日常の変化
未だに面接の結果は来ない。
面接時に「選考期間が長いですよ?」とは聞いていたが、これほど長いとは思ってもみなかった。
具体的には、三週間かかるとのこと。
この間に、もう一社くらい応募できそうな勢いである。
その実、応募の方向で話は進んでいる。
進んではいるのだが、そうそう簡単に希望する条件の場所は見つかろうはずもない。
逆を言えば、前回面接を受けた企業に採用が決まらなければ、どんどんグレードが下がっていくだけの話である。
はやく仕事には就きたい。
だが、どこでもいいという訳ではない。
常時募集の警備員の募集はあるが、それは自分が望む方向ではない。
腰と股関節が悪い自分にとって、立ち仕事は苦行でしかないのだ。
贅沢と取られるだろうが、体が付いて来てこその仕事だ。
本末転倒になるような職業経験を重ねても、誰も幸せになれないのだ。
それともう一つ。
これは仕事に就けた前提もあるのだが、通院を、二週間に一度から、月に一度、土曜日に変更することになった。
提案してきたのは就労移行支援施設側なのだが、受け入れることにした。
気の早い話だが、もう一つ理由はある。
いざ就職が決まれば、現在のように平日通院など出来ようはずもない。
第一、有給休暇を通院だけで消化するような虚しい生活はしたく無い。
はっきり言って、デイケア施設で提供される昼食にありつけなくなることは、痛い。
まともなご飯に背を向けることがどれだけ絶望に繋がっているか、わかるまい。
チキン南蛮弁当・のり弁当・鶏チリ弁当・鶏ごぼう弁当。
二割引きになったこの四種類を、ヘヴィローテーションすることで何とか夕食を捻出しているのだ。
あと五十円足せば、弁当のバリエーションは一気に九種類に増える。
しかし、贅沢は敵だ。
そりゃ確かに、いつものスーパーにクジラ肉が並べば「食べて応援」とばかりに買ってしまう。
たった三百円が贅沢なのだ。
また、課業終了後に就労移行支援施設で出来た友人たちとたまに行くラーメン屋も、ある意味贅沢だ。
二百八十円のラーメンと、替え玉百円。
しめて三百八十円。
何のトッピングも無いお好み焼き屋の大き目、四百五十円。
高校生だってこれくらい食べる小遣いは貰っているだろうが、自分にとっては痛い出費だ。
なにより性質が悪いのが、仲間と食べる、会話のある食卓だという点だ。
デイケアにしろ就労移行支援施設にしろ、通うようになってからというもの、孤独が辛い。
昔はそうでもなかったが、今では人恋しい。
試しに一か月、喋るのを辞めてみればわかる。
よほど特殊な環境でもない限り、無理な話だろうが。
たちどころに声が出なくなり、喉がかすれたようになる。
今は、就労移行支援施設に仲間がいるから、デイケアが無くても声が出なくなるなんてことは無いだろう。
だが、デイケアにはデイケアの交友関係があった。
それを捨てて、こちら側に移ったのだ。
軸足を変えたのだ。
よりはやく、社会復帰が出来る方を選択した。
デイケアのスタッフには、握手で送り出された。
自分で退路を断った。
戻らない決意をした以上、握手で送り出された以上、引き返せない。
戻ることは簡単だ、だが、それは何か違う気がしてならない。
過去にしなければならないのだ、いつかと言わず今、自分の手で。
それは、就職が決まっていようがそうでなかろうが、やらねばならないことなのだ。
十年後に笑い話に出来るようにしなければならない。
たかが通院日の数と曜日の変更でここまで思い詰める必要はない、と思われるだろう。
だが、自分は変化が怖い。
だからこそ、さながら背水の陣と思って事を構えている。
就職が決まるまで、この姿勢は変わらないだろう。




