32. レプリカの女神
『俺』が『リーナ』を呪う、それで仕掛けが完成する。こいつは確かにそう言った。
「な、にを、言って、るんだ……?」
「お前が200年前に、いやお前達にとっては今か、やったことだぞ、タカヒト。私達の時代にはこう伝わっている。『カイタカヒト』という男が先代の『女神エカテリーナ』を呪った、そのせいで『女神』は『獣』に贄を与えることができなくなり、この世界全体が滅びに向かっている、と」
女神に会うこともない普通の人々にはまことしやかな終末伝説でしかない言い伝え。しかし自身が『女神エカテリーナ』である彼女には分かってしまった。それが事実だと、自分の体には『女神』でありながら『獣』とつながる回路がないと。
「信じられるか? お前はそんな大それたことを、自分ひとりの我儘のためにやったんだ。自分の惚れた女を運命から解放するためだけに、この世界の全てを犠牲にした」
信じられるかも何も、今この時の俺はそんなことをやった覚えがない。理不尽な言いがかりにもほどがある……と言いたいところだが、正直なところ完全に否定もできなかった。
だってそうだろ? リーナがあんだけ泣いてたんだ。そんな酷い運命からリーナを切り離す方法があるなら、俺はそれを実行したいと願うだろう。リーナ自身が望まないからやらないだけだ。
もし、もしも、この世界の均衡とやらを崩さず、『女神』として世界をしあわせにしたいというリーナの願いを切り捨てずに、生贄のシステムだけを壊せる可能性を知ったとしたら。
――――――その時俺は迷わずその可能性に賭けるだろう。
「だから、その未来を変えるために……?」
わざわざ時を遡ったのか。自分の体と精神を、切り離してまで。問う声をどうにか捻り出すと、意外なことに『俺』は首を横に振った。
「そうじゃない。〈変える〉のではなく、歴史を〈騙す〉んだよ。お前達もやっただろう? 史実はそのままに、中身だけをすり替えるんだ」
『カイタカヒト』が『エカテリーナ』に呪いをかけるという事象はそのままに、内実だけは、次代の『女神』であるこいつが『リーナ』の体に入った俺を呪う。
『俺』の両手に湛えられた光は不気味な緑色をしていて、確かにリーナの使う真っ白な光とは全く違っていた。呪いと呼ぶに相応しい色だ。
「当代の『女神』として死ね、タカヒト。それから私は本来の体に戻り、この時代の『女神』として世界を導こう」
「……言ってる意味が分からないぞ、おい。この代の『女神』をお前が呪い殺すんだろ?」
矛盾してるじゃねえか、と吠えてみせたのは正直なところ虚勢でしかなかった。それを見透かしたように『そいつ』は俺をせせら笑う。
「そうだな、その通りだ。そしてそれから、こんな後日談はどうだ? ……『カイタカヒト』は自分のしたことを気に病んで自害する。すると彼の罪は許され、新たな『女神』が誕生した。―――――言い伝えは事実だが、実はその裏にもうひとつの真実があった。人間はそういう物語を好むだろう。200年後に、私が裏の歴史を伝えてやろう」
理にかなっているように聞こえる。史実は捻じ曲げられず、それでいてこの世界全てを救うことができる筋書きだ。けど、俺は、その言葉に頷けない。
「リーナは、リーナはどうなるんだよっ!?」
「は? ……もうお前も理解しているはずだろう? 『女神』というのは本来ひとつの魂だ。200年毎に〈更新〉はしているがな。私も、お前のリーナも、過去未来何千何百の『女神』達も、全て同じモノだ。私が『女神』として存在することはお前のリーナが生きていることに等しい」
傲然と笑みを浮かべ、だから、と『そいつ』は言った。
「もう余計な真似はするな、タカヒト。お前ひとりの我儘でこの世界全てを不幸にする気か?」
「…………ッ!!」
何も言えなかった。何か言いたいことが、山のようにあったはずなのに。それなのに言葉はひとつも出てこなかった。シェイラを、リルハを、たくさんの人達を犠牲にして、アイシャやサキヤを苦しめた俺には、そしてこの先の未来でもっとたくさんの人間を不幸にしてしまう元凶の俺には、何も言う資格なんかないような気がしていた。
「さあ、大人しく呪いを受けろ」
「実際に死ぬのは俺ひとりってわけか、はは……」
頷いてしまいそうになる。だってあの『リーナ』を知っているのは俺だけだ。優しくて涙もろくて笑顔が可愛い『リーナ』を知っているのは俺だけで、彼女に帰ってきて欲しいと願っているのも俺だけで。
他の誰もそれを望んでいないなら、我慢しないといけないんじゃないのかって。
けれど、その時。
「りー、な、さま……」
