怪異症候群
怪異症候群
怪異とは、説明できない事象を説明する為の方便だ。
結果がまず存在し、その原因を説明する為に怪異に仮託する。だから、例え怪異がなかったとしても、怪異によって引き起こされるという、その事象自体は存在する。
怪異がフィクションでも、"怪異によって引き起こされること"はリアルだ。だから、古くから伝わっている怪異譚を迷信と斬り捨ててはならない。伝承として伝わっているという事は相応の何かがあったという事に他ならないのだから。
呪いは、相手に知られる事も手順の一つである場合がある。呪われた者が己が呪われていると認識することで何かしら影響を受ける、ということだ。ある意味では、怪異もそれに似た所があるかもしれない。幽霊の正体見たり、というやつだ。或いは、新たに知ったものが目に付くようになる現象だとか。
本来科学的に説明できるものであれ、そうでなかれ、何かが起これば人は原因を求める。偶然にも因果を求める。怪異とはそれにとりあえずの説明を付ける道具だ。だから、科学と相性が悪い。否、科学で説明できるのなら怪異の出る幕はない、というべきか。曖昧でよくわからないものにこそ怪異は宿る。怪異とはとりあえずの理屈を付けて思考停止する為のものである。
それこそ、自然現象や偶然の事故である場合もあるだろうし、誰かの悪意によるものかもしれない。実際には無いものを、見た気になっているだけかもしれない。その正体が何であれ、それ自体は些事だ。だが、人はわからないものを恐れる。何らかの理屈を付けたがる。理屈を付ければ、納得できれば、どうにかできる気がする。まあ、怪異とされたとして、どうにかできるとも限らないのだが。
そもそも、この国は"臭いものには蓋をしろ"という文化がある。物事をなあなあで終わらせる、善悪よりも和を優先する、慣習にとりあえず倣う、という文化がある。或いは、神道で祟るものを神に祀りあげてしまうというのもその辺りの文化によるものなのかもしれない。
信仰するとは、その存在を認めるということだ。宗教戦争というのは相手の信仰、神を認めない事から起こる。だがまあ、余所の神を認める信者は少ないから、仕方ないと言えば仕方ないのだろう。対立する神を認めれば己の神の物語が破綻する場合もあるだろうし。
この国における神というのは、人を助けてくれるとは限らないものだ。寧ろ、正しく祀らなければ祟られる事になるし、過去には人を殺していたというものもいる。害をなされない為に祀られている神も相応に居る。勿論、加護を与えてくれるがために信仰されているものも多いのだが。
概念的な話になるが、神と怪異はとても近いところにある。求められる役割は異なるが。いずれにしても、偶像と信仰の産物だ。広い意味で言えば、運命やジンクスだってそうだ。占いや未来予知、予言なんかもそうかもしれない。
怪異とは物語であるとも言える。あるいは、ミームだ。怪異は、その存在を知る者がいなければ存在することができない。そして、その怪異譚が伝わる事で余所にも現れることもある。人の間を伝わる内に話が変化し、異なる怪異に成り果てることもある。
怪異が実在しない前提で語ってきたが、実の所そこに確証はない。実存する怪異というものがある可能性もある。その辺りは悪魔の証明というやつだ。あることの証明はできるがないことの証明はできない。
しかしまあ、全ての怪異が存在するということはあるまい。
或いは、歴史の中に消えたのかもしれない。そもそも退治られた伝説のある怪異もあるが。現代においては、怪異の存在する余地は少なくなってきている。怪異に頼らずとも、科学で説明されるようになってきているからだ。少なくとも現代の人間は、怪異よりも科学による理屈付けを好む。そちらの方が確かなものだと思っている。
だが、それは本当に正しいのだろうか。科学が人の作りだした幻想などではないと、誰が証明できるだろう。それでなくとも、確かに正しいとされたものが何年か後には間違っていた事が判明することだってあるというのに。
或いは、科学よりも怪異の方が本質をついている場合もあるのかもしれない。