24. 正義の味方、世界の敵
朝食の席に座るジョイス嬢は妙に艶めいた疲労を漂わせていた。しっぽり湿った気だるげな吐息が不可思議な悩ましさを湛えている。……ってぼかすのも意味ねえか。身も蓋もなく言うと要するに情事の翌朝ですよね。
「……何かヘンなこと考えてるでしょ。これだから男は……!」
「いて、痛いシェイラ」
お色気令嬢をチラ見する俺の足の甲を、シェイラの爪先がぐりぐりと痛めつけてくる。ご令嬢に気づかれないよう小声で罵ってくるのは配慮なのか何なのか。
ちなみにソーニャは今ここにいない。ひとりで素振りするそうです。散れ煩悩、とか青空に向かって叫んでた。いやー青春やなあ(他人事)。
しかしこれはチャンスかも知れん。この状態ならご令嬢にお願いがしやすいかも。
「ジョイス嬢、じちゅはたってのお願いがありまして」
「まあ、何なりと」
噛んでない。噛んでないよ?
「ここの領地の外れに、祠がありますよね?」
よし。噛んでないという態で乗り切った。隣のジト目は気にしない!
「祠? ああ、カガミヒメを祀った祠ですわね? ございましてよ。ちょうどいいわ、お姉様方。是非、カガミヒメの祭をご覧になって下さいましな。あの祠、普段は不可思議な力で封じられていますのよ。でも夏至の晩だけは封印が解けて中に入れますの」
どうぞそれまでこの城に泊まっていらして、と言って令嬢は微笑んだ。
願ってもない申し出である。無論できれば今日にでも鏡と対面させて欲しいところだが、どうも令嬢の口ぶりから察するに人力では祠の封印が開けられないらしい。……ソーニャと俺がいればぶっちゃけ実力行使で無理やり開けられそうな気もするが、別に好き好んで揉め事起こしたいわけじゃない。夏至の日まで幸いにして後1週間程度とのこと。それくらいなら待てる。
問題は同業者と揉めたくない一座の方だ。と思って俺はシェイラ達の表情を盗み見る。3人の間で何やらアイコンタクトらしきものが行われ、返事をしたのはファティマだった。
「まあ、素敵なお話。喜んでお言葉に甘えさせて頂きますわ」
え、いいのか?
彼女らの間でどんなやり取りがあったのかは分からないが、それでそういうことになった。
おじいさんは山へ芝刈りにおばあさんは川へ洗濯に、ソーニャは素振りにシェイラ達は商売道具である楽器の手入れに勤しんでいる。俺だけがにーとなので暇つぶしに田舎貴族の城をうろついてみた。
地下へ通じる階段を降りて行くと、広大な書庫だった。あるわけないと思いつつ「薄い本ないかなー」とか探してしまうのが俺の哀しい性である。勿論なかった。真面目な文書と真面目な本しかない。
ちなみに文字を判読しているのはリーナの「目」と「知識」であって俺ではない。ただその情報が俺の精神体に送られてくる、というプロセスはデータファイルに説明書きがあったが何度読んでもいまいち理解不能だった。リーナの勉強した知識は賢いリーナの水準に合わせられているので俺の能力ではしばしば暗号も同然になる。ごめんな勉強嫌いで。
「……何かぶつぶつ聞こえるな」
声のする方にこそっと近寄ってみると、そこには如何にもお勉強の好きそうな白髪頭がいた。件の、アカデミアから来た博士先生である。
(あんた……地下書庫、似合うなあ……)
黴臭さといい薄暗さといい、このじめっとした空気がとてつもなくフィットするお方であった。
「そうだ……我らの予測が正しければ、この辺に……あった、これだ」
埃を舞い散らせながら博士は棚から古文書を取り出した。ぼそぼそと声に出して読み始める。
「ふむ、やはりそうか……鏡がなければ、『女神』は『獣』を抑えられない……」
(――――――え)
柱の影で、俺は凍りついた。な、何の話だ……!?
「鏡が『女神』-『獣』制を支える補助具なわけだな、だとするとやはり鏡を柱に……いや待て、それではバランスが傾く……むしろ……」
鏡。『女神』。『獣』。―――――生贄。
我に贄を捧げよ、と告げた亡霊達の声が耳に甦る。
「9枚の鏡、そうか最後の1枚はここに……星図に則っているわけか。では図式をそのまま拝借して、〈―――――〉こうか? ……いや、〈―――――〉……これも違うな」
博士が小声で術式を詠唱し始める。試し試しやっているようで、詠唱に何らかの効果が付随することはなかった。それでも俺はその度に、全身にぞっとする寒気を感じていた。
あれは、この体に影響を及ぼそうとしている―――――。
「〈―――――〉……あった、これがアタリか」
6つ目か7つ目に彼が唱えた式、それと同時に襲ってきた悪寒に耐え切れず、俺は思わず膝をついた。
側の脚立がカタンと軽い音を立てた。
「―――――ッ誰だ!?」
一か、八か。俺はぐっと息を飲み込んだ。
「ああ……お邪魔してしまってすみません、博士。急に明るいところから来たもので、眩暈が」
額に手を当ててみせ、か弱いお嬢さんを装う。よろめいたのは事実なので演技は迫真だった。目の前の男の警戒が緩む気配。よし、賭けには勝った。
「ああいえいえ、構いませんとも。良ければこちらで掛けられませんか?」
存外紳士的に椅子を引いてくれた博士に、有り難く乗っかることにする。それからさも偶然目に入ったという風に、机の上に広げられた資料に興味を示してみせた。
「まあ、難しそう。何を見てらしたんですか?」
ふむ、と首を傾げちょっと思案してから博士は口を開いた。
「ええとね。リーナさん、とおっしゃいましたっけ。この世界を支える『女神さま』と『獣』のことはご存じですよね」
「ええ、それはまあ」
どこまで話していいものか、と思案するのはこちらも同じだった。何せ俺にとってその辺の知識は『女神さま』本人から仕入れたものばかりだ。一座の人間やソーニャ達と喋っているとどうにも一般人の認識とはかけ離れている節がある。加えて、あの黒いファイルの問題もあった。開けないファイル、足りない情報。俺はどこまで知っているべきで、どこから知らない振りをするべきなのか。
こちらにとっては大変都合の良いことに、博士はひとつ頷くと勝手に喋り始めてくれた。
「ま、この世界の人間なら誰もが知っていますよね。世界は天に属する『女神』と地に属する『獣』との均衡によって成り立っているわけです。冥府の土から生まれた『獣』はヒト族の生贄を際限なく求める、けれども天上の光から生まれた『女神』がこれを抑制することによって、生贄は毎年僅かひとりで済んでいる、と」
ふむふむなるほど分かりやすい。俺はこの世界の人間じゃないから全く知らなかったが、それが一般の認識なわけだな。それでそれで?
