14. 旅立ちの準備は計画的に
【幻術使い認定証:国が定めた検定をパスした幻術使いに与えられるメダル。妖精銀製。】
5級、と刻まれた銀色のメダルをサキヤがおずおずと見せてくる。奥ゆかしい態度が実に可愛らしくて、俺もにこにこしてしまう。
「よく頑張ったなサキヤ、おめでとう」
「ありがとうございます」
頭を撫でてやったらサキヤが控えめに微笑んだ。普段あんまり表情の動くタイプじゃないだけに、これがこいつにとっては最大限の喜びの表現なんだと分かる。
「わーっいいなあサキヤちゃん! すごーい格好いいーっ!」
一方のリルハはサキヤの周りをぐるぐる駆け回って自分のことのように喜んでいる。サキヤが大人しい分をリルハが補って代弁しているというか、こいつらはふたり揃うことでバランスが取れているんだと思う。
うむ、ひとまずめでたい。親衛隊の面々が何か悔しそうに遠くから見ているのはスルーしよう。悪い奴らじゃないんだがリルハとサキヤを「下賎の者」扱いしている手前、どうしても距離を感じてしまうのだ。
「剣士様っ、サキヤちゃんのごーかくお祝いしてもいい? ですかっ」
「何故私に聞くのだ、娘」
リルハから許可を求められてソーニャが苦笑している。それはあれだろ、最近ちび共のお目付け役っぽくなっちゃってるからだろ。俺がお姉ちゃんならソーニャはお母さん……て感じじゃないな。むしろ担任の先生だな。担当教科はきっと保健体育であろう。
「……反対する理由はない。勝手に祝うがいい」
ソーニャは別にちび共を差別しているわけじゃない。単にガキの世話は任務外だと思っているだけだ。だから優しくすることもないけどわざわざ意地悪したりもしない。淡々と頷かれるや否や、リルハはサキヤの手を取って駆け出した。何やら「とっておきのおいしいの」を出すらしい。何のこっちゃ。
「女神さま、これを」
「ん?」
ソーニャがおもむろに紙包みを取り出した。受け取るとカサカサと軽い音がする。
「幼子の好むものなど自分には分かりませんが、都市部で流行っているそうで」
包みからほんのり甘い匂いがした。どうやら焼き菓子だ。普段は真っ直ぐな瞳が凛々しい強面の女剣士、何故か力いっぱい明後日の方向に眼を泳がせている。
「……もしかして、サキヤのお祝いに?」
「その、恐縮ながら。……女神さまから、ということにしては頂けますまいか」
「ブフォオッ!?」
「め、女神さまっ?」
やっべえ美少女にあるまじきオタク笑いかましてしまった。いやだって、ねえ?
「ソーニャ、ぶふ、やべウケる、照れ屋さんかよ! かーわーいーい」
「かっ!? な、何を仰せられます女神さま!」
赤面してわたわたと挙動不審な女剣士。これはいいもんを見た。動画に残してえ。
つか俺、一歩も神殿の敷地から出てないんですけど。街で流行のお菓子買ってきたのが俺ってどう考えても無理あるだろ。落ち着けよソーニャ。
ばればれの嘘に、幼女ふたりが変なところで空気を読んだらしい。お祝いの席で相変わらず壁際に立ったままのソーニャの方を見ながらふたりはこう言った。
「ありがとうございます、女神さま!」
そっぽ向いたままのソーニャが可笑しくて俺もにやにやしてしまう。
「そ、そうだぞ娘共。女神さまに感謝して頂け!」
何だかんだでほだされて来てんじゃねえか。いい傾向だ。
(これなら俺がいなくても、ひょっとしたら……いや楽観視はできないか)
忘れてはいけない。このふたりは「生贄候補」なのだ。放っておけばどちらかが『獣』に喰われてしまう。
だから俺は、幻影水晶を使う。はしゃぎ疲れたちびふたりを寝かしつける振りして術をかけ、ソーニャを『女神さま』として慕うように。そして廊下で待機していたソーニャの元に戻って術をかけ、彼女がリルハとサキヤを『女神さま』として守ってくれるように。
