6:ナエマ
今回はちょっとほのぼの。
六三郎とのデートシーンもあります。
「初めて知りましたわ~。泥でキレイになれるなんて!」
「ほんとにねえ」
温泉宿の女中たちは口々に驚きの声を上げた。
「泥と言ってもそのまま使わないで、いったん天日で乾かしてから油と丁子の粉を混ぜるといいのよ」
2~3日前、部屋を担当してくれている仲居さんに、
「お客さん、おきれいな上に肌ツヤツヤですねえ~。うらやましい限りですわ。何か特別なお手入れされてるんですか?」
と聞かれたことがきっかけで泥パックを紹介してあげたんだけど、それが宿中で話題になったらしく、休憩時間には数人の女中相手に様々な美容法をレクチャーすることになったの。
ま、いいんだけどね。これと言ってすることもないし。
「お二人は美容のために温泉巡りをされていると伺ったんですけど、もうあちこち行かれたんですか?」
「え……。ま、まあね」
アムランでは毎日の入浴が日課だったけど、温泉はなかったのよね~。
「どの温泉が一番良かったですか?」
「下野の温泉はとても気に入ったわ」
私はにっこりと笑って答えた。(他の温泉にはまだ行ってないのよ)
「そうなんですか~。それは嬉しいですね。他にはどんな温泉に行きましたか?」
「そ……そうね~。バラの花びらを浮かべたバラ風呂とか……。塩でマッサージするお風呂とか」
「へぇ~~バラ風呂!」
女中たちは顔を見合わせて、しきりに感心しているようだった。
すると休憩時間もそろそろ終わりらしく、女将の怒鳴り声が聞こえてきた。
「お前たち、いつまでおしゃべりしているんですか! あんまりお客さんの邪魔するんじゃありませんよ!」
「は~~~い!」
女中たちは声をそろえて立ち上がった。
「七重様ありがとうございました。たのしゅうございましたわ」
「お礼に美味しいお菓子でも差し入れますね」
手には小分けした泥パックのサンプルをしっかりと持って女中たちは仕事に戻っていった。
「姫様、ジパングで化粧品の訪問販売でも始めるつもりですか?」
女中たちとのやりとりを苦々しい顔で見ていたアニスが嫌味たっぷりに言った。
「あら? それもいいわね」
私は手のひらを打ち合わせて笑った。
「全ての女性は美しくありたいものなのよ。アラビアだろうとジパングだろうと変わりはないわ。私の使命はジパングの女性に美の手ほどきをすることだったのかも……」
「はっきり言ってそれは逃避ですね」
アニスは腕組みをしながら手厳しく言い放った。
「あのね」
きっとアニスを睨んだ。
「何が言いたいの?」
「姫様の本当の気持ちはどうなんです?」
腕を組みながらも、少しだけ口調を穏やかにしてアニスが尋ねた。
……私の、本当の気持ち?
私はアニスに背を向けて座り、障子を開けて裏庭に咲くあじさいの花を眺めた。
青だったり、ピンクだったり、紫だったり……、不思議な花ね。
私はどうしてここにいるのかしら?
私はどうしたいのかしら?
アムランに戻っても、一度六三郎の妻になった私はもう結婚できない。したくもない。
じゃあ六三郎のもとに戻る?
いいえ。彼を許せない限り、戻ることはできない。
できない。したくない。できない。したくない。こればっかりで八方塞がり。
虹色の星は、箱の中でまだきらめいていたけど……、私にはその意味は読み取れないまま……。
「私には、姫様はまだ六三郎さんが諦められないように思えます」
「…………どうしてそう思うのよ?」
「そりゃあ……」
アニスは苦笑いして答えた。
「寝言で六三郎さんの名前を呼ぶ姫様を見たら誰だってそう思います」
「っ!?」
寝……寝言で、私があいつの名前を呼んだですって~~~!!