呻くような声が聞こえた。
「ソーニャ……?」
そこにはずたぼろで血まみれの女剣士がいた。もう目も碌に開いていないのに、必死に立ち上がろうとしてその手が石の床を掻いている。
その隣に。
(え……あのじいさんとばあさんって、確か……リーナの)
亡霊の影がふたつ、倒れたソーニャの上に屈み込んでいた。
不思議と危険は感じなかった。彼らがソーニャに害意を持っていないことが分かった。胸の中にむず痒いような何かがじんわりと広がっていく。幼いリーナを可愛がってくれたのと同じように、ふたりがソーニャの身を案じてくれているのが感じ取れた。
ああ、そっか。この感情は、リーナの。
赤黒い血のような触手は消えていない。しかし同時に、あの日リーナを取り囲んでいた亡霊達の姿が聖堂を埋め尽くしていた。過去の生贄達。『獣』に喰われ亡霊となった者達。
訝しげなリーナの言葉を思い出す。
『獣が人型をとったの? ……そんな話聞いたことない』
『獣』と、亡霊。ふたつの位相が重なって視えるのは、俺だけ。
「あー……分かった。うん、分かった。オーケー理解した。そゆことね」
奇怪な悪夢のように重複して見える光景に、俺はふと何もかもを理解していた。
『リーナ』の目が見る景色と、俺という人格が見る景色は違うんだ。
だから俺は迷わずこう言った。
「お前が言った通りにしてやるよ、次の『女神』サマ。俺が『女神』に呪いをかける」
「なっ!?」
震える手足に力を込め、深呼吸。体の知覚に、引きずられるな。
「心配いらねえよ。生贄なんてやらなくてもこの世界はちゃんと回ってく。誰も不幸になんかならない、世界は滅びたりしない。むしろ邪魔なんだよ、『女神』制度とか。あんな……こんなほっそい肩に嫌な役目負わせて平和保つ世界とか、ふざけんな」
『タカヒトだから……世界の外側の人間だから、違うものが視えた?』
あの日、リーナがそんなことを言っていた。その通りだリーナ。
「だって『俺』には『獣』なんて見えねえもん。幽霊がうじゃうじゃいるだけじゃねえか。……あのさあ、『獣』って冥府の象徴なんだろ? わざわざ生贄なんて送る必要ねえよ、毎日毎分世界のどっかで人間は死んでんだから。何もしなくても死者は冥府に送られて来るだろ」
俺に見える世界とリーナに見える世界は違う。異世界人の俺だからしてやれることがある。
すう、と息を吸い、俺は言葉を紡ぎ始める。この体に宿る『女神』の力が収斂されていく。『リーナ』の中の黒いファイルにしまわれていた、禁じられた詠唱を呼び出した。
「だっ、だめだ!! 止めろタカヒト!!」
『俺』の……次代の『エカテリーナ』の絶叫が聞こえる。だけど俺はもう止まらない。
この世界のシステムが何だ。秩序がどうした。
そんなもののために、お前らはリーナを踏みつけるのか?
――――――だったら俺がそんなもの壊してやる。
〈昼に彼女は呪われてあれ、そして夜にも! 眠るにつけ、起きるにつけ、彼女は呪われてあれ! 外に出るにつけ、内に入るにつけ、呪われてあれ! 神よ、永劫に彼女に赦しを与えたもうな! 法の書に書かれてある呪いの文句すべてを身に負うたこのにんげんに対して神は激しい憎悪を燃え上がらせるであろう。神は彼女の名を抹殺するであろう!〉
「やめろタカヒトォオオオオオオオ!!!!!」
呪う。俺は神の名にかけて『エカテリーナ』を呪う。『獣』の名にかけて『女神』を呪う。そうして呪われた『エカテリーナ』は『女神』としての神格を失い、ただのにんげんになる。
「ア……ァ……ア」
表情を失った『俺』が呆然とへたり込んだ。
ゴーン……ゴーン……ゴーン……
太陽が月の影から顔を出した。
茜色の夕空に鐘の音が響き渡る。
ほらリーナ、聞こえるだろ? 門限の鐘だ。おうちに帰る時間だぞ。
そうだリーナ。『エカテリーナ』じゃない、たくさんの『女神』達なんかじゃない。お前だ、リーナ。
〈還って来い!!!!!!〉
呼ぶ声は我知らず召喚の詠唱になっていた。
合わせ鏡が渦を巻き、視界が歪み、ピィイイイイイン……と懐かしい白い光が炸裂する。
目を開けると、そこには。
装飾過剰な白いドレスにジャラジャラのアクセサリをつけ、紫色の瞳を涙にしばたかせる、13歳くらいの白い髪の少女が立っていた。
「……たか、ひと……?」
「おぅ」
「た、タカヒト……っ」
はいそうですよ甲斐貴人19歳大学生絶賛留年確定さんですよ。
「タカヒト……っ!!」
その後はぶわっと溢れ出した涙に溶けてしまって言葉にならなかった。辛うじて聞き取れたのはたった一言だけ。
「ただいまぁ……」
うん。おかえりリーナ。




