7:六三郎
「……六三郎さん。帰ってきていたならどうして言ってくれなかったの?」
道場の入り口で、おふみは少し悲しげに俺を見つめていた。
おふみとは彼女からの強烈なアプローチで付き合い始めたのだが、俺が稽古に明け暮れあまり彼女にかまってやれなくなった為自然と疎遠になり、俺が仕官を求めて故郷を出る頃には自然消滅していた。
「……すまん。まず先に師匠に挨拶をと思って道場に立ち寄ったら、色々と騒動が起こってな……」
「そう……。でも、久しぶりに故郷に戻ってきたんだから、挨拶に来ないなんてひどくないかしら?」
う! 普通は、元カノに挨拶に行くものなのか?
おふみにしたって別れた元カレになんて、会いたくないと思っていると、考えてたんだが……。
だが、俺が反応に困っていると、彼女は俺が申し訳なくて押し黙ったのだと解釈したのか、少し苦笑気味に笑った。
「仕方ないわね……。六三郎さんは前からずっと剣一筋だったから……」
「すまん……」
「聞いたんだけど、道場破りと戦うことになったんですって?」
「ああ。そうだけど、そんな話どこで聞いたんだ?」
「どこって……。村中その話でもちきりよ? だって小さいなにもない村だもの。何か変わったことがあれば、すぐに広まっちゃうわ」
あきれた様な口調で言うおふみは、どこか投げやりな雰囲気が感じられた。
確かにここは小さい村だ。
住んでいる者達も、代わり映えのない毎日と少しでも違う事が起これば、瞬く間にその噂が村中を駆け巡る。
「そう言えばそうだったな……」
「ええ。息が詰まりそう」
おふみの言葉に俺は改めておふみを見つめたが、おふみは俺の視線に気付いたのか誤魔化す様に、少しわざとらしく明るい口調で口を開いた。
「とにかく、久しぶりに六三郎さんと会えてうれしかったわ! じゃあ、稽古の邪魔をしちゃ悪いから、もう行くわね」
「いや、わざわざ会いに来てくれてありがとう」
「ううん。じゃあ、またね!」
おふみはそう言って手を振り道場を後にした。
またね。か……。
俺は頭を一振りすると、また稽古を始めた。
そして道場破りとの決戦の日。
俺は、道場破りと対峙し、ふたりの間に緊張が走る。
見守る弟弟子達は固唾をのみ息すら止めているかの様に道場は静まり返っている。
俺は、気を張りつめ僅かな隙も見せまいとするが、道場破りも同じくこちらの隙を窺う。
僅かな気の緩みが命取りとなり、その瞬間に敵の切っ先が俺の体を貫くだろう……。
となるはずが、
なんだこりゃ?
「こっちこっち! ここだと良く見えるわよ!」
「兄ちゃん達! まだ始めないでくれよ。 まだ連れが来てないんだ!」
「六さん。相変わらずペッピンだな」
「道場破りの子も、ワイルドでカッコいいじゃない」
「……おい。これはどう言うことだ?」
俺は堪えかねて口を開くと、俺の前ににやつきながら立っている道場破りが「ククッ」っと笑いを漏らした。
「お前らが、卑怯にも俺を袋叩きにしておいて、1対1で勝ったなどと言い出さぬ様に保険をかけたまでさ」
そうか……。
これを狙ってわざわざ道場破りの予告なんてしたって訳か。
小さな村のことだ。
道場破りが来るともなればみんな見物に来る。
見物人が大勢居れば、こちらが袋叩きにしたくとも出来ないだろうって訳だな。
もちろん、はじめからそんなつもりは無かったが、なかなか油断ならない奴だな。
しかも、こいつの師匠は戦で手柄を立てられず、俺の師匠が手柄を立てたのを逆恨みする程度の男と聞いていたので、その弟子という道場破りも大したことはないと思っていたが……。
佇まいや雰囲気からは、意外にもかなり腕が立ちそうだぞ。
道場破りは、ザンバラ髪に着物を着崩しているが、その機崩した着物の襟から着込み(鎖帷子)が見えている。
俺と同じ様に着込みを着ているのか……。
しかもこいつの師匠は俺の師匠と同じ合戦に出ていたんだ。
こいつの剣術も突きを主体とした実践剣術って訳なんだよな。
共に突きを主体として戦うというならリーチの差がかなり重要となるのだが……。
でかいな……。
弟弟子との身長差から推測すると、俺が男だった頃よりも少し大きいぐらい。
つまり、女の体になって背が縮んでいる今リーチの差はさらに広がっているだろう。
しかも俺は女になり体が小さくなった為、自分の間合いの目算が狂っている。
