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しせつのはなしとせいかつのほご  作者: 鹿家加布里
就労移行支援施設期
91/127

ラリアット

 時系列は少し前後する。

 と言うか、依然記した情報に関する詳報の開示だ。


 それは、就労移行支援施設のプログラム、リフレッシュタイムの際に起こった。

 普段から鼻つまみ者の利用者がいる。

 ビジネスマナー講座の際に「後ろめたい」という単語が出てきたときに「その意味が分からない」と、平然とスタッフに質問するくらいの馬鹿だ。

 それはそうだ、あの糞野郎にそんな知能が備わっているはずもない。

 ひぐらしのほうが、山の中で騒々しいだけで実害もなく、取扱いもしやすいだろう。

 セミだからすぐに死ぬし。

 

 その日のリフレッシュタイムのお題は、ジェスチャーゲームだった。

 プロジェクタでホワイトボードに映し出されたお題を演じ、答えを引き出させるという内容のものだ。

 そんななか自分が引き当てたお題、それはプロレスだった。

 世代的にプロレス全盛期をギリギリ知っている都合、ハルク・ホーガンの入場パフォーマンスや毒霧、びんたの応酬みたいな一人芸主体。

 そんなネタで正解を出させようとパフォーマンスにかかっていた。

 ところが、だ。

 いきなり「そんなんじゃわからん」とかほざいて、あの糞野郎が乱入してきやがったのだ。

 カンニングしたうえで。

 本気のラリアットで。

 不意打ちなので、当然のごとく自分は吹っ飛ばされる。

 とっさの事ながら、自分はそこで客観的見地に立ってしまった。

 ふっとばされていく先には、施設のプロジェクタが備え付けられている。

 機材を壊すわけにはいかない。

 どうすればいいか。

 そこに至る前に、進行方向をそらさなければならない。


 判断の結果、下手くそながら受け身を取ってやり過ごしたが、角度が悪く左肩を痛めた。


 おかげで施設内のデスクに背中をぶつけ、椅子は数脚吹き飛び、施設内の空気は一変した。

 楽しげに進んでいた時間は、この暴力行為で凍りついてしまったのだから申し訳ないことをした。


 もっともそんな中でも、糞野郎は「あれは力を入れていなかった」などと意味不明な供述をしやがった。

 確かに腕に筋力は入っていなかったが、ラリアットはタイミングと角度とひねり込みで成立する技だ。

 そも、打ち合わせ無しのパフォーマンスでやるにはリスクが高すぎる。

 セミ未満の脳味噌がOSとして組み込まれている糞野郎が、正しくそれを行使できるなど、あるわけがない。

 そもそもセミ風情がラリアットなど、おこがましいにもほどがあるという話だ。


 自分は、怒り方を知らない。

 怒りと言うものはその出来事が起こってから十分くらいたたないと理解できないくらい、鈍い。

 簡単に言えば、悪意に鈍感なのだ。

 よく言えば、常に冷静だといえよう。

 その十分が経ち、事の次第が理解できると、抑えが利かなくなる。

 あの場にマチェットかククリ、いや、普通のサバイバルナイフの一本でもあれば、のどを掻っ捌いてやっていただろう。

 鶏を絞めた経験が、自分にはある。

 あの要領でやればできるだろうと思った。

 だが、場の空気はすでに凍りつき、自分の身を案じてくれる人や、自分よりも先にあの糞野郎への憤りを垂れ流す人であふれている現状を悟ってみれば、動くに動けない。

 当事者である自分が、場の怒りの波動に取り残されてしまっていた。

 結果、最も理性的発言を要求されることになる。

 貧乏くじもいいところだ、キレることすら許されないのだから。


 普段から、あの糞野郎をよく思っていない人達が、慰労の言葉を順繰りにかけてくれる。

 そのたびに、振り上げた拳をそっとおろして聖人ぶった雰囲気をまとう事を強要される。

 苦しい。

 自分は今、その拳であの糞野郎の顔面をぶん殴りたくて仕方がないのだ。

 その渇望が、殺がれてゆく。

 あの糞野郎は、既にスタッフ三名からなる強力な陣容を以て面談室に引きずり込まれていた。

 セミのほうが知能が高いだろうに、お説教があの糞野郎に通じるものか、疑問は残るし、現在進行形で改善されていない。

 五つある長机のうち、あの糞野郎の指定席があるシマは、常に空席が目立つくらい嫌われている。


 個人的には。

 あの糞野郎は、就労移行支援施設ではなく、デイケア施設やそれ以上に分類される施設に通う方が幸せなのではないかと思う。

 あれを社会に放り出したら、それこそ被害の拡散著しく、何ら公共に益することは無いだろう。

 それこそ、地雷を処理する役割をまかされてくれればいいと思う。

 

 被害に遭えば、こう思いたくもなる。

 しかも、一呼吸おいてからの怒りだから性質が悪い。

 人の心は、醜いものだ。

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