ワイシャツの洗礼
なんと窮屈な事だろう。
仕立てあがったスーツを着て、就労移行支援施設に通所した。
施設には努力義務ルールとして、一週間のうちこの曜日はフォーマルな服装で通所するように、というものがある。
それが、この日だった。
別に守らないでもいい話なのだが、自分は如何せん、スーツを着た経験が少ない。
仕立てあがってきたスーツに着られながら、その日は通所した。
なにより、スタッフ数名に聞いて回り、背中を押してもらう形で一式を揃えたのだ。
自分がどのようなコーディネイトでそろえたのかを見てもらう、という、ご恩には報いねばならない。
実際見てもらうことで、ネクタイの締め方や靴ひものほどけといった、細かい部分の気遣いを指摘された。
これは、よい事だっただろう。
しかし、昼食を待つことなく。
耐えられないことはないがきつすぎて集中力が続かない状態に苛まれることになった。
きついのだ、各部の締め付けが。
二十年近くTシャツとGパンで過ごしてきたのだから、いきなりお仕着せをされたところで、体がついてこないのは当然の話だろう。
首は締まり、腹回りは窮屈で、腕の可動範囲は制限され、革靴のおかげで靴擦れが出来た。
いくらエアコンが効いているとはいえ、首回りのかゆさと、右足のアキレス腱周りの不快感は尋常ではない。
所謂「できる男ファッション」みたいなものを、スタッフに購入前に見せてもらったが、これは慣れてきてからやるべき類の話だ。
現在の自分には程遠い世界の話。
ネクタイでおしゃれなんか考えもつかない。
ただの拘束具じゃないか、こんなもの。
これに慣れろというのか、冗談じゃない。
動けば暑いし、体の各部が締め付けられて、苦しいったらありゃしない。
こんなものを着て、世の「大人」は働いているのだと思うと、気が遠くなった。
とはいえ、スーツの見繕い方はもちろん、鞄や革靴の選び方、果てはワイシャツの替えの枚数まで教えてくれたスタッフに申し訳が立たないので、言葉には出せない。
二十年近く、打ち合わせも含めて仕事でスーツを着たことのない自分にとって、こんな苦痛は久しぶりだった。
なにより、ワイシャツに苦労した。
首のボタンがなかなか外れず、帰宅してから十分くらい格闘する羽目になった。
元々、脳血栓の後遺症から指先を使う細かな作業を不得手としているため、これはいただけない。
ボタンをかけなければならない衣装を極端に忌避しているのも、これがあるがためだ。
マジックテープ付きのワイシャツがあれば、どれほど楽な事だろう。
ボタンなんか飾りで構わないじゃないか、バリバリ言わせようじゃないか、と思ってしまう。
ちなみにスタッフが所有する仕事着の枚数平均は、スーツ自体は二着、変えのワイシャツ三枚、アンダーが三枚、靴下が四本という回答を得ていた。
現時点ではまだ仕事が決まっていないのと、生活保護の身の上、備品を全部そろえてから動くなどと言う贅沢は出来ないので、ワイシャツ・アンダー・靴下は一つずつしか用意していない。
洗濯の手間を考えても、二日に一度しか、これらを着て動くことは出来ないのだ。
そもそも、狭いワンルームのアパート。
これら一式を置くスペースが無い。
狭いクローゼットに仕舞い込むにしても、場所を食う。
捨て際を誤り、溜まっている段ボールが、山ほど積んである。
台風のせいで地域の古紙リサイクルスペースが開かなかった都合、仕方のない話なのだが、とにかく、狭い。
それと、友人から譲り受けたPCが故障したため、これの処分も必要となっているのだが、こちらは自作機のため条例的に色々と難しい話になっている。
これらが片付けばずいぶんと広くなるのだろうが、カネが無いのだ。
カネが無いから、ゴミ屋敷になっている人は多いのではなかろうかと、自己の現在進行形の経験から語りたくもなろうというものだ。
市の指定ゴミ袋十枚入りですら、高いと感じてしまう経済感覚。
追い詰められたら、ゴミの廃棄すら放棄するに違いない。
幸いにして未だその境地には至っていないが、どのタイミングでタガが外れるかわかったものではない。
スーツや鞄、革靴を買った際に出た詰め物の紙ごみの量たるや、それは確かに見栄えを良くするために必要なものであるのはわかってはいるが、嫌がらせかと思ってしまった。
無駄な見栄が多すぎるんだよ、と、独り毒づくくらいには。
しかし、今回の買い物でアタリだったのは、鞄だ。
六千円もしたのだが、これの使用感は実にいい。
今使っているのは学生時代に購入したもののため、あちこちにガタがきている。
付喪神信仰を持っているため、大穴でもあかない限り、使うのだが、使い潰すのは間違いないのだが、それにしても新しいものは使い勝手が良い。
ノートPCも入れられる、ゆったりとしたサイズのため、取り回しも極めてよい。
そういえば、自分が持っている衣装は、サイズがだぼっとしたものが多いことに気が付いた。
締め付けられるのが苦手なんだな、と、再確認した。
学生時代から、制服は苦手で仕方がなかった。
個性の均質化だのなんだの、難しい理論をひけらかすために、という訳ではない。
純粋に、面倒くさかったのだ。
高校を卒業して、大学と言う名の四年間のインターバルを置いて就職できた幸運な人たちからすれば、「あたりまえのこと」なんだろう。
だが、世の中にはそんな「あたりまえのこと」にありつけなかった、傭兵稼業に落ちるしかなかった人だっているのだ。
こんなことで「我慢が足りない」と説教を垂れる向きもあろうが、知ったことではない。
自分は今、自分の人生に足りなかった部分を清算している。
誰もが皆老いる、その際に清算すべきことを、今やっているだけの話だ。
えらそうなことを言う向きがあるだろうが、知ったことか。
自分は、自分の人生しか演じられない。
決断は、自分にしかできないのだ。