それに気付いて昼夜猛稽古をしたが、数日で長年の感覚を矯正できたとは言いがたい。
これは存外、苦戦するかもしれないな。
俺は、改めて道場破りを睨んだ。
だが、俺が真剣にそう考えていると、俺達を取り囲む見物人の輪からとんでもない声が聞こえてきた。
「どっちに賭けるんだい?」
「やっぱり、ペッピンさんの方だろう。同郷のよしみもあるし」
「いやいや。道場破りのあんちゃんも強そうだぞ。いっちょうあんちゃんの方に賭けてみるか!」
おいおい。賭けまで始まるのかよ! っと俺が考えていると……。
「兄弟子が勝つに決まってるだろ! 兄弟子に全部だ!」
おいお前ら……。そしてさらに。
「じゃあ、俺は俺が勝つほうに全財産だ」
道場破りはそう言って、賭けの元締めらしき男……って伍助じゃないか! に自分の財布を放り投げた。
こいつ等、馬鹿にしやがって……。
「ふざけるのもいい加減にしろ! とっとと始めるぞ!」
「へいへい」
道場破りは俺の怒号に、飄々と答えて、木刀を構えた。
道場破りが構えたのにあわせ俺も構える。
俺の全神経は奴に集中し、さっきまでうるさかった見物人達の声が、嘘の様に耳から消える。
正眼の構え。
つまり木刀を自分の腰の辺りで握り切っ先を俺の喉元に向けるという、攻防どちらにも対応できる基本的な構えだ。
取りあえずこちらの様子を見る気だな。
俺はそれに対して脇に木刀を構えている。
防御には向かないが、この構えの利点は自分の腕と木刀を前に突き出す正眼の構えと違い、こちらの間合いが相手に悟られ難い事にある。
さっき対峙していた時も何気に木刀の端を5寸(約15cm)ほど着物の袖で隠し、俺が手にしている木刀が通常の物よりその5寸長い物である事を誤魔化していたのだ。
これで俺の間合いは道場破りとの間合いより2寸ほど広いはずだが、道場破りが俺の身長から俺の間合いを推測しているとすれば、その2寸が勝負を分ける。
だが、その誤魔化しも一度きり。
一度俺が突きに行けばそれでこちらの間合いはばれる。
俺はじわりじわりと、道場破りへとの間合いを詰めて行った。
道場破りはまだ間合いの外だからと思っているのか、相変わらず飄々とした表情でまったく感情が読めない。
俺はさらににじり寄る。
俺の間合いまで後、5寸。
4寸。
3寸。
あと少し!
だが唐突に道場破りが動く! 奴の木刀が俺の体目掛けて伸びてきた。
「っく!」
俺は反射的に身を左に捻りその攻撃をかわす。
……片手突きかよ。
奴は右手正眼の構えから左手を放し、体を捻りながら右手だけで突いてきたのだ。
当然、体を捻る分間合いは広がる。
だが、体を捻りながらの突きは僅かながら俺の体の正中線からぶれ、その為俺は反射的にかわす事が出来た。
これが正中線に決まっていれば俺は動くことすら出来ず、棒立ちのままやつの突きを食らっていただろう。
もっとも、片手突きで寸分ぶらさず狙い打てる奴など、この日本に何人居ることやら……。
しかし、これで俺の間合いの優位は失われた。
とはいえ、当然片手では威力は落ちる。
二刀流が邪道と言われるのは、片手では肉は切れても骨は断てないと考えられているからだ。
それは突きでも同じこと、いくら鎧武者には突きが有効とは言え、片手突きでは鎧を突き破るのは難しい。
最近よく噂になっている宮本某という二刀流の剣豪がいるが、その剣豪は人並みはずれた膂力《怪力》を持っていると聞いている。
俺は足を後ろに運び、奴から間合いを取った。
そして、首元の汗を拭うふりをして、俺も着込みを着ていることを何気に道場破りに見せ付けた。
すると飄々としていた道場破りが破顔した。
「あっははは! あんた面白いな。そおいやー。まだ名前も名乗っていなかったな。新九郎って言うんだ」
「……六三郎だ」
「へー。六三郎って言うんだ」
道場破り……新九郎はそう言うと、正眼の構えではなくあからさまに木刀を右手だけで持ち、そして右手を大きく後ろに引いた。
右の片手突きをしますよ。って言うところか? いや、右手一本で着込みを突き破りますよって言いたいのか。
ふー。結構やばい戦いになりそうだな。
俺は、再度奴との間合いを詰めに入った。
だが俺が奴の間合いに入る前に、やつの方から一歩踏み込み間合いを詰めてきた。
