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しせつのはなしとせいかつのほご  作者: 鹿家加布里
就職活動開始期
51/127

原風景

 生活のリズムを作り直すこと。

 記憶の混濁を元に戻すことはできないから、考え込まないこと。

 主治医から言われた対処法は、この二点に尽きた。

 MRIで検査をしたほうがいいかを問うたが、現段階ではその必要は無かろう、とのことだった。

 気温の変化が大きい事と、風邪を引いたことで生活リズムが狂っている事を勘案しての診断のようだった。

 これで、ここ数日の個人的な騒動は一応の幕引きになったと思うことにした。

 考えすぎても戻らないことを悩んでも仕方がないじゃないですか。

 なるほど、確かにそうだ。

 ごもっとも、と思えど、心底納得いくかといえばそうでもなく。

 なんとももどかしい。


 しかし、気持ちを切り替えねば仕方がない。

 今日の施設活動は、その気分に応えるものが用意されていた。

 茶の湯、いや、茶の湯ごっこだ。

 これは、心が癒される。

 自分は、安物の茶碗と茶筅を持っているくらいだ。

 だからといって、茶道を習った経験は無い。

 なんとなく粋だから、あと美味しいから、という理由で自営をやっていた時期に買い、時折しゃかしゃかとかき混ぜて品も無く飲み下すためだけに存在している。

 それも今では贅沢品。

 滅多に味わえないので、これは嬉しい。

 まさか施設で味わえるとは思ってもいなかった。

 

 今日の施設利用者で、茶の湯をたしなむ者は居ない。

 流派も無ければ、そもそも作法に厳しくするような状況でもない。

 まさしく茶の湯ごっこの場となった。

 茶を点てる側頂く側、交代でそれぞれ思うに任せる。

 ほらもう、専門用語が一つくらいしか出てこない。

 それほどのど素人だが、施設の中では「風格がある」扱いを受けた。

 昔お会いした茶道師範免状を持つ方は、御茶なんてものはそのくらいの扱いでいいのだ、と仰ってあった。

 元々が武士の楽しみ、粗暴な連中が貴族ごっこに興じていたものを無理やり格式張らせたのが今の茶道なのだから、片手で豪快に飲み干すくらいで本来は丁度良いのだ、と。

 ぎこちなく、また作法もだらしないこの空間は、茶の湯の原風景と言えなくもないだろう。

 

 原風景、か。

 そういえば、スーパーにふきのとうやタラの芽が並ぶ時期になったのを思い出した。

 タラの芽はともかくとして、ふきのとうや土筆、よもぎの新芽などは、このアパートで暮らすようになるまで、そこらの畦道で好き勝手採って帰って、食べるものだった。

 山菜は苦みが良い。

 天ぷらも旨いが、自分は茹でただけのものを食べるほうが好きだ。

 酢味噌に練りごまを混ぜ込んだものをかけて、酒を片手に味わう。

 練りごまを入れるかどうかだけで味がかなり変わってくるので、興味のある向きは試してみてほしい。

 酢も、梅酢にするとこれもまた趣が変わる。

 ああ、あの春の味が懐かしい。

 このアパートの近くでそんな事をすれば、不審者扱いで警察のご厄介になりかねない。

 都会では、春を味わうにもカネが要るとは何とも言えぬ話だ。

 

 茶の湯ごっこで食べる菓子も、出来ればよもぎ餅が良かったな、などと。

 主治医に会うまであれほどささくれ立っていた心に、そんなどうでもいいことを考える余裕が出来ていた。

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