3. 女神と俺との転送設定
2017/02/07 改稿しました。
『俺』はいまいち納得がいかない様子だった。気持ちは分かる。普通、『入れ替わっちゃった』場合は互いに相手を演じて元の生活を守りながら戻る方法を探すのがセオリーだろうし。
でもさ、考えてもみてくれ。
俺とリーナが元の体に戻るのは今のところ無理。
リーナが『俺』として生活するのはもっと無理。
「逆も同じことでしょうっ? タカヒトが私になるのも無理じゃない!」
それがそうでもないんだな。お互いに相手の世界の話はよくしてたから、ある程度の予備知識はあるのだ。知ってたからって実践できるわけじゃないのは着替えの一件で明らかになってしまったが、リーナと俺とではそもそもの世間知らずの度合いが桁違いだと思う。
さてここで問題になってくるのはさっきリーナが闘っていた幻影のような何かのことだ。
「さっきのあれ、リーナじゃないとまずいんじゃね? それとも俺に任せちゃっておっけー?」
「っ駄目!!」
だと思った。慌てた『俺』が食いついてくる。
「タカヒトも見たでしょう!? 普通の人間じゃあの『獣』には立ち向かえないの!」
ん? ちょっと言ってることが分からないんだが、『獣』ってさっきの奴らのことで合ってる?
「奴ら?」
「うんほら、あの幽霊っぽい連中」
「……どういうこと?」
どういうこと?
こっちが聞きたい。リーナは一体どこに疑問を覚えているのだ。
「タカヒトからも見えたんだよね? 『獣』の姿」
「いんにゃ、俺が見たのは動物じゃなくて人間の幽霊っつうか何つうか」
どうやら俺とリーナとで見えたものが違うらしい。真剣な顔で思案し始める『俺』。そういう引き締まった表情すると我ながらイケメンなんじゃないかと思えてくる。多分気のせいだけど。同じ素体でも中の人で結構変わるもんだなあ。
「『獣』が人型を取ったの? そんな話聞いたことない」
えーっとつまり、………どういうことなんでしょうか。
「タカヒトだから? この世の『外側』の人間だったから、違うものが見えた?」
おおっそりゃすげえ。いいんじゃね、希望の光見えてきたっぽくね?
「だったらほら、やっぱり2人とも『こっち』にいる方がさ!」
「それは……でも、タカヒトはいいの?」
どうやら俺の方の生活を心配してくれているらしい。こんな事態にもかかわらず本当にいい娘や。
「リーナに比べりゃ全く問題ないし」
だって一介のFラン大学生だ。しばらく消えたところで誰も困らない。むしろ甲斐貴人オネエ説が流れるよりは旅に出てる設定の方が激しく有り難い。
「そんな言い方したらダメ。消えていい人間なんていない」
うおっと、いい娘すぎるリーナが俺の自虐ネタに引っかかってしまった。
「いやつまりだな、その、今は夏休みだから問題ない!」
適当な台詞で誤魔化す。素直な彼女はきっちり騙されてくれたようだ。俺の記憶に間違いがなければ夏休みはもう2ヶ月待たないとやって来ないのだが。ちなみに追試になったらもっと先。やーい貴人クンの嘘つきー。
けど実際、代返の頼み方とかノートのコピー調達とか、立ち読みと試聴と動画で時間潰すやり方なんてリーナは知らないだろう。うん、自分で言ってて全く消えても問題ないことがはっきりした。ろくな人生やってねえな俺。
「それと『こっち』の方が元に戻る方法ありそうな気がする」
まだ渋る様子の『俺』に畳み掛けてみる。何たって異世界だしな。魔法とかあるのは他ならぬリーナが話してくれてたし、不思議現象に関しては間違いなく現代日本より強いだろう。
もうひとつ、半狂乱になって怯えたリーナを放っとけないという我ながらイケメンな理由もあるんだが、これは本人には内緒だ。照れ隠しに違うことを言ってみる。
「それになー、俺をリーナの体に放置しといていいのかな?」
「?」
きょとんと小首を傾げる『俺』(ちょっと見慣れてきてしまった自分が嫌だ)。
「あーんなことやこーんなことをしちゃうかも知んないぞー?」
「!!!」
わざと体をくねくねしながらにやついて見せる。察したらしい『俺』が真っ赤になって怒り出した。
「たっタカヒトのばか! 変態! 最低! 全っ然変わってない!!」
そんなことないし俺だって成長したし!
