おかずが増えた日
漬け込むだけ漬け込んで存在を忘れていたザワークラウト。
キャベツが元来持っていた乳酸菌は、かびや雑菌に負けることなく、見事にその職責を全うしてくれたようだ。
漬け込みに成功したことを表す、黄色の勝ち気味な大豆色の汁が、キャベツをひたひたに浸している。
存在を忘れていたおかげで、冬場にありがちな「漬かりが浅い」状態を解消してくれていた。
なにより、表面には白い乳酸菌の幕がうっすらと浮かんでいた。
味を見ると、適度な酸味とまろやかさを有しており、旨い。
これにヴルストあたりのソーセージとビールがあれば、文句は無いのだが、贅沢というものだろう。
ザワークラウトのおかげで、朝食の一皿に幅が広がった。
今までは、梅干しの漬け汁だけが友だった。
これで一週間は、施設に行く前の、半ば義務的にコメを腹に押し込む苦行から解放されるだろう。
百円と塩と握力と時間があれば、素敵なものが出来上がる。
ザワークラウトの製作は、かくして成功した。
成功という響きは良い。
今の自分には無いものだし、成功して褒められる経験なんて、滅多なことでは訪れなかった。
このままいっそ、就職も一気呵成に成功してくれればいうことは無いのだが、段階を経ていくと決めた。
もちろん、機会があれば獰猛に食らいつくが、そんな機会は今のところ訪れそうにない。
話はここで終われなかった。
ここ数日の極端な寒暖差で、また、風邪を引いた。
栄養価を重んじる食生活を望んでも出来ない生活、こんなもののために、ザワークラウトを浪費するわけにもいかない。
なにより、自分にとって大戦が待っている。
就労支援施設見学の二回目が、直近に設定されている。
希望として、より実践的な場所をお願いしているのだが、それなら職業支援学校に行け、とけんもほろろであった。
自分が普通の暮らしを出来てないことが見えていない、と暗に言われているようなものだ。
不本意ながら、その通りだろうと思う。
心だけが焦って、前へ、前へ、と向かっている。
足元は、おぼつかない。
わかっている、わかっていても、やらなければ。
仕事が無い事のもどかしさ、これに支配されそうになっている。
自分は、自営でここまで来た。
だから、仕事さえあればやってのけられないことは無い、と思い込んでいる。
その点、施設のスタッフにも主治医にも注意された。
だが、腹にすとんとおさまらないのだ。
動いていて、働いていて初めて、心の充足感は満たされる。
心の充足感には、真面目に働くという意味もあれば、上の隙をついてサボる楽しみも含まれる。
自分は真面目ではない。
真面目なら、もっと深みにはまっていたことだろう。
いや違う、真面目だったから深みにはまり、要らぬ回り道を要求されたと言ったほうが正しかろう。
もしも自分を助けてくれるという奇特な方が居るとしたら。
自分はその人に、まっとうな仕事と、各種保険と、年金と、給料と、休暇、所謂労働者の権利を求めるだけだろう。
ハローワークの求人票、こと障碍者枠ともなると、大卒初任給を切るような案件しか上がっていない。
そのくせ、求められる技能は大きなものだ。
社会の寄生虫を雇ってやるだけましだと思え、と、言わんばかりの内容だ。
せめて十七万円は欲しいのだが、それを提示してくる企業は少ない。
生活保護の優位点のなんたるか、それは、医療費の免除だ。
その免除がなければ生きていけないが、それを補うには、三万円は計上できなければならない。
生きるのに最低限の保障とよく言われるが、実態はそうではない。
社会保険の受益享受が、どれだけ生活と肉体を楽にしているかだなんて、考えもつかないだろう。
薬と治療にかかるカネ、これが厚遇されているから、生活保護にすがらざるを得ない。
ただで飲み食いできて家賃まで支給してもらえる、本質的問題はここではないのだ。
確かに、不遜極まりない輩は居る。
そのイメージが強いのも認める。
真面目に生きてきて転げ落ちた人間まで、ここに落ちた途端、袋叩き似合う。
これに対して、自分は、甘んじて受けよう。
失敗したものがやり玉に挙げられるのは、日本の文化だからだ。
そこから復帰したら、途端に「あいつは見どころのある奴だった」「試練を乗り越えた」と自分が加害者であったことを忘れ、さも自分はずっと味方であったかのように振る舞う厚顔無恥も存在するのだが。
その手合いは、今の段階から憎まれるように演じてやることを心がけるべきだ。
手合いは、口は出すが、手や財貨、人脈を提供することはまずない。
役に立たないヤツの薄っぺらい自尊心と満足感を満たしてやる必要はどこにも無いのだ。
おぼれていても、つかむべき草は選ぶものだ。
それがわかっていない人間の、何と多い事か。
さて、コメが炊けた。
今日は、いい飯が食えそうだ。




