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1. 少女がまだしあわせだった頃の最後の日

2017/02/07 改稿しました。

 ひぃ……っく、ひぃ……っく


 な、何だ何だ……!?


 すすり泣くような声に、惰眠を貪っていた俺は泡を食って飛び起きた。時刻は初夏の昼下がり、寝るしかないだろってくらい心地良い陽気の中だった。大学2年生、中だるみの季節。こんないい天気に自主休講せずして何が大学生か。


 ひっく、ひぃいっく……!


 そんな昼下がりにいきなりホラーである。俺は嫌な汗をかきつつ音の出所を探した。


「くっそ何だよ…………あ」


 見渡した視線の先に、こたつ布団で雑に覆われた鏡を見つけてしまう。後ろめたさもあって俺はつい目を逸らした。このまま聞かなかったことにして二度寝しようそうしよう。が。


 ひぐっ、えぐぅっ!


「だあああーーっうるっせぇ!!」


 泣き声は激しさを増し、応答せざるを得なくなってしまった。およそ4年ぶりにボロ布を取り除ける。そこには、記憶にある通りの彼女がいた。


「ひぐっ……ぁ」

「……よぉ」


 気まずさを覚えつつ敢えて軽めに挨拶してみる。

 いや、厳密に言うと記憶通りではないな。10代後半、まだまだ成長期ってことか。彼女は俺が覚えている姿よりも数段綺麗になっていた。なんつうの、もう世界がひれ伏しちゃうレベルの美人。流れる金髪はより艶やかに、涙に濡れた紫の瞳はより鮮やかに。青白いくらい白い肌に少し赤く腫れた目元が色っぽい。小柄なりに背も少し伸びたか。もうひとつ、ぐっと大人っぽく成長しているパーツもあったけどこれは自重する。


「……タカヒト?」

「おぅ、うん、久しぶり、リーナ」


 驚いたように大きく目を見開くと途端に顔つきが幼くなって、俺の知る彼女なのだと改めて確信する。やっぱり可愛い。大人っぽく成長したとはいってもどっちかというと綺麗系ではなく可愛い系だ。


「た、タカヒトだ」


 はいそうですよ甲斐貴人(19)大学生ですよ。俺の顔を確かめ、肩で息をしつつエカテリーナ・苗字知らない(16)自称『女神』(何のこっちゃ?)が勢いよく顔を背ける。


「な、泣いてるとこ見るなんて最低っ」


 そりゃそうなるだろうね! 女子の泣き崩れ顔なんて見るのはマナー違反だし、そもそも俺ら大喧嘩して絶縁中だし。リーナの中の俺イメージが最低クズ野郎なのはあの日から変わっていないようだ。悲しみ。


「ちょっと、は、早く出てってよ!」

「ここ俺の部屋なんですけど!?」


 すわ喧嘩の再発かと身構えた、その時。


 ぞわり。


「……!?」


 全身が強烈な悪寒に襲われた。得体の知れない冷気が鏡の向こうから噴き出している。

 見ると、リーナの立つ広間の風景が急激に変わり始めていた。血飛沫のようなどろりとした液体が四方八方の床から噴き出す。ステンドグラスから差し込む日差しが遮断される。白い石壁は瞬く間に姿を消し、そこは赤黒い歪な空間と化した。


「……ぁ」

「な、何だこれっ!?」


 俺は背中に滲む脂汗を感じた。鏡の向こうの光景が妙にリアル過ぎて、自分の部屋までもが血の色に侵食されるような気がしてくる。


『『『『『『贄を捧げよ』』』』』』


「……!?」


 声が聞こえた、なんてもんじゃなかった。『向こう』に響き渡った大音量は、ビリビリとガラスを震わせて『こっち』にまでハウリングを起こす。男も女も老人も子供も入り混じった何十人もの声が壁や床に反響し、空気の波に全身が揺さぶられた。


『『『『『『女神よ、我に贄を捧げよ』』』』』』


「ひ……ぃ」

「え」


 引きつった声にぎょっとした。声の主はへたり込んでいる金髪の少女。よく見るとリーナの顔は酷い汗をかいており、自分の体を抱きしめる指先がガタガタと震えていた。青白いと見えた肌はどうやら青ざめているのだった。


