9:六三郎
「まったく昨日は散々だったな……」
俺は昨日の騒動について愚痴をこぼしながら、道場の横にある井戸の傍で洗濯をしていた。
以前だったら洗濯なんか弟弟子にやらせていたのだが、俺の身体を狙っていると思うと洗濯させる気にもならなかったのだ。
すると背後に人の気配を感じた。特に殺気も感じないので弟弟子の誰かと思っていたら「……六三郎さん」と女の声で名を呼ばれた。振り返ると、おふみが立っていた。
「おふみ……」
うーん。
元カノと何度も顔をあわすのもなにやらへんな気分だな……。
だがおふみはそんな事は気にも留めていないようで、笑顔でさらに俺に近づいてきた。
「昨日はおめでとう。すぐに言いたかったんだけど、六三郎さん奥に入って行っちゃってたし」
「そうだったな」
「それ洗濯物?」
「ああ」
「私が洗ってあげるわ」
おふみはそう言うと近づいてきて俺から洗濯物を取り上げてしまい、じゃぶじゃぶと洗濯を始める。そして洗濯物に視線を落としたまま問いかけてきた。
「仕官は上手くいってるの?」
「いや……それがなかなか」
「そっか。でも六三郎さんなら仕官先なんてすぐに見つかるわよ」
「ああ。ありがとう」
うーん。どうもおふみのペースだな。
「食事とかはどうしてるの?」
「まあ、適当にやってるよ」
「でも、一人じゃ大変でしょ?」
「いや、実は連れが居るんだ。昨日道場破りと戦った時、賭けをしてた奴分かるかな? あいつと一緒なんだ」
「そうなんだ……。どこで知り合ったの?」
「確か武蔵野国の北の方だったかな……。実はあいつ抜け忍らしいんだけど、ちょうど追っ手に追われているところに俺が出くわして、たまたま助けたみたいになったら、なんか恩返しとか言ってついて来てるんだ」
本当は俺の身体目当てなんだが、それはさすがにおふみには言えないな。
「そうなんだ。でも男の人だけじゃ大変よね?」
もしかして……。おふみは俺について来たいのか?
「いや……意外と何とかなってるよ。男だけだと野宿でもかまわないしな」
「そう……」
残念そうだな。やっぱり俺について来たいみたいだ。そういえば昨日も小さな村でうんざりみたいな事を言ってたっけ。
これはすっぱりと早めに諦めさせた方が、おふみのためか……。
「おふみ……実は俺嫁を貰ったんだ」
「ええ! 誰なの!? 私の知ってる人?」
洗濯をする手を止めて、おふみは目を大きく見開いて俺を見た。
「いや……。旅先で知り合ったんだ」
「そうなの……。で、その人は……どこにいるの?」
あ。いきなり痛いところをついて来た。
「いや、それが今どこに居るかは分からないんだけど……」
「どういうこと?」
おふみは怪訝そうに俺を見上げた。
「それが……朝起きたら姿が見えなくなってたんだ」
そう。多兵衛さんの道場で酔っ払ってそのまま朝まで眠ってしまい、目を覚ますと慌てて家に戻ったが、七重はいなくなっていた。
……しかも、俺の体が女になってしまっているというオプションつきで……。
「何の前触れもなく?」
「ああ……」
俺は頷いた。
どうして七重がいなくなったのか、今でも皆目検討もつかない。
おふみは再び洗濯物に視線を落として呟いた。
「そう……。私だったら逃げたりしないのに……」
……痛い。痛すぎるぞ。おふみ。
「いや! 逃げられたのではない! 何故か姿を消したのだ!」
だが全力で否定する俺に、おふみは気の毒そうな視線を投げかけてくる。
まったく師匠といいどうしてみんな七重が逃げたと決め付けるんだ!
「とにかく、俺にはすでに妻が居るのだ。おふみ、もし俺について来る気だったのなら、すまないがすっぱりと諦めてくれ」
だが、俺の言葉におふみは眉をひそめて疑わしそうな表情を浮かべた。
「奥さんって本当に居るの?」
もしかして、おふみを連れて行きたくないばかりに俺が嘘を言っていると思ってるのか?
「いやいや。本当に居るんだ」
「じゃあ、連れてきてよ」
「だから姿を消したんだって」
「じゃあ、居ないのと一緒じゃない!」
おふみはどこまでも食い下がった。
う。これじゃ話が堂々巡りか。
「とにかく、お前を連れて行くわけにはいかないんだ!」
「私は諦めないからね!」
おふみは俺の洗濯物を桶に叩きつけると、足早に立ち去ってしまった。
何なんだ? おふみの奴。
昔からマイペースな女だったが、いくらなんでも強引過ぎるだろ!?