「後、よろしくな。ソーニャ」
「…………」
呟いた俺の言葉は多分もう聞こえていない。生真面目な女剣士はただ黙って、『女神さま』の寝室の前に立っている。彼女の守るべき相手はその部屋にいるからだ。
キィ、と木戸を開けて外に出る。敷地内をうろついていると親衛隊の連中はあっちから勝手に寄ってきた。『女神さま』は親衛隊ホイホイだからな。1号から35号まで(多すぎだろ)全員に幻惑の術をかけるのは何ら抵抗もなく簡単に終わった。ちなみにプラトニックな奴はほぼいなかったので、しばらくは神殿が爛れた肉欲の園と化すかも知れない。奴らの果てしない欲望が恐ろしい。
それから俺は聖堂の鏡の間に入った。砕け散ったままの鏡は相変わらず何も映さない。
【鏡の姉妹・九女アリアン:女神神殿に設置され、異世界にいる聖王の末裔とつながる。非常時には女神を助け聖王の末裔をこの世界に招く。】
呼び出したデータに、新たな情報が書き加えられていた。
【現在は『カイタカヒト』の手によって破壊され機能せず。】
おい鏡のアリアンさんよ。非常時ってんなら今こそその時なんじゃねえのか。聖王でも何でもいいから助けになりそうな奴呼んでくれよ。
あれから、『獣』は沈黙したままだ。まるで俺が偽女神だと気づいているかのように。このまま本当のリーナが戻るまで大人しくしていてくれればいいが、残念ながらその保証はない。
リーナのデータファイルから『獣』の情報を得ることはできなかった。いや、フォルダはあるのだ。やたらと厳重に鍵のかかった重たい黒いフォルダが。俺は一番必要なはずのそのフォルダを、いまだに開けずにいる。開こうとするとものすごい抵抗がかかって、疲弊しまくった挙句に気絶するというのを何度か繰り返している。パスワードなのか何か特別な鍵がいるのか。
俺がいくら考えても答えは出ない。だから方針転換。本人をさっさと探してくるのが一番妥当な作戦だと思うんだよな。急がば回れってやつだ。
というわけで俺は聖堂を出て馬車の待つ地下道に入った。俺の姿を認め、御者のルドルフが立ち上がって帽子を取り、胸にあてる。
礼儀正しい青年貴族に覗くなと厳命し、車内で服を着替えた。密かに調達しておいた丈夫そうな服、それから旅荷物もこの馬車に積んであるのだ。隠してある、とも言う。
「よし、おっけー」
ひょいっとステップを降りて外に出る。久々のパンツスタイルのお陰で動きも軽い。惜しむらくは姿見がないので馬車の窓で確認しつつ、髪をひとつにくくってみる。さすがは俺のリーナだ、スポーティなポニテもよく似合う。満足げな顔を窓から出し、ルドルフに出発の合図をしようとした、その瞬間。
「あーっ女神さまお出かけっ!? ずるーいリルハも行くー!!」
「なん、だと……!?」
石壁に反響したその声に、俺は驚愕した。
二度あることは三度あると言う。言うがしかし、そんな馬鹿な!?
「り、リルハ……と、ソーニャ!? サキヤまで!?」
一直線に駆けてくるリルハと違い、後のふたりはどことなく戸惑ったような表情をしていた。追いついたソーニャがリルハと俺を見比べ、問いかける。
「女神さま……と、女神さま……? いや、こっちは小さい方の娘か……?」
視線が忙しく行き来する。サキヤの方も同じく困惑している様子だ。どうやら水晶の幻惑が完全に解けたわけではないらしい。が、それに対してリルハは何の疑問もなく俺を『女神さま』と認識できてしまっている。つまり全く幻惑が効いていない。これは一体どういうことだ。
「っおいリルハ、お前どうして何ともないんだ!?」
「ふぇ? 何が? ですかっ」
替わって答えたのは、おろおろとしていたサキヤの方だった。きゅ、とリルハの服を掴み、言う。
「あの、リルハは、そういう体質なんです。私の幻術も効かないから」
幻術耐性だとお!?
