31. 女神のレプリカ
神殿への到着は蝕の日の当日ぎりぎりになった。皆既日食までもう時間がない。
「リーナは、どこだ……?」
敷地内に入ると、気のせいか空気が不吉に淀んでいるように感じられた。
「ねえ、本当なんだよね? リーナさんがリーナって名前じゃなくて、リーナさんがリーナって呼んでるそのどんな姿だか分からないひとが本物のリーナさんでしかも女神さまって」
アイシャがまだ困惑気味に念を押してくる。ああその通りだ、ちょっとややこしくてゲシュタルト崩壊起こしかけてるが要するにそういうことだ。
アイシャとソーニャには道々事情を説明してあった。俺とリーナの入れ替わりのことも、誰だか分からない誰かさんが俺の体を乗っ取っていることも。それから、アカデミアの博士と『俺』の企みのこと。その流れで『リーナ』がこの世界の『女神』であることも話した。もとから知っていたソーニャはともかくとしてアイシャは流石に驚きを隠せないようだった。多分、今も半信半疑くらいだろう。
俺の体に入っている奴の正体が分からない以上、リーナがどんな姿でやって来るのかは全くもって予想がつかない。リーナが自分の体を見てこっちに気づいてくれることを祈るばかりだ。
「つまり、こういうことですね? 別人の体になった女神さまが今日何らかの形でこの神殿に現れ、鏡に近づく。そこでリーナさま……タカヒトさまの体に入った不届き者とアカデミアが夏至の日と同じ術を再び仕掛ける、と」
「タカヒトってのがあの盗賊の男で間違いないんだね?」
「ああ。あいつを見かけたら……その、できれば殺さない範囲で、捕獲して下さい」
いやまあ、多分あいつが自分でここ来る展開はないんだけどね。俺ら幽霊馬車があるからこの速度で到着できたわけだし、ほぼ同日に出発した『俺』と博士が同じ距離こなすにはもう数日いるはずだ。おそらくどっか別の場所の鏡から鏡ネットワーク通じて術をかける計画だと思われる。
「本来の女神さまが男の体で現れるのではないか、という点については?」
「うーん、それを聞かれると説明に困るんだが、乙女の勘、ってことで」
ぶっちゃけて言おう。あの獣臭さが女とは思えない。俺、何回か貞操の危機さえ感じたし。男という生き物があんなに怖いもんだとは知らなかった。もし元の世界に戻れたら、俺は痴漢を見て見ぬ振りせずに全力で止める大人になると誓おう。
「あー……あのさ、シェイラが言ってたんだけど。君、たまに女子度合いが7割超えてる時あるって。その体に随分馴染んできちゃってるんじゃない?」
嘘だろ怖いこと言うのやめて!? 戻れなくなっちゃうとかやだよ俺!
「僭越ながらリ、……タカヒトさま。ジョイスのことを鑑みますに、獣欲があるからと言って男と断定するのは早計かと愚考致します」
ソーニャまで怖いことを言う! 何が怖いってものっすげえ実感こもってるとこが!
「というかいつの間に呼び捨てに。だったら俺のことも様付けしなくていいよソーニャ?」
「ぬ、うむ……たか、ひと? ……恐縮ですが大変違和感が」
残念ながら強烈な違和感は確かに否定できなかった。
「あら、貴女達。ここは一般人立ち入り禁止よ?」
げっ。阿呆なことやってる間に親衛隊に見つかってしまった。まずい、今俺はリーナに見つけてもらうために顔を晒しているし、『女神』の証である金髪も隠蔽していない。こいつらひとり見かけたら35人いるんだよなあ。厄介なことになった……!
ずずい、と前に出たのはソーニャ姐さんだった。
「娘、私は一般人ではない。ここの関係者だ」
「えっ? あ! あ、貴女は、女神さまの護衛剣士! ……最近ようやく私と女神さまの邪魔をしなくなったと思ったら、また出てきたのねっ!?」
じりじりと睨み合うソーニャと親衛隊の少女。すっかり忘れていたが親衛隊の連中は現在、自分と女神さまが相思相愛であるという幻想の中で生きている。規律に厳しいソーニャはいわばお邪魔虫である。
「リ、……タカヒトさま。ここは自分に任せて聖堂へ!」
いや待ってこんなとこで貴重な戦力消費したくないんだけど!?