……しかしあの分じゃ、なかなか諦めてくれそうに無いな。
まったくどうしたものか……。
俺は仕方がなく、また洗濯物を洗う為に桶へと向かった。
その後朝飯を食ってさらに日も昇った頃、他に相談する相手もいないので、やむを得ず俺はおふみの事を伍助に相談することにした。
道場から少し離れた林に伍助を引っ張っていき、おふみという元カノがいること、その元カノにしつこく迫られていることなど一通り状況を説明し、
「おふみを諦めさすにはどうしたらいいと思う?」
と聞いてみたのだが……。
「俺が頂いちまいましょうか?」
「…………死ね」
「冗談っす。俺は六さん一筋っすよ!」
「……三回くらい死ね」
ダメだ。やっぱりこいつに相談しても意味なかったか……。
だが実際どうしたものかな。いくら嫁が居るといっても信じないし……。
「ふ。お困りのようだな」
俺と伍助が同時に声がする方を向いた。
俺たちふたりそろって気配に気付かないなんてどんな奴かと思っていると、なんとそこには道場破り……新九郎が立っていた。
すると伍助がにやにやしながら言った。
「おお。あんちゃんどうした? 六さんにも負けて賭けにも負けて帰る旅費が無くなったか?」
「ふ。まあそんなところだ」
伍助の冷やかしにもまったく堪えていない様で、新九郎は肩を竦めて笑った。
俺だったら果し合いに負けた道場破りがどの面下げて……と思うところだが、こいつは相当図太い神経の持ち主のようだ。
飄々と笑いながら自分を負かした相手に話しかけるとは。
「伍助少し黙ってろ。お前も何の用なんだ?」
「話は聞かせてもらった。そのおふみって奴を諦めさせればいいんだろ?」
てめぇには関係のない話だろ? と言いたい所だが……、おふみの件については、今の俺はワラにも縋りたい状況だ。
妙案があるというなら、新九郎の話だろうと聞いてみようという気になった。
「まぁそうだが……。何か考えがあるのか?」
「つまりあんたに相手が居れば良いって話なんだろ?」
「そう……だな。だがその相手が居ないから困ってるんだろ」
「簡単な事だ。相手をでっち上げれば良い」
「でっち上げるといってもそんな事を頼めそうな女は居ないぞ?」
「ふ。別に女である必要はないだろう」
女である必要がない……。
「しかし、女装が似合いそうな奴なんて居ないぞ?」
「ちっ! まったくなにぼけた事言ってやがるんだ。男が出来たって言やあ良いじゃねえか」
「ふざけるな! どうして俺が男と付き合わなくちゃ行けないんだ!」
「だから、でっち上げるって言ってるんだろうが! 要するに俺はそっちの人間だから女はお呼びじゃないという訳よ」
うーん。こいつの言わんとする事も分からないでもないが……。
「しかし、誰と付き合っている事にしろっていうんだ?」
「ふ。もちろん俺に決まっているだろうが!」
新九朗は右手の親指で自分を指差したが、新九郎の言葉を伍助がせせら笑った。
「何言ってんだよ。六さんは俺のもんに決まってんだろう?」
伍助はそう言いながら、俺の肩に手を回すが俺は即座に振り払う。
「誰がお前のか!」
そして伍助の言葉を俺が即座に否定した事に、新九郎が勝ち誇った。
「ふ。どうやらてめぇは六三郎に嫌われている様じゃねぇか」
「まぁ見てなって。一回でも押し倒す事に成功すれば俺のもんになるって約束になってるんだからな」
ちっ! そう言えばそんな約束もあったな。
しかし、新九郎もどうして俺と付き合うふりをするとか言い出してるんだ?
「もしかしてお前両刀なのか?」
「ふざけるな両刀なんて気持ち悪いことするかよ」
「おお。そうか。いや最近俺の周りにはそんな奴ばかりでな。それは悪かった」
「当たり前だ。男一本に決まってるだろう! 俺は俺より強い男をずっと捜してたんだ!」
もっと悪いじゃねぇか……。
「さぁ。俺がお前の彼氏になってやるから早くそのおふみとかいう女の所の行こうじゃねぇか」
くそ……。どうして俺の周りにはこんな奴らばっかりなんだ?