ぐっと言葉に詰まって、私は思わず両手の拳を握り締めた。
月明かりの中、夏草の青い匂いに包まれて私は彼に尋ねた。
「この先一生、私だけを愛すると誓う?」
六三郎は腕枕をしている左手で私を引き寄せて、私の目を見て言った。
「誓うよ。母上のかんざしにかけて」
そして、壊れやすいものに触れるように私の髪をそっと撫でた。
「……他の女を愛したことはある?」
ちょっと驚いて、困ったような顔をして六三郎は言った。
「……なくはない」
「……そう」
じゃあ私以外にもこんな風にしたのね……。
こんな風に抱きしめて、キスをして……髪に触れたりしたのね。
「でも、妻にしたいと思ったのは七重だけだ」
月が雲に隠れて、彼の表情が見えなくなった。
「私と他の女たちは何が違うの?」
「うーん……」
六三郎は唸ってしばらく黙り込んだ。
そんなに考えなきゃわかんない違いなの!?
「……上手く説明できないけど」
数十秒たってやっと口を開いた。
「全然違う」
「…………」
まったく説明になってないんですけど……。
沈黙から私の不満が伝わったのか、六三郎はまたちょっと考えて付け足した。
「俺はずっと剣の道一筋できたけど」
「そうなの?」
「うん。正直剣の腕で一番になることと、それで身を立てることしか考えてなかったな」
月を隠す雲が流れて、夜空を見上げる六三郎の少年のような顔が見えた。
ジパングの男性はみんなこうなのかしら? 繻子のようになめらかな肌が月明かりに照らされる。
「いつかそういう俺をサポートしてくれるようないい妻が欲しいと思ってたけど……」
また私の方に顔を向けて目を細めた。
「今は逆なんだ」
「逆」
「うん。七重を幸せにするためにこの剣の腕を活かしたいと思ってる」
「…………」
「そういう風に思ったのは初めてだから」
「……うん」
「七重と他の女とは全然違う」
……イケメンのわりに不器用なのね。この人。そういうところが、可愛くていいのかも知れないけど。
アムランでは男は4人まで妻を持つことができたから、お母様亡き後、お父様も2人の妻を娶ったわ。
さすがにシャルルカン王子がマハネと私を2人妻にすることはなかったでしょうけど。
私はそういう結婚は嫌だったの!
私の夫は私だけのもの。
身も心もずっと私だけのものでいてくれないとダメなの。
それから数日旅をして、甲斐の国にたどり着いた私たちは、ここで大名に仕官しているという六三郎の兄弟子を訪ねたの。
「兄弟子、ってなあに?」
「俺と同じ道場の先輩だよ。昔一緒に修行してずいぶん稽古もつけてもらった」
「じゃあ六三郎より強いの?」
「俺の方が強いけどね」
六三郎はにやっと笑って言った。
仕官先のお屋敷を訪ねてみると、兄弟子の多兵衛さんは町道場を運営しているらしく、その日もお弟子の指導中だったみたい。
町道場の場所を聞いてみると、お屋敷のすぐ裏にあるとのことで、私たちはそのまま歩いて道場まで行くことにした。
道場は程無く見つかって、中を覗いてみると子供たち相手に剣の技を教えている多兵衛さんがいた。
「おお、六三郎か。久しいな? 息災か?」
六三郎より5~6歳は年上かしら? 日焼けした精悍な顔立ちで、イケメンではなかったけどいかにも武道の達人っぽい感じ。
「お久しぶりです。多兵衛さんもお元気そうでなによりです」
挨拶を交わしてから、多兵衛さんの視線が私に向いた。
多兵衛さんは一瞬虚を衝かれたように黙ったが、すぐ我に返って尋ねた。
「そちらの女性は?」
「妻の七重です」
「……結婚したのか!?」
「はい」
六三郎は照れ笑いを浮かべて頭を掻いた。
「すごい美人の嫁さんじゃないか」
「ええ……まあ。かたじけない」
「とにかくめでたい」
多兵衛さんは六三郎と私を交互に見ながら笑った。
「積もる話もあるが今は仕事中でな。近所の茶屋ででも待っててくれないか? なに、あと半時ほどで稽古も終わる。終わったら迎えに行くから休憩しておいてくれ」
と手を振って稽古に戻ったので、私たちは言われるままに近所の茶屋に行くことにした。
