27. ブラック・アウト
あの事故から既に2週間が過ぎた。7月に入っても尚、シェイラは目を醒まさない。
そしてもうひとり。
「……サキヤ。もう、寝な。お前まで体壊してどうすんだ」
扉を開けると案の定ベッドに張りついていたサキヤがこくんと頷いた。この2週間でやつれ憔悴した幼い顔が痛々しい。朝も夜もリルハの目覚めを待って、その体から離れようとしないのだ。
幻術使いであるサキヤには、本当は視えているはずだ。友人の小さな体は空っぽだということが。精神体の引っこ抜かれた抜け殻をいくら見守ってもリルハが戻ってくるわけはないということが。それでも側を離れない。大人びて見えるからうっかりしていたが、こいつもまだちびっ子なのだった。
(……ごめんな。リルハ、守ってやれなくて)
軽々しい「ごめん」は口にできず、俺は黙ってサキヤの頭を撫でた。傷んだ碧緑の髪がちくちくと痛かった。薄い肩を抱いて寝床に押し込む。流石に疲れていたのだろう、サキヤはすぐに眠りに落ちた。
灯りを消して廊下に出ると、ファティマが待っていた。
「何か分かったのか?」
「ええ。と言っても、解決につながるような情報は、何も。―――どうやら被害者はあの場に居合わせた者に限らないらしい、と」
小声で尋ねると黒髪の少女が困ったように眉を寄せて答えた。嫌なニュースに俺も顔を顰めてしまう。
芸能者組合の情報網が伝えてきた話は暗澹たるものだった。曰く、あの夏至の夜、世界各地で『女神の加護』を受けた「金髪」の人間が意識不明の状態に陥った。報告数は増え続け留まるところを知らない。医師、魔術師、祈祷家が様々な説を立てているが今もって原因は不明。
はじめ、最も多数の報告が上がってきたのは南部の大きな港町だった。同日、不吉な緑の光を目撃したとの証言も見られる。それから続々と上がる被害報告の地名を知って俺が泣きたくなったのは言うまでもない。因果関係に気づいたのはきっと世界中で俺ひとりだったろう。どの場所も例の鏡が安置されている地域だったのだ。
(いや、もうひとり……3人、いるよな)
少なくとも「犯人」達は大災害の真相を知っている。鏡を割った張本人と、術式を起動したふたり。その内のひとりは夜が明ける前に姿をくらました。発覚を恐れて保身に走ったのか、それともはじめからそういう手はずだったのか。今となっては分からないし彼の行方は問題じゃない。探したところであの白髪の博士が打開策を持っているとは思えなかった。術の媒介となる鏡が割れているのはどう見ても想定外の事態で、博士はそれに対応できなかったのだから。
「引き続き組合を通して情報収集に努めますわ」
「うん、ありがとう。あと、アイシャのこと」
ご心配なく、と気丈に微笑んでファティマは自室に戻った。座員の中にも数名被害が出たからお母さんは大変なはずなのに、何も支えになれない自分が悔しい。いやそもそもそんなことを言える立場ですらないのか。片棒担いだわけだしな。クソ。
サキヤでああなのだからシェイラべったりのアイシャがどんな状態かは推して知るべしである。げっそりと幽鬼のようになっていて、そろそろ人間やめそうだった。と茶化したら「あー……それもいいかな……」と虚ろに呟かれて真剣に後悔した。せめて怒って元気になってくれたらまだ救われたのだが。
「ん? そういや……なんでアイシャは無事なんだ?」
現場にいた『女神の加護』の関係者というならシェイラに負けず劣らずの距離にいたはずである。ふたりの命運を分ける何かが、シェイラとアイシャにあった? あいつらの違いって何だ?
部屋でひとり考えても答えが見つからない。何がどう作用して、どう歪んで、どこを解きほぐせば捕らわれた人々を取り戻せるのか。情報が圧倒的に足りなかった。
俺は立ち上がり、知識を求めて再び地下書庫への階段を降り始めた。
白髪の博士が探っていた辺りの棚に目星をつけ、関係のありそうなものを片っ端から読む。ここ2週間の成果で本棚ひとつ分をそろそろ制覇しそうだった。殆どは百年以上前の手書き文書だ。リーナの知識がなければ1行も読めなかったに違いない。テスト前ですらこんなに本を読んだことのない俺には頭痛が起きる。勿論そのせいだけではなく、俺自身も思った以上に疲弊していたのだろう。
「―――きろ。おい、起きろ、タカヒト」
呼ぶ声に我を取り戻し、俺は自分がうたた寝していたことにはじめて気づいた。
呼ばれるはずのない名前。その音にびくりと反応し、俺は勢いよく椅子を蹴倒して立ち上がった。寝起きで急に動いたせいで脳がくらくらしてふらついた。
「―――触るな!」
それでも、えらく紳士的に差し伸べられた腕を全力で払いのける。ぶつけるようにして背中を本棚に預け、俺は声の主を睨んだ。こいつだけは、こいつだけは……!
「へえ、随分と活きのいいご挨拶じゃないか」
「何しに来たんだよッ!? もう知ってんだろうが、お前のせいで、何が起きたかッ」
掠れた声で叫ぶと『俺』がさも不愉快そうに眉を顰めてみせた。
「お前のせいで、ねえ……本当にそう思うのか、タカヒト?」
「ぐっ……」
嘲るような問いの意味が分かってしまい、俺は答えに詰まる。
神殿の鏡を砕いたのはこいつだ。だけどそれを知っていながら博士に伝えず、起こり得る可能性について考えもせず、むざむざあんな事態を招いた間抜けは俺だった。殆ど八つ当たりに過ぎないのは見透かされているのだろう。腹が立つ。
「ま、そんなに悲観したものでもないさ」
肩を竦め、『俺』がふと空気をやわらげた。
「お前は術が失敗したと思って躍起になっているんだろうが、実のところあれで正しいんだ。よくやってくれたよ、お前も、アカデミアの連中も」
……こいつは一体、何を言ってるんだ?
「お前は黙って見ていればいい。後は、ッ!!」
カタン、カタン。
硬い靴の底が段を降りる音がした。
「―――誰か、いるんですか」
(博士!? 何故だ、戻ってきたのか!?)
咄嗟に声を出そうとした俺の口を、男の大きな手が塞いだ。その腕が俺の全身を捕らえ、書棚の隙間へと引きずり込む。狭い空間で『俺』の体と密着させられた瞬間、自分の意思とは関係なしに『リーナ』の体が硬直したのが分かった。
(……嫌だ)
ぞわりと鳥肌が立つ。
不快な脂汗が滲む。
手足が震えて言うことを聞かない。
(これ、いやだ)
体が覚えている恐怖。
――――――イヤダヤメテオネガイ――――――
「……? おい、どうしたタカヒト」
背をかがめた『俺』の顔が間近に迫る。その角度さえもあまりに「そのまま」過ぎて、涙に歪んだ声で俺は相手を詰った。
「―――ぇよ」
「は?」
聞き返そうと更に顔を近づける『俺』に掠れた声で精一杯叫んだ。
「4年前の俺とっ、同じことやってんじゃねえよ……!!」
硬く閉じられていた黒いデータファイル―――リーナの「思い出したくない記憶」が開く。
俺の意識は闇の底に落ちていった。