いや、だが考え様によっては男にしか興味がないなら、今の俺にとってはむしろ安全かもしれないな。
「よし、分かった! じゃあ、おふみのところに行こう!」
俺はそう言って新九郎と共におふみのところに行こうかとしたが、すると伍助が鼻で笑いながら口を挟んだ。
「ふっ。何言ってやがんだ。昨日六さんと戦っておきながら、恋人です! なんて通じるわけないだろ。ここはやっぱり俺の出番だな」
「……たしかに」
ここで俺が新九郎と仲良くしていては、あの試合も八百長と言われかねないか。
「うーん。やむをえん。伍助を彼氏にするしかないか……」
俺は肩を落としたが、ここで中途半端におふみを置いていけば、おふみの為にもならないだろう。
すっぱりと諦めさすには仕方ないか。
「くそ……。俺のアイディアなんだぞ!」
新九郎は悔しそうにしているが、確かに昨日戦ったばかりなんだからやっぱり無理があるしな。
「せっかくアドバイスしてくれたのに悪かったな。後で一杯奢らせてくれ」
「それはデートの誘いと受け取って良いんだな?」
「ごめん。違う」
即座に否定する俺に新九郎は目に見えて落ち込んだが、こいつに構っている余裕はない。
「まぁとにかくまた後でな」
俺はそう言って新九郎をその場に残し、伍助と共におふみに会うべく、おふみの家へと向かった。
そしておふみの家の近くまで来ると、通りがかった子供に駄賃を渡して、近くの林へとおふみを呼び出して貰った。
「六三郎さん、わざわざ呼び出すなんて……もしかして連れて行ってくれる気になったの?」
おふみは期待を込めた目で俺を見ている。
これから言わなければならない台詞を思うと気が重いが、俺には七重が居る以上おふみについて来られる訳には行かない。
「いや、実は俺は付き合っている奴がいるんだ」
「何よそれ! その話なら今朝もしたじゃない。奥さんなんてどこにも居ないじゃない!」
激昂するおふみに俺はどう切り出したものかと考えていると、俺の横に立っていた伍助が口を挟んだ。
「姉ちゃん。だからこう言う事なのさ」
俺が何がこう言う事なんだ? と不思議に思っていると、突然伍助が俺の肩を引き寄せた。
そして何だ? と思って伍助の方を向いた瞬間、さらに俺の顔に手を添えて……。
「うぐっ!」
「六三郎さん!」
なんと伍助が俺にキスしやがったのだ。
「てめ……何しやがる……」
抗おうとする俺に伍助は一瞬唇を離し小声で囁いた。
「これくらいしないと信用しやせんって」
いやしかし……。
だが戸惑っている俺の唇を再度伍助の唇が襲う。
だがそこに怒鳴り声が響いた!
「てめぇ! 俺の六三郎に何してやがんだ!」
俺と伍助、さらにおふみが声の方を向くと、果たしてそこには新九郎の姿があった。どうやら俺達の後をつけていたらしい。
そして怒りの形相で俺と伍助の間に割り込むと、あっけに取られていた俺の唇をなんと今度は新九郎がふさいだ。
「いやーー!」
この状況についにおふみが叫び声をあげた。
不必要なまでのディープキスに、俺は息を止めて吐き気をこらえながら新九郎から体を離した。
くそっ、気持ちわりぃ! 叫びたいのは俺の方だ。
そして取り乱したおふみに俺がつい近寄ると……。
おふみは飛び退いて俺をきっと睨んだ。
「近寄らないで! この変態!」
変態……。俺はその場にがっくりと膝を付いた。
「付き合ってるときからぜんぜん手を出してこないと思ったら……、そういうことだったのね!!」
いや……正直俺としては、おふみとはそこまでの関係じゃないと思ってたし……。なんて言ったら火に油を注ぎそうだな。
がっくりとうな垂れたまま口も利けずにいる俺の左右で、
「そうそう」
「そういうこと」
と、伍助と新九郎がしきりに頷いていた。
それからおふみは俺たちにくるりと背を向けて無言で走り去っていった。
まるで汚らわしいものから逃げるかのように……。
……一応、これで目的は達成された。が、俺の胸中には苦々しさと、今にも込み上げてきそうなおぞましい吐き気が残った。
しかも、明日には俺がホモの変態野郎だという不名誉な噂で村中もちきりだろう……。
「まぁ結果オーライってやつですかね?」
「俺の最後の一撃が効いたようだな」
伍助と新九郎は満足げに逃げ去るおふみを見送っていたが、俺は密かに誓った。
いつかこいつらを殺そう。と。