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しせつのはなしとせいかつのほご  作者: 鹿家加布里
日常期
29/127

「別」の違い

 施設は基本的に、土日は休みだ。

 たまに土曜日にやっていることもあるが、それは祝日の絡みでそうなるだけだ。

 久しぶりに青空を拝んでいるが、やはり寒い。

 たまらずエアコンとホットカーペットをつけた。

 

 今週は、施設が開いている日はすべて通所した。

 一般社会人にとっては当たり前の事なのだが、施設には施設であるが故の気苦労が存在する。

 同じ精神を病んだ者同士、お互い思い通りにうまくいく、という訳ではない。

 ここに至った経緯は、全員違う。

 入院からのリハビリで利用する人もいれば、自分のようなケースもある。

 当然、各々苦手とする利用者が存在する。

 症状も違えば、社交性のバランスも様々だ。

 これは、癖のある人しかいない職場における、人間付き合いに近いものがある。

 また、施設には知的障害を抱えた利用者もいて、彼らの意志も当然尊重される。

 同病相哀れむではないが、無意識無自覚かつ深層的な部分はともかく、差別意識は表層的には存在しない。

 そのため、活動中、話しかけられれば対応せねばならない。

 この対応が、非常に難しい。

 言葉選びを慎重にしなければ、急に癇癪を起されることもままあるし、これはこれで気を使うのだ。

 こちらが疲れてしまうので、話しかけてきてほしくないな、というのは当然ある。

 自分の身を守るための反応だ、差別というよりも区別と言ったほうが適切だろうと思う。

 

 この施設に来て学んだことの一つに、知的障碍者相手でも、叱るべきことはきちんと叱らねばならない、というものがある。

 普通はスタッフがその辺対応してくれるのだが、どうしても手が回らない時は、利用者が決断しなければならない。

 彼らの目線に立って、彼らに寄り添うという大義名分のもと、彼らがしたいように振る舞わせるのは優しさではない。

 彼らにも意志というものが、きちんとある。

 言葉の分からない動物ではない、心だけ幼子のまま体が大きくなってしまった人間だ。

 彼らにも、相応の人生経験はある。

 その経験に対する理解の軽重こそ、一般社会人のそれからすれば劣っている(この表現が適切だとは思わない)かもしれない。

 だが、言葉には気を付けなければならないが、話せばある程度わかってくれるものだ。

 わかってくれないようなら、専門家であるスタッフにお願いするだけのことで、根本は変わらない。


 施設は、彼らを一人の人間扱いする場だ、という側面が少なからずある。

 例えば、使っているコップの全面を舐め上げる知的障害の利用者が居たとする。

 それに気付いた他の利用者は「そんなことしたらだめ」と叱る。

 そんなことしていない、と見え透いた嘘をつかれても、行為をやめさせるためには叱らねばならない。

 叱る側の認識としては、その場を収拾するだけの行為かもしれないが、意義はある。

 叱る側は、指導側としての考えを巡らせねばならないからだ。

 所謂「頭の体操」というやつである。

 これが、疲れるのだ。

 一般社会と同じで、人とのコミュニケーションが一番疲れる。

 しかも相手は癖があるなんてもんじゃない。

 知的障碍者だから対応を変えるのではない、一人の人間として伝わるように対応を考えるのだ。


 これは、差別と区別の線引きだ。

 普通に生きてる人が「そういう人に関わりたくないな」と思うのは当然だ。

 それは差別ではなく、区別から出てくる考えなのだから。

 これが侮蔑の言葉を以て発せられるなら、そこからが差別だろう。

 同じ施設を利用するものとして、相手をするのは疲れるから近づきたくない、という気持ちは良くわかる。

 いくら専門家であるスタッフが居る環境とはいえ、扱いに慣れるまでは大変難儀する。

 難儀する経験に慣れ切ってしまった人間の中から「他の人もやれて当然」と上から目線で「障碍者の差別をなくせ」と言い出す手合いが出てくるのは仕方がない。

 仕方がないが、この手の人間が、一番厄介だ。

 過程を一切無視して、結論だけで殴りかかっているパターンをよく見かけるが、これでは理解を深められるはずもない。


 生活保護も同様だ。

 施設利用者にも、自分と同様、生活保護受給者は多い。

 自分のように社会復帰を目指すものもいれば、職を探すにも体力的にも年齢的にも難しく、今の暮らしを受け入れてしまった人もいる。

 自分が見ているのは、生活保護行政の「上澄み」の部分だけかもしれない。

 だが、彼らが時々語る人生の断片は、独特の重たさがある。

 何故ここに居るかの経緯は、お互い聞かないのがルールだが、笑い飛ばしながら率先して話す人もいれば、口を閉ざしうつむく人もいる。

 共通点があるとすれば、今の境遇に対する納得のいかなさが見え隠れする、その一点だろう。

 少なくとも、自分の周囲にいる生活保護受給者は、今でも機会さえあれば働けると信じている。

 そうでなければ、自分のように孤独に耐えられないとでもならない限り、施設に通うなんて面倒くさい事はやらないだろう。


 施設には、知的障碍者を除けば、一度も社会に出て働いた経験の無い人は数えるほどしかいない。

 障害年金を受け取って施設に通っている人も、やはり社会で働いた経験のある人がほとんどだ。

 上は七十代から、下は二十代前半まで。

 子供を無事に育て上げ社会に出した人も、独身者も。

 世代も、背負ってきたものも、何もかも違う人々が、輪になって花札に興じているのどかな雰囲気、という舞台裏を見てはならない。

 その裏では、それぞれ、奇妙な色をした糸がお互い過度に絡み合わないよう垂れ下がっている。


 施設には、差別はない。

 あるのは、区別だけだ。

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