0. 少年がまだ幼稚だった頃の淡い想い出
ガキの頃から異世界と交信できていた。
……って言ったら何人くらいが信じてくれるだろうか?
誰も信じないかも知れないな。
自分でも一時期疑ったことがあった。
小1の時だったと思う。迂闊にもクラスメイトに『ちがう世界のひとと話せるカガミ』のことを喋ってしまい、それはもう馬鹿にされたのだ。
多感な年頃の少年は言われてみると確かにおかしいのかも知れないと思い始め、鏡と会話している自分がとてつもなくガキ臭く思えて恥ずかしくなって、実際そう口にした。
そしたら、彼女はあろうことか鏡の向こうから出てきてしまったのだ。
『じゃあショウメイしてあげる。モウソウなんかじゃないって』
聞き慣れた鈴のような声が言って、鏡が光って。眩しさに目を覆った少年がおそるおそる瞼を開けると、そこには確かに生身の彼女がいた。いつも鏡の向こうに見ていたのと寸分違わないひらひらドレスにジャラジャラのアクセサリ。当時は肩のあたりだった金髪がさらりと揺れた。
『やっと会えたね』
証明すると言うからには馬鹿にしてきたクラスメイト達に彼女を見せないと意味がないのだが、何故かそうはならず。彼女が『向こう』にいても『こちら』に来ても、少年の部屋の中だけでふたりの世界は完結していた。誰にも見せたくなかったのかも知れない。
正直に言おう。俺の初恋は彼女だった。
鏡の向こうの女の子にときめくとかどんな痛い子だよ。ですよねー分かります。言っとくけど当時の俺は別に引き籠もりでもオタクでもないからな。確かに地味系だったけどそれなりに仲の良い友人もいたし、ごく普通の健全な少年だった。
それでも初恋してしまうくらいには彼女は可愛かったのだ。光に透ける淡い金髪に、人工物のように白くなめらかな肌。口と鼻は小さめで、その分だけ大きな目。鮮やかな紫色の瞳がそれはもう表情豊かにくるくるとめまぐるしく動いて、いつまで見ていても飽きなかった。顔のつくり自体は綺麗に整いすぎて人形じみているのだが、全力の笑顔が彼女をとても人間らしく見せていた。
あれだけ可愛い少女と毎日のように喋っていたら、クラスメイトの女子なんて何とも思えなくなってしまった。顰蹙買いそうな発言だけど、多分彼女をひとめ見れば俺の言いたいことは分かってもらえると思う。容姿だけの話じゃなくて、何というか格が違うのだ。
んでその規格外な彼女と一介の平凡な少年たる俺がつり合っていたのかというと勿論そんなはずはなく。勢い余って初恋とか口走ってしまったけど、恋愛にまで発展することなく淡い憧れで終わるんだろうなーっと俺は小4にして既に悟りを開いていた。
それでも彼女と過ごす時間は十分に楽しかった。何せ文字通り住む世界が違う。鏡越しとはいえ顔見て話せるだけでも儲けもん、だろ? 中学生になって周りがぼちぼちリアルのカレシカノジョを作り始め、それでも俺は自分の現状に割かし満足していたのだ。
事情が急変したのは、高1の夏。不快に蒸し暑いある午後のことだった。
『近づかないで! タカヒト、最低! しんじゃえ!!』
『しっ……!? 何でだよ、お前……なんで急に怒ってんだよ!? 意味わかんねえし!!』
その喧嘩以来、俺達の交信は途絶えた。爺ちゃんの形見の大鏡はカバー代わりのこたつ布団を被せられ、散らかった部屋の隅に放置。そこから彼女の声が聞こえることもなくなった。
何があったかは黒歴史なので言いたくない。事情は言いたくないがこれだけは言わせてくれ。悪いのは全部俺だ。俺の怠惰が、弱さが、無責任が、自分勝手が、彼女をあの場所に追い詰めた。彼女から無邪気な笑顔を奪った。
俺のせいで、あんなことになったんだ。