5. 女神と女神の着信拒否
2017/02/07 改稿しました。
ゴーン……ゴーン……ゴーン……。
「あ……」
どれくらいの間へたり込んでいたのか。俺は夕刻を告げる鐘の音で我に返った。実は割と聞き慣れた音だったりする。これが鳴ったらリーナが「おうちに帰る時間」なのだ。お家つっても同じ敷地内らしいけど。良い子のリーナは決して門限を破らない。ガキの頃はそれがちょっぴり寂しかったりもした。
「……しゃーねー、行くか」
気は進まないながらも俺は立ち上がってドレスの埃を払った。これはリーナの体だから、彼女の日常を守らないと。彼女が帰ってきた時に、彼女の居場所を返せるように。
(死んではいないって言ってたからな。信用できるかは分からんけど)
最悪の事態を考えそうになる頭をぶんぶんと振って歩き出す。ステンドグラスから夕陽が差し込んでいた。異世界の夕暮れも赤いんだなあ、と感傷めいたことを思いつつ扉を出る。
「キャアアアッ!!」
え!? なにごと!?
「女神さまよ! やっぱりこちらでしたのね!」
「みんなー、女神さまがいらっしゃったわよー!」
みんなって誰、何が起きてんの!?
咄嗟のことでリアクションできずに固まる『リーナ』の周囲にわらわらと人が集まってくる。リーナよりやや年上、元の俺と同い年くらいの少女達だった。誰ですかあんたら!?
「女神さま、今日もお可愛らしく!」
「ど、どうも……?」
「キャアアッお声を聞けたわー!」「鈴の鳴るような美声だわ!」「宮廷楽団も敵わないわ!」
色めき立つ少女軍団。そこはかとなくどこかで見たようなノリだった。具体的に言うと団扇とかハチマキとかペンライトとかが見える気がした。気のせいであって欲しい。
「イヤアッ何てこと! 女神さまのお召し物がっ」「破れてるわっそれに埃!」
「え、いやあのこれは」
さっきあいつと揉み合いした時か。うわどうやって誤魔化そう。
「17号! すぐに替えのお召し物を!」
「ハイッ」
全く心配無用だった。どこの運動部だってか軍隊かよ。17号て。
「女神さま、玉の御髪が乱れてますわ! この4号めがお手入れさせて頂きます!」
「それでは不肖おみ足担当の3号がマッサージ致しますわっ」
「さあこちらに、女神さま!」
マジで何なのこの人ら!? さっきまでのシリアスどこ行ったんや!
こちらに、と木のベンチが用意され、あれよあれよと言う間に座らされ、周囲には天幕が張り巡らされた。香油の入った桶が足元に置かれてマッサージが始まる。程よい強さでふくらはぎが揉まれて、す、すごい、疲労が瞬く間に抜けていく。半年先まで予約で埋まってるレベルの技だった。
背後では髪のお手入れとやらも進行中のようだ。櫛を入れるだけだと思っていたら大間違い。これはひょっとして噂に聞くヘッドスパとかいうやつではなかろうか。ひぁあんらめえ、そんなにしたらキモチよくなっひゃううう。
(あー……何だこれ……眠くなってきた……)
「いやあん女神さまがおねむだわぁ」「何て愛らしいの」「食べてしまいたいわ……」
うん、ごめん。囁き声が怖すぎて目が覚めたわ。こいつらの前で寝るのは身の危険を感じる。
「お肌がすべすべですわ」「やわらかそう……」「女神さまのほっぺつんつんしたいわ」
「ダメよ12号、堪えなさい。親衛隊たる者おさわりはご法度よ!」
「ハイ先輩!」
親衛隊。そうきたか。よく見るとマッサージ中の3号さんもヘッドスパ中の4号さんも肘まである手袋をしていて、なるほど直に触れてはいない。規約遵守。
「女神さま、どうぞお飲み物を!」
「あ、どうも」
差し出されたのは銀製のグラス。薄い黄色の水に一輪の小さな花が浮いていた。おそらくハーブティー的な飲み物だ。変なもんじゃない、よな?
少女達のきらきらした視線を横目で確認しつつ、じわじわとそれを口に運ぶ。実は変な薬とかだったらどうしよう。
(ええい、とりゃあ!)
何故一気に行った俺。体育会サークルのビールじゃあるまいし。イッキ、ダメ、ゼッタイ。
「けほ、花まで飲んでしまった……」
「もう1杯召し上がりますか女神さまっ」
「頂きます」
いや飲み会ごっこやりたいわけじゃなくてね? この体、泣いたり叫んだりで大変だったもんだから。喉がカラカラなんですよ。うっすら花の香りのする水は見た目ほど甘くもなく、水分が体に浸透して生き返る心地を味わった。
「ご馳走様でした」
「……!!!」
結局3杯目まで飲み干して笑顔でグラスを返すと、担当の2号さんは感極まった様子で絶句し、震える手でグラスを受け取った。そんなにか。
それから新しいドレスを着せられて髪に新しいティアラをつけられるところまで、俺はただ立っているだけでよかった。下手したら座っていても全部やってくれたかも知れない。ものすごい勢いで人をだめにする人達だった。そりゃリーナが自分で着替えたことないレベルの姫にもなるわ。性格歪んでなかったのが奇跡だよ。
気持ちよかった割には地味に疲れ、俺は再び鏡の間に入ろうと考えた。俺の記憶に間違いがなければあの建物はリーナ以外入れない禁域のはずだ。申し訳ないが24時間どこでもこの人達に囲まれるとしたら正直きつい。
「あの、皆さんごめんなさい。ちょっと用事が」
遠慮がちに言ってみると何人かがあからさまにがっかりした表情を見せる。
「堪えなさい11号、女神さまのお邪魔はご法度よ!」「ハイ先輩っ!」
もうそのノリはいいよ……。
で。鏡は相変わらず沈黙していた。ものは試しだ。リーナに教わった詠唱に再挑戦してみる。
〈鏡よ鏡、力持ついにしえの鏡よ。己が真を手に入れよ。真は幻、幻は真。我、エカテリーナが望む真、《甲斐貴人》を呼び寄せよ〉
シー……ン。
何も起こらなかった。いや、腹のあたりで何かもどかしいような感じが渦巻いているような感じがしないでもないような感じはなくもない。……それじゃ何も起きてないのと変わらんか。何度か、詠唱の細部を変えて試してみる。『甲斐貴人』と『エカテリーナ』を入れ替えてみたり。鏡に敬称つけてみたり。恥ずかしいのを我慢して中二病っぽい身振りとかつけてみたり。
全部無駄だった。
本来のリーナなら何かしら応用を知っているはずだが、『リーナ』の体が持つ『知識』は中に入った俺とうまくリンクしていないのだと思う。目の前に扉つきの本棚はあるのにその鍵が見つからないような、パソコンはそこにあるのにログインパスワードを思い出せないような、あるはずなのに使えないという実にイライラさせられる状態だった。
リーナは、そして俺の体に入った『あいつ』は、今どこでどうしているのだろうか。
「リーナは……『あいつ』の体に入ったんだよな……?」
だとしても、『あいつ』がどこの誰なのかが分からない。探しようがない。ノーヒントにも程があった。