奴の片手突きが俺を襲う。
俺はすんでのところでその突きをかわした。
そして一旦間合いを取ってから再度、間合いを詰める。
そして再度の奴からの突き。それも身をかわす。
俺は神経を集中させ、何度も奴の突きをかわした。
そして次第に、飄々としていた新九郎の表情が険しくなっていく。
何度やっても突きが俺に当たらない事にイラついてきているのだ。
それに対して俺はにやりと笑って見せた。
実は、俺の背中は冷や汗でびっしょりと濡れていたのだが、あえて余裕がある演技をした。
そう、突きが届くという事と当たるという事は別なんだよ。当てたければもっと踏み込め。と挑発したのだ。
俺は改めて奴との間合いを詰め始めた。
俺の間合いまであと5寸。4寸。
そして3寸。ここが奴の間合いのはずだ。
だが新九郎は動かない。
2寸。
1寸。
……俺の間合いに入った。
だが俺もまだ仕掛けない。
さらに1寸近づく。
もう1寸近づく。
後1寸。
1寸。
そしてさらに俺が間合いを詰めようとしたその瞬間! やつの右手が動いた。
俺は、身を捩りかわそうとしたが、奴の木刀は俺のわき腹を貫く。だが俺の木刀も奴の胸部を突いていた。
時が止まったかのように俺と奴はお互いの体に木刀を突きつけたまま対峙していたが、不意に奴が倒れる。
奴はよっぽどごつい着込みを着ていたようで、女になった俺の力では奴の着込みを貫くことは出来なかったが、それでも奴の胸骨にひびを入れさせる事ぐらいは出来たようだ。
そして奴の木刀は俺の着込みを見事に貫いていた。俺の体に巻いた大量のサラシと共に。
男の体のままだったら相打ちだったか? いや、男の体だったらまた違う戦い方になっていた。考えても仕方がないか。
しかし紙一重だった。奴が仕掛けるタイミングは読めていたにも拘らず、それでも脇腹を貫かれるとは……。
そう俺は、奴があのタイミングで仕掛けてくると読んでいた。
俺は木刀の長さを5寸誤魔化していた。奴は俺の間合いまで後1寸あると思っていたはずだ。
いくら自分の間合いよりもっと踏み込む必要があると言っても、俺の間合いに入るまで踏み込む必要はない。俺の間合いのギリギリ外で仕掛ければいい。
それでダメだったらその時には、俺の間合いにまで踏み込めばよいのであって、はじめから冒険をする必要はないのだ。
そして勝ったと思って気が緩んだ瞬間、俺の耳に大歓声が聞こえてきた。奴に集中していた神経が解放されたのだ。
「やったなベッピンの兄ちゃん!」
「あんたに賭けてよかったよ!」
「なんで、腹から木刀を生やしてて平気なんだい!?」
もうちょっと、感動的な声援を贈ってもらえないものかな……。
俺が不満げに見物人達を見回していると、不意に女性の声が聞こえた。
「六三郎さん! 素敵よ!」
お! そうそうこう言う称賛を。と俺が声のする方向を見ると……。
おふみ……。
そこには俺に向かって手を振るおふみの姿があった。
だが笑顔を贈ってくるおふみにどう返そうかと戸惑っていると、弟弟子達が俺に抱きついてきた。
「兄弟子! やりましたね!」
「あいつの木刀が刺さってますが大丈夫なのですか?」
「ああ。大丈夫だ。ギリギリ着込みだけ貫かれただけだからな」
「ギリギリっていう感じではなさそうですが……」
俺の言葉に、弟弟子達は怪訝そうに首を傾げながらそう言った。実際俺の胴はサラシを何重にもまいてかなり太さを水増ししている。
奴の木刀はそのサラシを貫いてるのだが、はたから見れば思いっきり俺の腹部を貫通している様に見えるのだろう。
「だっ大丈夫だ! それよりも師匠に報告してくる!」
俺はそう言うと、脇に刺さった木刀を抜いて逃げるように道場を後にした。
そして師匠の部屋へと向かったが、足早に歩いているうちに木刀に貫かれたサラシがほどけてきてしまった為、途中にある空いている部屋へと滑り込んだ。
改めてサラシを巻きなおす為だ。
着込みを脱いで、一旦サラシを全部とってと……。結構面倒なんだよな。
っち! あいつに貫かれた所為で、サラシが途中で切れちまっている。
俺は上半身裸のまま、切れたサラシを結び合わせて改めて一本にしていた。
「おお。六三郎ここに居たか! 見事道場破りをやっつけたらしいな!」
不意に師匠がふすまを開け、飛び込んできた。腰痛はどうなったんだ?