お店と言ってもベンチ? のようなものを置いただけの簡単な造りで、座るとお茶と緑色の丸い食べ物が出された。
「これはなあに?」
「草だんごだ。美味いよ」
恐る恐る齧ってみるともっちりとした食感でほのかに甘い。
「琉球にはだんごはないのか?」
「こんな食べ物はなかったわね~」
「ふーん。どんな甘味があったのかな?」
「アーモンドとザクロと砂糖で作った甘いお菓子とか」
「なるほど。琉球はサトウキビが豊富にあると聞いたことがあるからな。で、アーモンドっていうのは?」
六三郎はずずとお茶をすすりながら聞いた。
「えーと、木の実の種よ。クルミみたいな」
「不思議な取り合わせだなー」
「そうね。私にはこの草だんご? が不思議だわ」
お茶も緑色で不思議な香り。
アムランではミントの葉を浮かべた紅茶に砂糖を入れて飲んでいたけど、ジパングではお茶に砂糖を入れる習慣はないみたい。
ふと気がつくと六三郎がなんだか嬉しそうににこにこしている。
「どうしたの? そんなにこのお菓子好きなの?」
もう一個食べる? と私は自分の草だんごを差し出した。
「いやいや。そうじゃなくって」
六三郎は笑いながら首を振った。
「こんな風にのんびり女の子とお茶を飲んだことはなかったなーと思って」
「そうなの?」
「うん。俺が住んでるところも田舎だったし、周りにはほとんど男しかいなかったからなー」
「私はいつも城……家を抜け出して町に出かけてたわ」
時にはアニスをお供に連れて行くこともあったわね。
ナツメのお菓子やシャーベットを買い食いしたりした。
マハネに話すと、大人しいあの子にしては珍しく「王女にあるまじき振る舞い」と眉をひそめてたけど。
あれはやめられなかったわ~~。
「すごいな、七重は」
六三郎は目を丸くして言った。
六三郎は、自分には3人のお姉さんがいるんだけど、みんなほとんど外に出かけることも無く、自分が小さいうちにお嫁に行ったんだと話した。
それからは両親が他界し、2人のお兄さんたちとも別れて、常陸国の道場で師匠の息子同様に修業するようになったとも。
「だから女ってみんなほとんど家にいるもんだと思ってたな」
「うちもそうよ。姉はずっと城……家に閉じこもってたもの」
私はふたつめの草だんごにかぶりついた。
結構豪快な食べっぷりだったので、六三郎は可笑しそうに笑った。
「六三郎も、女はしとやかな方がいいと思ってるの?」
「いいや」
笑顔のまま首を振った。
「一緒に野宿して、平気で水浴びするような度胸のある女がいいな」
「……なっ!?」
「あ、でも危険なことはNGだぞ。またさらわれたら困るからな」
「だからあれは私ひとりでも逃げられたんだってば」
私は口をとがらせて六三郎を睨んだ。
「七重もガンコだなー」
私が本気になったらあなただってかなわないんだからね!
声には出さなかったけど、心の中で六三郎に舌を出しておいた。
私がふたつめの草だんごを食べ終わったころ、稽古を終えた多兵衛さんが迎えに来てくれて、3人で多兵衛さんの家に向かった。
多兵衛さんは独身の一人暮らしだったけど、結婚祝いだと言って心づくしの晩餐を用意してくれた。
いなり寿司という変わった料理や葉物でできたピクルスのようなもの、焼き魚などが机に並んだ。
それからお酒も少しふるまってくれた。
「多兵衛さんも早く奥さんもらいましょうよ~~」
どうやらお酒に強くないらしい六三郎はほんの一本飲んだだけで酔っ払ってしまったらしく、さかんに多兵衛さんに絡んでいた。
「女は面倒でいけない。俺が落ち着くのはもう少し先でもいいだろう」
女の私を目の前にしてずいぶん無神経な発言だけど、どうやら多兵衛さんも酔ってきているみたい。
「俺は剣の道一筋よ~~」
だんだんエスカレートしてきたのか徳利から直接お酒をぐびぐび飲みながら多兵衛さんが言った。
「あ、俺もそうらったんすけどね~~」
だめだわ……。六三郎、完全にろれつが回らなくなってる。
「嫁さんいるといいれすよ~~。あんなこともこんなこともできるし~~」
「なに言ってんだお前は~~」
多兵衛さんの目が据わってきた。
……何? ふたりとも下戸だって言うの???
