29. 鏡の国の迷子
あー……そうだったわ思い出した。俺とリーナの黒歴史。
幼すぎて何も分からずパニくっていたリーナと、これまた幼稚すぎて勝手に妄想突っ走らせた挙句勢い任せでキスしようとした俺。うわー痛い。痛すぎて引くわ。そりゃトラウマにもなるし思い出したくないし記憶に鍵もかけるわ。リーナの方だけじゃなくて俺の方も無意識にそうしてた。
ただ、この期に及んでひとつだけ言い訳させて欲しい。俺はロリコンではない。だってほら、当時の俺15歳で高1だし。13歳のリーナは何ら社会的問題なく真っ当に恋愛対象の範疇だと思うんだよね。
……その恋愛対象を追い詰めて泣かせたわけだけどな。
リーナはあんなやり方での「助け」なんて求めてなかった。ただ話を聞いて欲しかっただけなんだよな。混乱してて、哀しくて辛くて、でも―――逃げたいとは、考えてなかった。
ガキの俺にできることなんてあいつの話を聞いてうんうん頷いてやるくらいだったんだろう。リーナ自身の中で、ぐちゃぐちゃしたものに整理がついて立ち上がれるまで。だって本人が、折れそうな心の奥底で折れたくないって願ってたわけだからな。
(俺、何も分かってなかったんだなあ……)
記憶と知識と体は別物とはいえども、この思い出に関してはリーナの体の感覚と感情と情報が離れ難く結びついていた。だから『女神』と『獣』に関わる根幹的な情報だけは、リーナのデータファイルをいくら漁っても出てこなかったわけだ。
一番きつい記憶を既に見てしまった今、そのファイルに附属するフォルダは次々と容易に開くことができるようになった。たとえば『甲斐貴人』が鏡越しに異世界と通信できたのはじいちゃんの血筋のせいだとか、『エカテリーナ』というのが歴代の『女神』全員を指す名称で別にリーナだけの固有名詞ではないだとか。情報の洪水で溺れそうだ。
あの日、約4年ぶりにリーナが鏡の通信回路を開いた理由も分かった。その日はリーナが16歳になってから1回目の満月で、この代の『女神』がはじめて生贄の儀式を行うはずの日だったのだ。
はじめて『獣』と対面したリーナは恐慌状態に陥り、無意識の内に鏡の向こうの俺を呼んだ。親衛隊の連中はあんなんだし、親代わりだった亡霊のじーさん達はあの13歳の日を境に姿を消している。俺くらいしかいなかったのだ、あいつの声を聞ける人間は。
でも結局、俺はまたリーナの支えになれなかった。ごめん。ごめんなリーナ。唯一の友達がこんな奴で。自分で自分が殴りたいわ。俺マジでカス野郎だな。
「……だから、お前達がやったことは下準備としては正しいわけだ」
ふと、この世で一番聞きたくないカス野郎の声が耳に飛び込んできた。
そこで俺はようやく状況を思い出す。今の俺はリーナの体で、ということは『俺』の声で喋るこいつは俺ではないわけで、というか、そうだったこいつのせいで気絶したんだよ!
「でしたら、『加護を受けた者達』をもう一度連結して、充満したエネルギーを正しい受け皿に流し込めば術は作動するわけですね」
「話が早くて助かる」
即座に飛び起きようとした俺だが、もうひとりの声を聞いてぐっとこらえた。そういや博士、どうして戻ってきたんだ? 犯人は現場に戻るからか?
勿論そんなわけはなかった。
「わざわざこの土地に隠れて留まったってことは、あんたも術をやり直す気はあるんだろう?」
「ええ、それはもう。上層部には黙って独断専行してしまいましたし、どうにか挽回しなければ自分も仲間もアカデミアには戻れませんからね」
(なんっ……!!)
驚きのあまり声も出なかった。博士はあの術式をまたやり直すつもりなのか!?
「しかし、正しい受け皿になり得る人間の選定には時間がかかりそうですね……『加護を受けた者達』の中で特に『女神』に近しい者、『加護』の強い者となると」
「それは問題ない。受け皿の体は、私が用意しよう」
色々と言いたいことはあるが、耐えろ俺。気絶したままの振りをしてできるだけ話を聞きだすんだ。この阿呆どもの企みを先回りして止めてやる。今度こそ俺は間違えない!
「ほう? 当てがおありで?」
「ああ。実は今のこの体は、他人から借りているものでな。私本来の体は遠いところに残してある。それを使え。この世で最も適切な受け皿になる。保証しよう」
「ではその体の持ち主は……貴方様は、ひょっとして死霊遣いですかな」
ふざけんな俺はまだ死んでねえ! その体も死体じゃねえからなちゃんと俺に返せよ!?