「勿論これは我々にとっては有り難い話です。犠牲は少なければ少ないほどいいのですから。……ですが、もっと少なければ尚のこと良いと思いませんか?」
思わせぶりに間を取る博士。どうやら他人に講釈するのが大好きな根っからの教師気質のようだ。
「そこで、我らアカデミアのプロジェクトチームが目をつけたのがこれです」
そう言って机の上の図面を指差してみせる。それはこの大陸ともうひとつの大陸を描いた地図だった。太い線で示された大街道が大陸を東西に横切り、その北部には樹木を示す記号。南西部を覆う記号が示すのは砂漠である。そして、ふたつの大陸のあちこちに、青のインクで記された五芒星が、9つ。
「今朝、ここの領地のカガミヒメの話をされてましたでしょう? 実はあれの姉妹品があちこちにあるんですよ。この青い星印の箇所なんですけどね」
誰もいない地下書庫なのに、博士はぐっと声を潜めた。
「我々の研究結果によるとですね、この9枚の鏡こそが『女神』と『獣』をつなぐ、いわばゲートになっているんです。鏡を通して『女神』は『獣』に神力を送り込み、少ない生贄で満足させるわけですね」
公式には未発表なので内緒ですよ、と囁く博士が何となくうきうきして見えるのは気のせいだろうか。こっちから話させといて何だがそんなんドヤ顔でバラしちゃっていいもんか? ……まあ象牙の塔の事情なんか知ったこっちゃないが。
「ふふ、そこで我々研究チームは考えたわけです。ならばこのゲートから更なる力を流し込めば、生贄の数はもっと減らせるのではないか? そして究極的にはゼロにできるのではないか?」
ドクン。大きく心臓が跳ねた。開けないままの黒いファイルに、指先が届いてしまいそうな気配。
贄を寄越せ。亡霊達にそう責め立てられて泣いていたリーナの顔が脳裡をよぎる。俺には人間の亡霊にしか見えなかったあの『声』が、リーナにとっては『獣』だったらしい。誰も食べさせたくなんかない、と言って心優しいリーナは泣いたのだ。
―――――もし、そんな役目をあいつにさせずに済むのなら?
「……力を流し込む、とは具体的には……?」
声が震えなかった自信はない。
「そう、そこが最大の難問ですね。無論、ただ魔術師が何らかの術を行うだけでは効果が見込めません。『女神』が『獣』に拮抗し得るのは『女神』の『女神』としての特性ありきなわけですから」
膝を打って得々と白髪頭が喋り続ける。一言も聞き漏らさないように、俺は手をぐっと握りしめて震える体をこらえた。
「そこで彼らの出番なわけです。金髪の子ども達……『女神』の特別な加護を受けた子達。彼らは言うなれば『女神』自身の影です。我々の開発したシステムを使えば、あの子らの中に眠る『女神』の欠片を覚醒させることができます。ひとつひとつは小さな欠片でも、いいですかこれが人間の力ですよ、小さな欠片をたくさん集めて力を合わせれば、強大な何かに対抗し得るのです」
興奮のあまりか博士は立ち上がり、行ったり来たりしながら熱弁を振るい続ける。
「たくさんの欠片を集めて大きな『女神』の影絵を描きます。そうして多数の窓口から生贄を、これも断片として『獣』に与えることにより繰り返しと細分化が認識に誤作動を起こさせ、即ち。『獣』は錯覚を起こすようになります。ひとりの生贄を百人に、そして千人に。このプロセスを繰り返せば理論上、たとえば髪の毛一束などのパーツを与えるだけで『獣』を満足させておけるのです」
老人のような白髪の男の眼は、まるで夢見る少年のように輝いていた。
「我々はこれを、〈レプリカ・プロジェクト〉と呼んでいます。『女神』の模造品で『獣』を騙すわけですからね」
ひりひりと乾く喉に唾を飲み込み、口にする。
「―――――何か、協力できることはありますか」
多分、最良の選択肢を取ったつもりだった。
俺はもう一度リーナの笑顔に会いたかったのだ。




