう同居人に向けて外側から助力を求める声掛けを行う。
「アスタ居るかっ!? 悪いが――、」
途端、その彼の台詞の最中において――自家の内側から激しい足音が急接近してくる。
「クロス、遅いよっ! 何してたの!? もうお腹ペコペコだよ――ッ!!」
玄関のドアが乱暴に開かれると――、黄色の少女が溜まった不満をぶつけた。
「帰りが遅れたことは申し訳ないと思っている――が、此方も思わぬ騒動に巻き込まれていたんだ……」
「――えっ!? それってどういうことなの?」
弁明するクロスの疲労が窺える声色と、その空腹を忘れて驚くアスタの声音。とはいえ彼の方は一先ず、その背中の荷物……いや、逃亡者の少女を適当な場所にて横にしてやるべく家中へと立ち入るのであった。
「あれ……っ、その子――だぁれ?」
最初こそ可愛らしく怒っていたアスタであったが――、クロスに背負われた物体を目にすると、その目を丸くして小首をかしげる。
「――クロスの、知り合いの人……?」
表情豊かな黄色の少女。その紫紺の少女の寝顔を覗き込むと、素朴な疑問を口にする。
対して彼は少し考えると、自分自身も詳細な情報を得ていないことから抽象的に応答せざるを得なかった。
「いや――、先ほど出会ったばかりの人物だ。確か……不審者で、逃亡者で、後は無法者だったかな」
「えぇ――? なぁにそれ♪」
「コイツの詳しい素性は、自分もよく分かっていないんだ」
「ふ~ん、そうなんだぁ……」
少しばかり困惑しつつもアスタは、それ以上詮索する真似はしない。当事者であるクロスでさえ、その突飛な展開に思考が追いついていない状況が、彼の態度から察せられたからである。
そして彼が居間まで進み――眠る少女をソファに横たえると、やっとその重荷を下ろすことができた。
一方のアスタはというと、少女の他にもう一つ彼が所持していた――品物入りの手提げ袋へと手を伸ばし、その中身から食物を探し求める動きを見せていた。
「食べ物の匂いはするのに――、何も入ってない……」
そう落胆する呟きを漏らした彼女は――、分かりやすくその気分を沈ませた表情を見せるのであった……。
レインから借りた白衣を回収した後――改めて、照明により明るい室内にて紫紺の少女を観察すると、やはり彼女がその身に纏う検診衣に妙な違和感を覚える。
〈元素研究所〉からの脱走者――また年少でありながら『背徳なる悪心』に染まる少女。
それらの要素からは――、彼女が抱える凄惨な過去とその〝心の闇〟を推量することができた。
「………………」
それからしばらくの時間が経過しても……、紫紺の少女は昏々と眠り続けた。
またそれ程までに――、彼女の心身の疲労が限界にきていたとも言えるのだろう。
そんな疲弊した少女の寝姿を――傍ではアスタが気遣わしげに見守っていたが、自身の【帯電体質】を懸念し、相手からは一定の距離を置くようにしていた。
そうして静穏となった室内の中、不意に玄関から控えめなノック音が聞こえてくる。
それを受けてクロスがアスタへ出迎えを任せると――その後、彼女たち二人による会話が耳に入ってくる。
「あっ、レインちゃんだぁ~♪」
「こんばんは――、アスタさん」
示し合わせて遅参したレインがその姿を見せると、彼女の手元には何やら包物があることが見て取れた。しかしその事よりも――、
「――クロス、彼女は……?」
「そのソファに寝かしてある」
レインは件の少女が良く見える距離まで歩み寄ると、その様子を注意深く窺う。
そして少女が無意識下でありながら強く握り締める――クロスのマフラーを見受けると、その目を細めて見せた。
「……よかった、安静でいるようですね――」
「まぁ――、別れてから直ぐ寝始めたからな」
「そうですか……。無理を押して起きたままでいるよりも、その緊張を解き休息してもらえた方が好ましい状況と言えます」
そうか――、とクロスがその目を閉じると、改めて事態が落ち着いたことに安堵感を覚える。
それから一拍の間を取り、レインが話題の方向性を変えて話し始める。
「ボロボロ、ですね……彼女の姿は――」
「うん、そうだね……何があったのかな」
レインとアスタの二人は横たわる少女を見下ろし、その胸中に哀憐の情を抱いた。
次いで包物を抱え直したレインが、おもむろにその口を開く。
「簡単な着替えを用意して来ました。何時までも彼女を不衛生な格好のままにはしておけません。手早く着替えさせましょう」
どうやらレインが持参してきた物品の内容は、紫紺の少女用に見繕われた替えの衣服であったようだ。
「直接は触れないけど……、アスタもお手伝いするよ♪」
「ありがとうございます――それではアスタさん、お湯とタオルの準備をお願いします」
わかったぁ~、とアスタが快く返事すると――束ねられた後ろ髪を揺らして身を翻し、忙しそうな足音を立ててその場を去る。
準備に挙げた代物から察するに――、眠る少女の身体に付着した埃や汗を拭き取り、着替える前に綺麗にしてやるつもりなのだろう。
またその意図に伴ってレインは、この場にて唯一の異性であるクロスへと目配せをする。
「………………」
相手の理解や配慮を要求する彼女の視線。対して――、
その暗黙の訴えを察した彼は、仰々しく溜息を漏らして肩を竦ませると、大人しく自室へと退散することとしたのであった。
住居の二階、クロスの自室――。
夜が更ける外の景色を、彼は窓ガラス越しに眺めつつ独白する。
「――助けたはいいが、これからどうするつもりなんだよ……」
錯綜する状況。複雑な事情が絡んだ事態。居慣れた部屋にて単身となった今だからこそ、周囲を気遣うことなく本音が吐露される――。
危険因子である少女が就寝中のため、現在は穏和な雰囲気となっているが……、あの『奸邪の魔眼』の彼女と直接刃を交えた彼としては、言い知れぬ胸騒ぎを覚えると共に落ち着かない心境が続いているのであった。
すると彼は、自分の心情を一度落ち着かせたい……、そんな思いから眼前の窓を開けるとベランダへ踏み出すのであった。
一方の居間では、傷つき眠る少女の――裸身の肌を清潔にする世話が続いていた。
その彼女の手や膝、足裏などには血が滲む擦過傷が多数あり、それを見たレインは心苦しさを感じ、傍に立つアスタも表情を曇らせる場面があった。
その後は……、彼女の着替えと負傷の治療を並行し、睡眠を妨げぬよう手早く作業を進めるのであった。
夜空に煌々と輝く月と星々――それを見上げて外気に触れると、クロスは多少ではあるが気分転換することができた。
次いで眼下に広がる霊園の敷地を俯瞰すると――そこは月明かりが作用し、普段とは異なった幻想的な光景を創り出していることに気づく。
月光に照らされた墓標が、更にもう一つの影の十字架を産み出す現象――。
光と闇。その相反する二つの存在が生んだ幻影はまるで……人間の〝表と裏〟を、その〝理想と現実〟を映し現しているようにも見えるのであった。
「………………」
見目壮麗であるはずなのに……どこか凶兆が漂う夜。それは異質な空気を呼び込み、再びクロスの心中に不安や不吉を植えつけると――その気を揉む緊張感から、人知れず彼の喉を鳴らさせたのであった。