11. 帰りたい、帰れない
自分の名前が『エカテリーナ』だと『思い出した』のは、夏至祭の翌日だった。
2ヶ月近くのタイムラグ。何らかの問題があって本来の記憶を取り戻すのに時間がかかってしまったらしい。現状、私の頭の中には複数の記憶が混在していた。『女神エカテリーナ』としての自分、そして貧しい農奴の子『テュイ』として15年間生きてきた自分だ。
15年。自我を形成するには十分すぎる時間である。この体が生きてきた時間が、取り戻したはずの『エカテリーナ』としての私を押さえ込もうとする。逆らわなければ。私には『エカテリーナ』としてやらなければならないことがあるのだ。体の記憶に乗っ取られてなどいられない。
祭の後片付けに忙しい振りをしながら、鈍く痛む頭を叩き起こして考えを巡らせる。早急にこの村を出なければならない。外出の機会はあまり多くない。一番うまいのは、所用で街に出かける大人に同行することだ。道中でどうにかはぐれることができれば最善。
例年通りなら来週には数名が街に向けて出立するはずだ。夏至祭が終われば諸々の手続きをするために役所に出向かなければならない。それは商人とて農民とて同じこと。畑を放置するわけにはいかないから幾つかの家で班を組んで持ち回りになるが、さて今年の班に『テュイ』が同行できる確率はどれくらいだろうか。
ふと気づくと地主の子ジョイスが熱っぽい視線でこちらを見ていた。私は知っている。同じ年に生まれたあの子が『テュイ』に邪な想いを抱いていることを知っている。あれは愛されることに慣れた者の仕草だ。自分の色香に惑わない『テュイ』が不思議で仕方がないようだ。だから気になって手を出そうとする。もどかしい想いは早晩憎しみに変わるだろう。無論その前に逃げた方が良い。
だが、ひょっとすると逃げる前に利用できるかも知れない。あの子の口利きで街への一団に加えてもらえるかも。若者が若干名同行するのは毎年のことで、それは彼らも将来手続きや交渉の仕事を担わなければならないからだ。やり方を側で見て学んでおく必要がある。15歳で早すぎるということはない。大義名分としては十分だろう。
ジョイスは騙されたと怒るかも知れないが、村を離れてしまえば追う方法などない。地主の子といえども小さな農村のこと、この土地に縛りつけられる人生に違いはないのだ。ほんの小さなテリトリーの中でささやかな権力を行使し得るにすぎない。
考え込むうちに作業の手が止まってしまったらしい。遠くから『テュイ』の父親が怒鳴るのが聞こえた。油を売っていないで働け、とでも言っているようだ。彼ら農奴の言葉は粗野で訛りがきつい。彼にとっては『テュイ』の華奢な体躯も労働力なのだ。毎日毎秒を働かなければ、彼も彼の妻も子供たちも、明日のパンにありつくことができない。
けれど私にはそんな暇はない。もう、時間がないのだ。蝕の日が迫っている。200年に一度の完全なる蝕の日、太陽と月との婚姻の宴が。
(『彼』を探さなければ)
私を助けてくれるはずの『彼』―タカヒトを。
この世界を変える力を持っているのはタカヒトだけなのだから。