シュッ、トン。とさっ。
「へ」
「何アホなことやってんの。さっさと行くよ」
神速で親衛隊の首に手刀を当て、気絶した少女の体を地面に転がしながら半目のアイシャが言った。どうやらこいつの頭にシェイラ以外の女性に優しくするという選択肢はないらしい。その倫理基準に疑問はあるがひとまず助かった。ありがとうシスコン。
次々に少女達を手際よく気絶させていく可憐なおとこのこ。字面だけ見るとただの犯罪だった。動画にしたら特殊な趣味の紳士に喜ばれそうとか考えた俺は心が汚れている。
15人を数えたところで敷地の中央まで辿り着き、俺達は聖堂の扉に手をかけた。
そして聖堂の中、砕け散った大鏡の前に立っていたのは。
「え……!?」
「時間通りの到着だな、タカヒト。『女神』の体を運んでくれてありがとう」
な、なんで、『俺』がここに!? リーナが来るはずじゃなかったのか!?
「何をそんなに驚いているんだ? ……ああ、そうか。気づいてないんだな。前に言ったろう? お前のこの体には他世界に干渉する素質があると。この世界に根を下ろした鏡の網に触るくらいのことはできるさ。勿論、一時的に壊してまた修理することも、な」
すっかり失念していた、鏡の本来の機能。
「……モノや人を、転送する装置……」
呆然と呟くと、その通り、と『俺』が頷いた。
「ちょっと、何呑まれかけてんの。要するにあいつが黒幕なんでしょ? ××潰すよ?」
待ってお願いそれは許してあげて! 勇ましい味方は有り難いけどお前もうちょっと自重しろ! あと動きにくいからっておもむろにスカートを破くな見えちゃいけないものがポロリするだろうが!
「落ち着いて下さいリ、いえタカヒトさま。それよりも、あれが今の女神さまなのですか?」
いや違うはず、ってか俺のリーナはあんな癇に障る喋り方しない。ニヒルに片頬だけ歪める笑い方とかどう見てもリーナとは別人だ。
「その答えは是であり否だな、護衛剣士。私は確かに『女神エカテリーナ』だが、お前達の知る『エカテリーナ』とは違うぞ」
どういうことだ、あいつは確かに「私本来の体」が神殿に来るからそれを術の受け皿に使え、と博士に言っていたのに。それに、あいつが『エカテリーナ』って。
「そう焦るな、タカヒト。直に蝕が始まる。その時に私の体も到着するさ。……ほら」
ステンドグラスから覗く太陽が、黒い影に覆われていく。次いで闇に侵食された日光を補うように、大鏡が眩しく輝きだした。
〈鏡よ鏡、力持ついにしえの鏡よ。己が真を手に入れよ〉
パァアン!!