「まだ死んではいないさ。ただ、この世界の不幸は8割方こいつに責任があるからな。ツケを体で払ってもらうくらい、構わないだろう?」
構うわボケ! 俺が何をしたってんだ! お前ちょいちょい俺に謎の義憤ぶつけてくるよな!?
こいつの意図も、正体も、リーナの持つ情報は全て読めるようになったというのに皆目検討もつかないままだ。一体俺に何の恨みがあってこんなことを。お前誰なんだよいやマジで。
「もうすぐだ。蝕の日には女神神殿に私の体が到着する」
「蝕の日。7月16日の皆既日食ですか。あまり時間がありませんが……ああ、なるほど。確かにその日なら相応しい。夏至の日よりも強く『女神』と『獣』がつながる日ですね」
「割り込むには最適だろう?」
確かに、と頷いた博士はさっさと書庫を退出した。仲間に連絡でも取りに行ったのだろう。
だが俺はもうそっちに注意を払っていなかった。重要なのは博士の計画云々じゃない。7月16日に『俺』の体を乗っ取ったこいつの本体が神殿に到着するってとこの方だ。つまりそれって、こいつの体に入ってるリーナが神殿に来るってことじゃないのか?
どういう方法を使っているのか知らないが、『俺』はどうやらリーナの行動を予測できるらしい。あるいは何らかの形で操作しているのか。リーナが神殿に来るのは確定事項のように喋っていた。
「タカヒト、いつまで寝ているつもりだ? ……まあ、その内起きるか。気絶したのは予想外だったが。この代の『エカテリーナ』は男性恐怖症だったのか?」
うるっせえな恐怖症っつか過去の俺が植えつけたトラウマのせいだよ蒸し返すんじゃねえよ!
倒れたままの『リーナ』を放置してあっさり立ち去った『俺』。鬼畜か。足音が完全に聞こえなくなるのを確認し、俺はガバッと起き上がる。その足で階段を駆け上り、向かった先は魂を奪われたまま眠り続けるシェイラの寝室だった。
だだだだだ、バタン、だだだっ。
「アイシャ!!」
「え、な、何、リーナさ、……!?」
突然勢いよく抱きついた俺に、アイシャが目を白黒させて驚く。見た目はただの美少女だが、お前も男なら分かるよな、アイシャ!
「俺は男性恐怖症なんかじゃない!」
「は……?」
だからお前に抱きつくのも平気だ。多分普通に男の格好した野郎にも触れる、俺がリーナにそんなことして欲しくないから断固やらないけど。
「神殿に行くぞアイシャ、仕度しろ!」
「えっちょ、何言ってんのリーナさん、今シェイラ動かせる状態じゃないしリルハちゃんだって」
「こいつらを助ける、つかこれ以上利用させてたまるか!」
「!! ……何か、分かったんだね?」
ぐっと声を低くしたアイシャに、力いっぱい頷いてみせる。シェイラもリルハも、他の人間も助けて、あいつらの計画を止めて、そして俺のリーナを取り返す!
はやる気持ちを押さえ、出立は翌早朝となった。
眠り続けるシェイラやリルハのことはジョイス令嬢に預けることにした。お任せ下さい、と快く了承してくれた令嬢は更に、お気をつけて、とソーニャの手を握っていた。どさくさに紛れて何しとんじゃい。そしてソーニャがちょっと照れてるのは何なの。いつの間に新婚かよ。
一方ファティマの抱擁にそんな色合いは全くなかった。こちらは純粋に、旅立つ子ども達を心配するお母さんの顔だ。そりゃ心配にもなるか。大急ぎで端折って説明したものの『女神』とか『獣』に関する前提知識がそもそも違う以上、あんまり正確に伝わったとは思えないしな。
けど悠長なことは言ってられない。日食の日までに神殿に帰り着こうと思ったら幽霊馬車の最速で飛ばしてもぎりぎりなのだ。正確に言うと、ルドルフとお化け馬だけならもっと早く着けるが、生身の人間が耐えられる速度では、ってこと。
「リーナさま。……無理、しないで下さいね」
「大丈夫だよサキヤ、俺を信じろ。留守は頼んだぞ?」
「はい……っ」
涙ぐんだサキヤがぎゅうっと抱きついてくる。控えめなこいつにしては珍しいくらいストレートな感情表現だった。何かこう、胸にじんと来るもんがあるなあ。
いや死亡フラグではない。断じてない!
残留組と別れてから丸一日。日が暮れてしばらくしてから馬車を止める。一般的な旅なら日暮れ前に止まるのが常識だが、このメンバーだし事情も事情だ。普通の用心は必要ないと言えた。その日の内に、幽霊馬車に乗った少数精鋭は北の森の西端に到達していた。
蝕の日まで、後7日。
森の向こうでリーナが待っている。




