4. 俺と俺との誤送信
2017/02/07 改稿しました。
中の人がリーナだった時とは180度路線の違う『俺』、うわあ新鮮。じゃなくって!
「おまっちょっ誰だよ、ってかリーナはどこ行った!?」
「さあな? 少なくとも死んではいないさ。それくらい分かるだろう?」
どいつもこいつも謎の文法で喋りやがって、分かんねえから聞いてんだっつの!
「ふ、そうか。まだ『取り出し方』を知らないんだな」
面白そうに『俺』が笑う。そんなニヒルな笑い方、俺もリーナもしたことねえよ。
「いいことを教えてやろうか。知識と記憶と精神は別物だ。『カイタカヒト』の知識はこの体に残っていて、お前自身でなくとも『取り出せる』。たとえば本棚の3段目の奥に」
「わーわーわー!!!」
やめろ、青少年の健全な宝物をそんな安易に暴くんじゃない!
くっくっく、と『俺』が楽しげに笑う。髪をかき上げる仕草は嫌味なまでに優雅だった。確かに俺のはずなのにどう見ても俺じゃない。むしろ本来の俺より格好良さげなのがすげえ腹立つ。てか俺が『俺』に見下ろされてる構図が腹立つ。
「おい、『俺』になって何がしたいんだお前っ」
まさか俺の秘蔵コレクションが目的ってこともあるまいが、こいつの意図が読めない。
「別に『カイタカヒト』である必然性はないさ。強いて言うなれば都合がいいから。他に理由なんているのか?」
「だからっ何に都合がいいんだよ!?」
叫ぶような声で問い詰めても、『俺』は平然として動じない。ああ分かってるさ、『リーナ』の可愛い顔と声が怒鳴ってみせたところで欠片も怖くなんかない。『俺』は得々と喋り続ける。
「無自覚なようだがこの体には他世界に干渉する素質がある。今は精神体の方に多少持っていかれてしまったらしいが、まあこれでも十分だ」
そっちの連中は誰一人として抵抗できない、と言って『俺』は邪悪にほくそ笑む。理解できない。俺の体が持っている素質? こいつは一体何をするつもりなんだ。
「ああ、『そっち』で助けを求めても無駄だからな? そもそも別の世界があるってことすら思いもしない奴ばかりだ、こんなこと誰も信じない」
こんなこと、を起こした張本人が抜け抜けと言ってくれる。馬鹿にした笑いを浮かべたまま『俺』はひらりと片手を挙げ、踵を返した。
「それじゃあな。ま、精々世界の内側で踊るがいいさ、女神サマ?」
「てんめぇこんにゃろ、ふざけんなっ!」
逃がしてたまるか! 悠然と歩き出す『俺』の前にダッシュで回りこみ、手を伸ばして胸倉を掴む。悔しいことに、『俺』は微動だにしない。むしろこっちがぶら下がるような格好になってしまった。
「何してんの? 離せよ」
表情すら変えないままで淡々と告げられ、内心かなり怯んでしまう。何だこれ怖い、至近距離で見下ろされるのってこんなに怖いもんなの!?
「い、嫌だ! リーナを返せ!」
精一杯の虚勢ですがりつく。常にへらへらしてると思うなよ、いくらヘタレだってなあ、怒る時はちゃんと怒れる男だぞ俺は!
「ふーん?」
適当な相槌を打つや否や、『俺』の手が伸びた先はスウェットの襟ぐりを掴む『リーナ』の手首、ではなく、もっと下の方。具体的には。
「きゃあっ!?」
白いドレスがぶわっとめくれ上がる。何だ今の可愛い悲鳴、俺か俺が出したのか。全然男っぽくないどころかオンナノコ全開じゃねえか。あああ悔しいいいい。
(俺も見たことないリーナのスカートの下を『俺』が見るだと!? しかも今『リーナ』なのは俺だ、もう何が何やら、どこに向かってどう悔しがるべきなのかも分からんっ)
落ち着こう俺、混乱しすぎ。盛大に翻ったスカートの裾を押さえてうずくまり、渾身の気合で敵を睨む。あ、ちょっと涙目だ、あがあああ屈辱っ。
「くく、本物より可愛らしいかも知れないな?」
「なんだとぉっ!?」
俺、今度こそガチギレ。知りもしねえくせに、お前なんざが俺のリーナを語るんじゃねえ!! リーナの可愛さなめんなよ!?
「リーナはなぁっ、リーナだからこそリーナなんだよ!!」
ガバッと立ち上がった俺は再び目の前の『俺』に飛びかかった。同じ轍は踏まない。レスリングよろしく相手の腰にタックル。流石の奴もドン引いている気配がした。ひょっとしなくても初めて奴の動揺を誘えた瞬間だった。嬉しくない。
「リーナは、素直で優しくて、他人の痛みに自分が泣いちゃうような娘で、それでもいつも笑ってくれて、俺の話楽しそうに聞いてくれて、笑顔が可愛くて、笑顔が可愛くて、笑顔が可愛くて、だから泣かないようにいつもしあわせでいて欲しいんだよっ!!」
思いつくままに並べ立てた言葉の、何が気に障ったのか。『俺』は静かにこう言い捨てた。
「……黙れ」
ゆったりとした動作で『俺』の手が上がり、『リーナ』の体が恐怖に竦んだ。全力を込めたはずの華奢な腕がいとも簡単に振りほどかれる。
「虚構の人格に夢を見て、お幸せなことだな」
ドサッ!!
「っぐ……!」
床に叩きつけられた衝撃で肺の空気が強制的に吐き出される。苦しい。痛い。リーナのケツに青あざとか残ったらどうすんだこの鬼畜!
自分が投げ捨てた『リーナ』を見ようともせず、『俺』は鏡に向かって歩き出す。そしてそのまま、右肩を大きく後ろに引いた。ゆるく握られた拳。まさか。
「おい何する気だよ、やめろ、やめろって!!」
殆ど悲鳴に近い甲高い声に、バギッという鈍い音が被さる。ガラスに突き刺さった拳からは赤い血が滲んでいた。ぎゃああ俺の手が、ラノベより重い物は持ったことのない繊細な手が!
「って、へ……!?」
その拳から不穏な緑色の光が漏れ出していた。突き立った部分から、じんわりと嫌な感じに鏡面を伝って広がっていく。同時に、向こう側の景色にヒビのような黒い線が混じり始めた。
「おっおいちょっと待てこら、俺はそんな異能力持ってねえぞ!?」
「それはお前がこの体の使い方を知らなかっただけだ」
なんだとぅ!?
「さようなら、愚か者の女神サマ」
言い捨てて、『俺』は鏡の向こう側へと駆け去った。
ピシピシピシ……ピシッ。
ひどく軽い音がして、黒いヒビが広がってゆく。
「っ待てやコラァ!!」
何か考えがあったわけではない。床を蹴りつけ、俺は鏡に飛びついた。
けれども。
ピシピシ……パァンッ!
ガラスを黒いヒビが覆い尽くした。
光を失った鏡は追跡者を静かに拒絶する。
「嘘だろ、おい……」
狭苦しい部屋の景色は消え、ひび割れた鏡の中にはただ呆然と金髪の少女が立ち尽くしていた。