22. 助けたい、助からない
慣れない旅路に疲弊しつつ、1週間余り。ようやく村から最も近い街に入った。見たこともない程の人だかりに私は酷く戸惑う。『女神エカテリーナ』としても農奴の子『テュイ』としても、こんなに大量の人間を目にしたことはなかった。農奴は彼らの生まれ育った農村を出ることが殆どないし、女神が神殿から外に出ることもそれと同じくらいにない。
タカヒトといる時間だけが彼女にとって『外』の世界だった、と想いかけて私は頭を振った。駄目だ、感傷に引きずられるな。もう「彼女」ではない。『女神エカテリーナ』は私自身だ。
私がタカヒトを探すのは彼女の―――――違う、私の感傷のためではない。この世界の『女神』として、私には果たすべき務めがある。そう言い聞かせる自分の隣に、彼との再会を望む幼い『リーナ』がいるような気がしていた。わざわざ自分に言い聞かせなければならないというのは詰まるところそういうことなのだろう。けれどもう、期限が迫っている。甘ちゃんの『リーナ』でいられる時間は終わりにしなければ。
「……綺麗な旅人さん、こんなところに何の用事?」
大通を外れ細い路地に足を踏み入れると、道の脇にうずくまった薄汚い子どもがのそりと顔を上げた。元は明るい茶色だったと思しき髪が垢と皮脂汚れに黒っぽく固まっている。農村の子どもの方がまだしも清潔かも知れない、と考えながら定められた返事をする。
「〈神々の下僕に用事がある。災いの長を呼んでくれ〉」
子どもがはじかれたように立ち上がった。こちらの全身を値踏みする視線でじろりと睨み、応える。
「〈災いの長は昼寝中だ〉……本当にお客さん?」
私は苦笑して頷いた。疑い深いのは賢いことだ。特にこんな場所においては。
子どもの後をついて歩を進めるにつれ、周囲が次第に暗く湿っぽくなっていく。生ゴミと排泄物と脂、それに吐瀉物の混じったような匂いが漂い始めた。ここはいわゆるスラム街だ。案内人の子どもと同じように汚れて痩せこけて無気力な人間がちらほらと見受けられた。本来は明るい色をしていたであろう髪が、やはり汚れと垢にもつれて固まっている。
彼らの元締めであるはずの老人も、彼らと同じような身なりをしていた。但しこちらはおそらくただの擬態だ。どこかとってつけたような、その身に馴染まないみずぼらしさだった。
「何用かね、お客人。……この界隈には似合わん顔だ」
「北の森の盗賊に取り次ぎを」
老体の軽口には取り合わず、要件だけを簡潔に告げる。灰色の眉がぴくりと動いた。
「……身ぐるみ剥がされてまで成し遂げたいお使いかね」
黙って頷く。勿論言葉通りのつもりはない。こちらにも、老人にも。彼は盗賊と渡り合う覚悟と技量について尋ね、私もそれに是と答えたのだ。問いの中身を勘違いしなかったのは目つきで伝わる。
「似たようなお宝を抱え込んでおる奴など他にもおろうに」
老人はやれやれと首を振った。
私とて他の道を考えなかったわけではない。計画に必要なのは、あの鏡だ。タカヒトと『エカテリーナ』をつなぐ媒体。あれは複数あるし、最も確実なのはおそらく神殿に安置された1枚だろう。
ただ、『エカテリーナ』の『知識』が森に向かえと告げていた。今、神殿の大鏡は既に人知れず砕かれて機能しなくなっているはず。だから私は神殿ではなく北の森の盗賊が所有する鏡を目指すことにした。王宮や他の場所よりはまだ近づきやすい。
老人は不承不承ながら取り次ぎを約束してくれた。礼を言いその場を立ち去ろうとした私の背中に、ぽつりと呟きが落ちた。
「その髪。お前さんも『女神』の関係者かね」
何のことやら分からぬという素振りを貫くべきだったのかも知れない。けれど私ははっきりと立ち止まってしまい、それは肯定も同然の反応だった。
「そいつは碌な人生にならんな。……見ろ。ここの連中も皆同じだ」
声も出せないまま、私は戦慄した。
薄汚れてもつれ固まった、もとは茶色だったと思しき髪。―――このスラム街の人々は大半がそんな髪をしていた。この世界で『女神の加護を受けた者』と呼ばれる、金に近い明るい茶色の髪だ。偶然ではない。偶然のはずがない。……何が、起きた?
「そうさな、『女神』の紛いもんを、ヒトの手で創ろうとした馬鹿者どもがおってな……」
老人の昔語りを、私は背中で聞いた。
『加護』を受けた少女をたくさん集めた愚か者の話。
偽りの力を与えられて思い上がったたくさんの愚か者の話。
しかし偽りは偽りでしかなく、神になり損ねた彼女らは落ちぶれてこの街に流れ着いた話。
全てはほんの2ヶ月余りの間に起きた、と言って老人は話を締めくくった。
「ここにおるのは紛いもんの成れの果てどもよ」
「……勉強に、なりました」
偽りの『女神』をヒトの手で創る。私がのうのうと意識を眠らせていた間にそんなことが起きていたのか。人間というのは時としてとんでもないことをやってしまうらしい。
―――計画を変更しよう。私は口車に乗せられた愚かな彼女達さえも、救いたい。
この身の犠牲など厭うまい。それがこの世界の『女神』として生まれた、私の務めだと思うから。