【魔法耐性:魔法が効きにくい体質。程度によって7段階に分かれる。】
【全てを見通す目:幻覚や詐術を見破ることができる。ヒト族には稀。】
【対魔ワクチン:魔法を無効化する人工免疫機構。実験段階。実用化はしていない。】
【竜王の鱗:所有者に後天的に魔法耐性を付与する。】
……等々。ありそうな可能性がずらずらと羅列される。3つ目えらいハイテクだな。てかおい、4つ目。
(犯人はお前か、おまいだったのかくーちゃんっ)
「くぁっ?」
可愛らしく小首を傾げてみせるトカゲ氏。騙された感が半端ない。鱗全部毟って売り払ってやろうか。
いやでも待て、くーちゃんがいなくてもリルハは色々やらかしてるぞ。聖堂に侵入するわ祠にこっそりついて来ちゃうわ、……鱗のせいっつうよりただのトラブル体質じゃねえのかこのガキ。主に俺にとって迷惑な。
「どうしたの女神さまー?」
半目で睨んでみるも本人は全く動じない。これだから天然は性質が悪い。
「失礼ながら、女神さま」
って何でソーニャは眼帯外して臨戦態勢なの!?
鋭い剣の切っ先が馬車の車輪に突きつけられている。何じゃそりゃと思うが、幽霊御者のルドルフが硬直しているのを見て合点がいった。これは俺に対する人質だ。ルドルフ自身は霊体だが、馬車なら物体だからソーニャの剣でぶっ壊せるのである。うげ。
本気のソーニャなら多分霊体すら斬れるとか考えちゃだめだ。
「このソーニャ、護衛官として女神さまを危険な目に遭わせるわけには参りません。どうかお戻りを」
くっ……そんな場合じゃねえんだよソーニャ。今ここにいる形だけの『リーナ』をいくら守っても、どこか別の場所にいる本物のリーナは取り戻せないんだ。
いちか、ばちか。
「ソーニャ……お願い」
「うっ!?」
見よ、演技派俳優(女優?)の実力。大きな瞳にうるうると涙を浮かべ、両手を組んでお願いのポーズ。
「どうしても、行かなければならないんです。世界のために必要なの……」
「め、女神さま……し、しかし」
ソーニャの心が揺れ始めたのが分かる。強面の癖して情に甘いのは知ってるんだからな。もう一押し。俺はソーニャに近づき、その手を握りしめて胸元に導いた。微妙にソーニャの頬が赤い。何かアヤシイ雰囲気になっちゃってる気がするのは俺も親衛隊に毒されかかってるんだろうか。
「お願い、ソーニャ。行かせて……?」
ちょっぴり目を伏せて儚げな風情を見せた途端、女剣士はあっさりと堕ちた。リーナ、お前が絶世の美少女でいてくれて助かった。可愛いは正義だよな。うん。使い道次第だけど。
「分かり申した、女神さま」
がしっと手を握り返し、女剣士は力強く頷いた。
「そういうことならばこのソーニャ、地の果てまでもお伴しましょうぞ」
えっと、ソーニャさん? そういうことならば、って俺まだ何も説明してないんだけど?
何かまずった、予想と違うぞこの展開。俺が出て行くのを見逃してくれってつもりだったんだが。
「リルハも一緒に行くのー!」
「えと、あの、リルハが行くなら私も」
「くぁーっ!」
マジで? 大丈夫?
いや分かってる。護衛のソーニャを置いて行けないならこのふたりも残しては行けないのである。
……というわけで、なし崩し的にそういうことになった。