ひょろいっつっても一応19歳男子として標準的な体格はキープしているのだ。運動部の奴らにはそりゃ敵わないけど。背だってそこそこあるだろ?
「体の話じゃないっ! もういい、私も『そっち』に行く、タカヒトのこと見張る!!」
怪我の功名っつうかわざとだけど、リーナがようやく『俺』をこっちに派遣する決意をしてくれた。色々と謎は残ったままだが、これから教えてもらう時間はいくらでもある。
俺のこの甘さはいくら後悔してもし足りないくらいの致命的大ポカだったのだが、この時点で気づいておけというのも無理な話だろう。詰まるところ、俺は異世界を舐めていたのだと思う。美少女と一緒に冒険ファンタジーを繰り広げて世界とか救っちゃってあわよくば、くらいの考えしか持っていなかった。ぶっちゃけ可愛い女の子になれたのもちょびっとラッキーくらいに思っていた。
下ネタなんかで誤魔化さずに真面目に根掘り葉掘り聞いておけば良かったのだ。
けど、残念ながら俺の辞書にマジメという言葉は載っていなかった。
「そんじゃ前やってたみたいに、ひょいっとどうぞ」
五月蝿い、と言いたげに『俺』が睨んできたので大人しく黙ることにする。『俺』はシリアス顔になって目を閉じ、姿勢を正して集中し始めた。
ややあって。
「……だめ。できない」
「へっ!?」
「この体じゃ私の『力』が使えない」
マジか!? じゃあどうすれば。
「タカヒトがそっちから呼んで。私の『力』は『私』の体に宿ってるはず」
呼べ、っても召喚のやり方なんて知らんのだが。心で念じればいいの?
「あっそうか、そうだね、私は詠唱とか使わなかったもんね」
うっかりしてた、みたいな感じで『俺』がさくっと説明してくれた。見た目からは分からないものだがリーナは無詠唱で『力』を行使できる、つまりは相当な上級者だ。この体の『力』が強いってのもあるけどリーナの鍛錬の賜物でもある。で、今回は中の人が俺なので、素人用の詠唱と動作を使う。様式さえ守れば潤沢な『力』はインスタントに作動するらしい。
『俺』が鏡にぺたりと両手をあてる。そこから己の指紋を、血流を、脈拍を、『俺』のデータを鏡に読み取らせるかのように。
「詠唱を」
こちらからも同じく『リーナ』の手をガラスに触れ、教わった詞を口にする。
〈鏡よ鏡、力持ついにしえの鏡よ。己が真を手に入れよ。真は幻、幻は真。我、エカテリーナが望む真、《甲斐貴人》を呼び寄せよ〉
キィイイイイイイイン!!!
「……っぐ」
「……くぅ」
甲高い耳鳴りが脳天をつんざく。儀式に余計なノイズを入れまいとして俺は歯を食いしばる。ガラスの向こう側で『俺』が同じように顔を顰めたのが分かった。
白い光が視界を焼く。それでもこの手を離さないように。決して離れることのないように。
一瞬の間意識が奪われて、それからおそるおそる瞼を開く。
目を閉じたままの『俺』の体がそこにあった。
(うわ……直に見るとまた格別な違和感)
『俺』が静かに瞼を開いた。鏡から手を離し、動作を確かめるようにゆっくりと拳を握り、また開く。あっちも呆然としてるんだろうか、そりゃ当然だわな。
「……へえ」
ぽつりと呟き、『俺』がようやくこちらに目を向ける。その顔に浮かぶのは妙に攻撃的な笑顔。
「それなりにいい体じゃないか、『カイタカヒト』。使ってやるよ」
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いやお前誰だよ!?