だが今はそんな事より、師匠に俺が女の身体だとばれた事だ。
師匠はしばらく呆然と俺を見つめていたが、ポツリと呟いた。
「いつの間に、そんなにええ乳になったんじゃ」
「いえ。こっこれは……」
「旦那がそんなええ乳では、嫁も逃げるじゃろうな……」
「……」
その後、さらに弟弟子達もやってきて大騒ぎになった。
「俺は両方行けます!」
「俺は兄弟子が女でも気にしません!」
「姉さん女房は、金の草鞋を履いてでも探せといいますし!」
「馬鹿野郎! お前らは男でも良いんだろうが! 女の兄弟子は俺に譲って、お前らは違う男の兄弟子を探せ!」
おいお前ら……。伍助……。
仕方がないので、俺は師匠および弟弟子達に、いきさつを洗いざら喋ると、師匠は、さすがに驚いていたが、実際俺の身体が女になっている以上信じるしかない。
道場破りを倒したさっきまでの浮かれた気分も吹き飛んでしまい、みなあまりの事に押し黙っている。
「とにかく、今日はもう疲れたであろう。わしも少し混乱しておる。みなも今日はもう休みなさい」
師匠は俺たちにそう言い、俺達も素直に下がった。
実際、道場破りとの戦いは長い時間ではなかったが、全神経を集中させ身体にも緊張が張りつめていた結果、俺の身体は泥の様に重くすぐに眠りに付いた。
――――俺は七重の夢を見ていた。
おお、七重! 探したぞ! 会いたかった!
「六三郎! 私も会いたかったわ!」
どこに行ってたんだ?
「それが、悪い魔物に連れさらわれていたの……。でも、隙をついて逃げ出してきたわ」
そうか。それはよかった。
「六三郎の身体が女になったのもその魔物の所為だったんだけど、私がその魔法も解いておいたわ」
俺が自分の体を見下ろすと何故か着物を身に着けておらず、俺の首から下には男の身体が見て取れた。
おお、男に戻っている!
そして顔を上げて改めて七重を見ると……、七重も着物を身に着けておらず裸だった。
……七重。
「……六三郎」
俺達は強く抱き合った。
久しぶりのやわらかい七重の身体を抱いて……。硬い?
俺は怪訝に思ったが、七重はかまわず俺の首筋に吸い付いてきた。
あれ? 七重ってこんなに積極的だったか?
そして七重が俺の名を呟く。
「お六……」
お六?
「誰がお六だ!!」
俺が目を覚まし叫ぶと、目の前には果たして伍助がいた。
「いやー。今日は疲れてぐっすりと寝ているかなー。っと」
伍助はそう言いながら、俺の身体の上で頭を掻いている。
「てめー。伍助!」
俺は伍助を突き飛ばして転がりながら自分の刀を置いてあるところまで移動すると、刀を手に取った。
「いやー。そこまでマジにならんでも」
「うるさい!」
実際、伍助が俺の事を「お六」なんて呼んでなければ、今日のはやばかったんだぞ……。
「兄弟子! 今の叫び声はいかがしたのですか!?」
ふすまを勢いよく開けた弟弟子達が部屋に雪崩れ込んできた。
「お前! 俺達を差し置いて何やってんだ!」
「うるせえ! 早いもん勝ちなんだよ!」
「なんだと! あ。兄弟子!」
「うわ!」
不意を付かれた俺は一瞬反応が遅れたが、すんでのところで身をかわした。
なんと、伍助の言葉を真に受けたのか、弟弟子の一人が、じゃあ俺が一番に! とでも言うのか、俺に飛び掛ってきたのだ。
「お前らいい度胸じゃねぇか! まとめてかかってこいや!」
俺が伍助と弟弟子達に叫ぶと、奴らは俺に飛び掛ってきた。
俺は飛び掛ってくる奴らを鞘に収めたままの刀で迎撃する。
そして夜はさらに更けていった。