「ちょ、おいリーナっ?」


 極限まで見開かれた紫色の目はどこか遠くを凝視している。その赤黒い空間の先に恐ろしい化け物がいるかのように。


「だ、だめ、ダメ……っ、食べちゃ、ダメ……!」


『我は飢えた。我は喰らわねばならぬ』


 俺は男の声が聞こえた方向、つまりリーナの左手を見る。そこには青い長髪に黒っぽいローブを着た陰気そうな兄ちゃんが立っていた。いや誰やねん。


「ダメ……! お願い、食べないで!」


『世界の柱は欠けてはならぬ。欠けは補われなければならぬ』


 今度は右手斜め前から女の声。キツそうな声の通り、簡易鎧に両手剣をぶら下げた武闘派っぽい赤毛の姉ちゃんが。だから誰。


「き、えてっ、消えて!」


『女神よ、抗うな。我はそなた。そなたは我』


 いつの間にか真正面にいた白髪の老人がしわがれた声音で言う。え、女神……ってリーナのことか? ただの自称じゃなかったのかよ。


『女神よ、分かっておろう。我は世界。世界はそなた』


 その隣に同じく白髪の老婆が立つ。厳しそうな老夫婦の唇は引き結ばれ、少しも動いていない。『声』は亡霊のような『誰か』の方向から響くが、どれひとつとしてその『誰か』が発している言葉ではないようだった。人影達には実体が感じられず、そこにいるのにいないとしか思えない。


「違う、違うっ……! 私はっ、あなたなんかと同じじゃない!」


『女神よ。そなたが受け入れねば世界の柱が倒壊しようぞ』


 骸骨のように痩せこけた僧形から『声』がした。だがリーナはそちらではなく、もっと上の虚空を必死に睨み続けている。次々に現れる人影は一体何なのか。彼らの方を見ない彼女は誰と闘っているのか。


「じょ、浄化、浄化の力を……っ」


『愚かな。この世の理の内にある者は我に逆らえぬ』


 宝冠を被った貴族風の男は半ズボンのガキを抱いている。やはりそちらを見ることなく、リーナは虚空を見据えて乱れた呼吸を精一杯整えようとしていた。すう、と浅く息を吸った金髪の少女の喉から、細く鋭い声が放たれる。


〈世界の『獣』の飢餓を、祓い清めよ〉


 キュィイイイイイイイイ!!!


 リーナの体から純白の光が湧き出し、彼女が見つめる上空に向かって飛んでいく。それは言葉の通りに清らかな光だった。

 が。


『女神よ。愚かなことを』


「キャアッ!?」


 光は虚空の何者かの手で跳ね散らされ、衝撃波に襲われてリーナが尻餅をつく。


「う、うそ……!」


『『『『『『女神よ、我に贄を捧げよ』』』』』』


「ヒッ……ぁ、ぁ、ぁ」


 引きつけを起こしたように喘ぐリーナの全身が震えている。己の爪で引っかかれて白い腕には血が滲んでいた。恐怖に歪んだ顔は美少女の面影を壊してしまうくらい酷い様子だった。


 もう、見ていられない。


「リーナ!!」


 ビクッ!! 渾身の大声で呼ぶと、華奢な体が一瞬竦んだ。注意が逸れたその隙を逃さず、俺は鏡の木枠をガンガンと拳で叩く。


「こっちだリーナ、俺を見ろ!」

「た、たか、ひと……?」

「来いリーナ!」

「たか、タカヒト、タカヒト、た、か、ひとっ……!」


 殆ど転がるような状態でリーナがこちらに倒れこんでくる。


「……大丈夫だ、リーナっ、俺が助けるから!」


 何一つ知りもしない癖に随分とこっ恥ずかしい台詞を吐いたもんである。

 小さな手をこちらに引き込むように手を伸ばす。感じ取れるはずもない体温をガラス越しに感じたと錯覚したその瞬間。


 カッッッッ!!!!!!!


 鏡が眩しく光を放った。懐かしいいつかの頃と、同じ光。そうして視界が奪われ、体がふわりと浮いたような感覚があって。



 ……気がつくと俺は白いドレスを着て広い円形の空間に立ち、見知った狭い部屋を大きなガラスの向こうに眺めていた。部屋以上によく知った顔が、『あちら側』から俺を見ている。


「なんっじゃこりゃあー!?!?!?」


 俺の喉から出た絶叫は鈴を振るような愛らしい美声。泣き腫らした目元がヒリヒリとリアルな痛みを訴える。

 鏡の向こうの『俺』は、19年間の人生で一度も作ったことのない無垢なきょとん顔をしていた。


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