「うわッ……何だ!?」
首にかけていた防具が唐突に破裂した。
悠々と紡がれる『俺』の詠唱を、ソーニャもアイシャも止めることができない。もし召喚されるのがリーナなら止めるわけにはいかないし、それ以上に、物理的な妨害が始まっていたのだ。
「ぐっ……! これは、一体!?」
闇に呑まれ行く太陽と同様に、聖堂の床がどろりとした赤黒い何かに覆われていく。全身が強烈な悪寒に襲われて俺は身動きが取れなくなる。冷気を伴って床から噴き出した血のような液体はその場にいる人間を絡め取り、捕食しようとしていた。
「ハッ! セイッ!」
「オォオオオッ」
気迫と共に剣を振るい、ソーニャとアイシャが血色の触手じみたソレを次々に切り落とす。けれどソレは切られた側から再生する。キリがない。あまりに分が悪い戦いだった。
〈真は幻、幻は真。過去、現在、未来、時の円環は廻り巡りて全ては等しく〉
奴の詠唱は続いている。俺は止めることができない。他のふたりが戦う中、俺だけが無害に無傷に立ち尽くす。ソレはこの体を傷つけず、この体が放つ浄化の術もソレには効果がない。
――――――何故ならば、『獣』と『女神』は互いに相補う存在だから。
〈上なるものは下なるものの如く、下なるものは上なるものに似て。9つの頂点を抱く星よ。描き、散り、そして集え。月と太陽の婚姻の夜に〉
寒さでガチガチと体が震える。全身の神経が氷を流し込まれたかのように痛みを訴えた。『獣』は『女神』の体を傷つけない。ただ威圧し怯えさせるだけ。
『獣』の攻撃を避け損ね、ソーニャの肌が焼け爛れる。殺しきれなかった勢いに殴られ、アイシャの体が柱に叩きつけられる。圧倒的な力の前に嬲られ傷つけられていくふたりが見えていながら、凍りついた体は指先ひとつさえも動かせずにいる。
〈我、エカテリーナが望む幻、エカテリーナのあるべき形を手に入れよ〉
日輪が完全に月の影に隠れた瞬間、奴の詠唱は完成してしまう。
視界を白く焼き尽くす光が鏡の上空に収斂し、そこに現れたのは。
「リルハ!?」
いや、違う。リルハそっくりに見えるけど、あいつはあんなに背が高くない。それに、髪がリルハよりももっと長くて……金色、だった。蜜のように輝く黄金色は、『女神』しか持ち得ないはずの色。腰まで届く長いツインテールをゆらめかせ、リルハが成長したようなその少女は宙に漂っている。
「『リルハ』? ああ、お前達の連れの子どもか。ひょっとしたら血のつながりくらいはあるかも知れないな? 200年も経っていれば先祖など分からないが」
200年、という言葉に俺は引っかかりを覚える。そうだ確か、リーナの記憶ファイルの中で老人の亡霊がそんなことを口にしていた。女神の交替は200年おき、と。まさか……あの体は、未来から……!?
いや、今はあの体の正体なんてどうでもいい。それよりも。
「リーナ! リーナ、聞こえるか! お前なのか、リーナっ!?」
眠るように目を閉じたあどけない顔には、命の気配が見当たらない。かといって死んでいるとも思えず、言うなれば、中身の入っていない抜け殻のような。俺は絶望に襲われた。
「違う……あの体の中に、リーナはいない!」
「あの体の名前は『エイレイテュイア』。まあ、元の体が誰であろうと同じことだがな」
眠る抜け殻の替わりに答えたのは『カイタカヒト』の体の中にいる誰かだった。
「――――――次代の『女神エカテリーナ』となる者だ」
『獣』が歓喜の声を上げる。震動に建物が共鳴しハウリングを起こした。
鼓膜が破れそうなほどの大音量の隙間を縫って、情けない男の情けない声がする。
『タカヒトさんっ? タカヒトさん、聞こえますか! 術が、何かおかしくて! 力が歪んでるんです!』
「ああ、聞こえているよ博士。ご苦労様。術は成功した。……聞きたいんだが、本当に人間の仕立てたレプリカなんかで『獣』を騙せると思っていたのか?」
『ッどういうことですか!?』
「喜ぶといい、お前達のお陰でこの世界は存続できる。〈すり替え〉という術式は確かに役に立ったぞ。未来から私の古い体を呼び寄せることができた。あれをこの代の『女神』に据えれば『獣』に贄を与えることができる。儀式の礎となった彼女らの命は決して無駄にはしない。贄として『獣』に喰わせれば彼女らの魂は救われる」
告げられた高慢な計画に、倒れた小さな体が反応した。
「ダメ……しぇ、らぁ……」
息も絶え絶えのアイシャが最愛の姉の名を呟く。その手はもう、ナイフを握る力も残っていない。ぴくり、ぴくりと小さく痙攣する指が虚しく空を掻いた。
「さて、お膳立ては整った。では仕上げだ―――――『カイタカヒト』によって呪われろ、当代の『女神エカテリーナ』」
「なんっ……!?」
『俺』の手に不吉な緑色の光が集まる。凍りついた体は、逃げることを許さない。