「ぶったるんどる~~! 稽古つけてやる。来い~~」
突然多兵衛さんが立ち上がって玄関に向かった。
「おっ。のろむところだ~~~」
六三郎も立ち上がってふらふらと玄関に向かって歩いていった。
「ちょ……、ふたりとも! どこ行くのよ!?」
私も思わず立ち上がってふたりの後を追いかけた。
「心配すんな~、ななえ~」
六三郎が私の肩をつかんで家の中に押し戻した。
「ななえは留守番だ~~」
「大丈夫ですよ~、奥さん。道場でひと勝負したら戻ってきますから~~」
多兵衛さんも右手をぷらぷらと振りながら言った。
「行ってくるな~。にゃにゃえ~~」
ふらつきながら肩を組んで歩いていく男ふたりを複雑な心境で見送ったわ。
道場は近いから、そこまでたどり着けないということもなさそうだけど……。
あんな状態で木刀を持って怪我しないかしら???
私は六三郎が飲んでいたお酒を一口飲んでみた。
「あ、けっこう美味しいかも」
安心してぐびぐびぐびっと飲んでみた。
「あ~~これ、いける~~~」
と声に出したとたん急にくらっと目の前が回りだした。
なになに?? これ、けっこう強いお酒なわけ???
体に力が入らなくなって、私はそのまま机の上に突っ伏した。
「……ちょっとだけ……。きゅうけい~~」
意識が薄れて、どれくらい眠ってしまったのだろう?
目が覚めたときは外が真っ暗になっていて、ふたりが戻ってきていないことに気づいた。
さすがに心配になってきて、私は道場まで様子を見に行くことにした。
泥棒や追いはぎにあわないように家の周囲と道に人除けの結界を張る。
これでみんなこの道を迂回して通ることになる。
道場の前まで行くと、中からうっすら灯りが洩れているのが見えた。
あのふたり、あの状態で本当に稽古してるの??
私は道場の引き戸を開けた。
わが目を疑うような光景が目の前に広がっていた。
六三郎が……多兵衛さんに覆いかぶさるようにして激しいキスを交わしていたのだ!!
アンビリーバブル!!!!!
「……ということがあったわけよ」
一気に話して喉が渇いた私は、用意されていたお茶を一息に飲み干し、ついでに側にあったお茶菓子に手を伸ばした。
「な、なるほど……ですね」
アニスはなんとも言えない顔をして、また少し考え込んだ。
「あいつホモの気があったのよ。そもそもなんか怪しいと思ってたのよね」
お茶菓子をひとつ口に放り込んだ。
「まあ……」
「2、3日前も水晶玉で様子を見てみたら、別の男といちゃついてたのよ」
もうひとつお茶菓子を口に入れた。
「うーーーーん」
「女は私だけでも、男なら何人でもいけるってわけ? なめんじゃないわよ」
3つ目のお茶菓子にかぶりついて一気に飲み込んだ。
「……太りますよ。姫様」
呆れたような目をしてアニスは言った。
「今日だけよ」
私はお茶でお菓子を喉の奥に流し込んで、ふぅーっと息を吐いた。
「それに、私がかけた呪いが発動して、六三郎は女になっちゃってるしね~」
「ええっ!」
アニスは卓袱台を叩いて、身を乗り出した。
「なんでそんな呪いをかけたんですか、姫様!?」
「六三郎の浮気封じのつもりだったのよ」
アニスは苦々しい表情で私を見た。
「……わかってるわよ。結果的には男好きの六三郎の後押しちゃってるってことは」
「いえ、そういうことではなくって」
「なによ?」
「万が一それが全部姫様の勘違いだったらどうするんですか?」
「現行犯逮捕なのに?」
「聞けば姫様酔っ払ってたんでしょう?」
ま……確かに、家を出る前はちょっと酔って眠りこけちゃったけど。
「ふたりを見たときはもう酔いが醒めてたのよ」
「自分の寝起きがどれだけ悪いかわかってますか?」
「大丈夫よ。レム睡眠だったから」
「は? 意味不明です。とにかく」
アニスは私の目をきっと見つめて言った。
「直接六三郎さんに確認してきてください。今後の身の振り方はそれから考えましょう」