運命を語る程度の能力
パラ、パラ。
微かな明かりが灯っているだけの薄暗い図書館の中に、紙が触れ合う乾いた音が響く。その音の出所は、図書館の片隅でひっそりと本を読んでいる紫色の髪の少女、パチュリー・ノーレッジ。
彼女は殆ど図書館から出ることがない。一年の大半を本と共に過ごす。それが彼女の日常。
今日もいつものように日がな一日読書をしていたパチュリー。じっと本を見つめ、いつもと同じように一日が過ぎる。そう思われたが、今日は少し違った。突然本をパタンと閉じて、視線を下ろしたまま虚空へと話しかける。
「今日はどうしたのかしら、レミィ」
独り言かと思われたその言葉に、果たして返事はあった。
「あら、バレてたの」
音も立てず扉の前へと立っていたのは紅魔館の主、レミリア・スカーレット。クスクス、と笑いながら紡がれたその言葉は嘲笑とも取れるが、受け手にそんな事を感じさせないのは少女の纏う威厳のせいか。
「あら、隠すつもりも無かったでしょうに」
「ふふっ……。だってこの館の主は私なのよ、私がこそこそする理由なんてどこにもないじゃない」
微笑みながらそんな事を言う少女は、人の上に立つ才能。すなわちカリスマとも言うべき物が滲み出ているようなそんな雰囲気を醸し出していた。
「そんな事よりお茶に付き合ってくれないかしら」
「貴女がそんな事言うなんて珍しいわね」
「今夜は満月だから。こんなに月が綺麗な夜は誰かと分かち合いたいじゃない」
「いいわ、付き合ってあげる」
レミリアはパチュリーの向かいの椅子へ腰掛けると、ティーセットを載せたトレイをテーブルへと置いた。恐らくこの部屋に来る直前に予め咲夜に用意させていたのだろう。
トク、トクとティーカップへ紅茶を注ぎ、レミリアへとカップを渡す。
「ありがとう」
レミリアは受け取ったカップを一旦テーブルの上へと置いて、パチュリーがもう一つのカップへ紅茶を淹れるのを待っていた。
パチュリーが紅茶を淹れ終わると、レミリアがカップを持ち上げたまま動きを止める。パチュリーは一瞬戸惑ったがすぐにその意図を察し、レミリアに合わせてカップを持ち上げる。
「「乾杯」」
カチャ、と音を立ててお互いのカップがぶつかり合う。そして二人同時にゆっくりとカップへ口を付ける。
紅茶を一口啜った後、レミリアがカップをテーブルに置く。そして一息置いてから口を開く。
「ねぇ、パチェ。運命って何なのかしらね……」
「そう。それが今日の本題な訳ね」
パチュリーが熱々の紅茶へふーっと息を吹きかけながら答える。その言葉にレミリアの表情に若干の苦笑が浮かんだ。
「やっぱりパチェに隠し事は出来ないわね」
「それなりに長い付き合いだもの。それにレミィは普段との差が激しいから判りやすいわ」
「あら。酷い言い草ね」
「うふふ」
そこで一旦会話が途切れ、紅茶を啜る音だけが大図書館の中へと静かに響き渡る。
「さて、本題に入ろうかしら」
コトリ、とカップを置いてパチュリーはレミリアの顔をじっと見つめる。レミリアはその視線を避けるように視線を落とし、ティースプーンで紅茶をくるくるとかき混ぜる。
「パチェはもし人の運命を操れるとしたらどうする?」
レミリアがカップの中に渦を作りながらパチュリーに語りかける。
「そうね……。私だったら……何もしないわね。だって怖いじゃない」
「そう……。じゃあもしそれが自分の意思とは関係無しに働いているとしたら、どうする?」
レミリアの言葉が少し震えているように聞こえたのは気のせいか。
パチュリーは少しの間考えを巡らせた。そして自分なりの結論を出す。
「知らない振りでもしておけばいいわよ」
そう答えた瞬間のレミリアの顔は驚きに満ち溢れていた。結構長い付き合いのをしてきたが、こんなに無防備な彼女を見るのは初めてだった。
「そっ!!そんな無責任な事……」
「あら、それは何に対しての責任?」
その言葉にレミリアが押し黙る。
「これは個人的な意見なのだけれど」
持ち上げたカップをゆらゆら揺らしながらパチュリーが話し出す。
「運命なんてそもそも目に見えるものじゃないわ。それが変化した所で誰もその事には気がつかない」
「気がつかなければ良いって問題じゃないわ」
「ええ、そうね。私が言いたいのは、その操られた運命も運命の一つじゃないかって事」
再びレミリアの顔が驚きに染まる。
「運命なんて、考えるとキリがないのよ」
「……どういう意味?」
「今日貴女は私に逢いに来た。その事は運命で決められていたのかもしれないし、貴女がここに来た事で運命が変わったかもしれない。もしかしたら誰かが運命を操ったせいなのかもしれないわね」
「それは……」
レミリアが何かを考えている素振りを見せる。パチュリーはまるで、子供の成長を喜ぶ親のような優しい眼差しでそれを見つめていた。しかし、声だけは真剣さを保ったまま話を続ける。
「運命なんて目に見える物ではないし、そもそもそれがあるかも分からない。だからその事に一生を費やす学者でもない限り考える意味はないと思うわ」
「だけど……」
「納得できないかしら」
「……」
その沈黙は明らかに肯定の意を示していた。
「仕方ないわね。特別に貴方を納得させる魔法の呪文、教えてあげるわ」
そう言ってパチュリーは紅茶を啜り、深呼吸をする。それをレミリアが固唾を呑んで見つめる。
「……私は貴女と逢えて幸せ。貴女と居られて幸せ。貴女と巡り会えた運命に、心から感謝しているわ」
数瞬の沈黙。そしてどちらともなく、声を出して笑い始めた。
「うふふ。流石魔法使いね、パチェ。私の悩みなんか一瞬で吹き飛んじゃったわ」
「あら、それじゃああんな恥ずかしい科白を言った甲斐はあったのかしら」
「ええ、もう大丈夫よ。なんせ私の親友は大魔法使いだもの」
「言葉遊びが多いのが難点だけれどね」
「そんな所も含めて素敵よ」
笑いながら軽口を叩き合う二人の間には先程までのシリアスな空気はなく、いつも通りのゆったりとした空気が流れていた。
「ねぇパチェ」
「どうしたの」
「もう一回乾杯しない?」
「話に熱中していたものね。付き合うわ」
空になったレミリアのカップへと再び紅茶を注ぐ。続いて自分のカップへ。
紅茶の入ったティーカップを二人が同時に掴み、持ち上げる。期せずして二人の行動が一致した。
満月の夜、紅魔館地下の大図書館に、魔法使いの少女と吸血鬼の少女、二人の声が響き渡る。
「優しい大魔法使いに」
「心配性の幼い吸血鬼に」
「「乾杯」」