3:六三郎
俺は故郷である常陸国へと向かっていた。
この状況を故郷に居る剣の師匠に相談しようと考えたのだ。
とは言っても師匠にこの状況をどう説明すりゃいいんだよ……。
「なぜか突然、女になりました」じゃ絶対に信じてもらえねえだろうしな……。
まあそれは故郷に着くまでに何とか上手い言い方を考えよう。
しかし、今度故郷に帰るときは師匠には「妻を娶りました!」と報告して驚かせるはずが、まさか「女になりました!」と驚かせる事になりかねないとは……。
もっとも剣の師匠にこんな事を相談しても、なにも解決しないかも知れないが、あまりの出来事に、実際俺自身も気持ちが落ち着いているとは言えない状態だ。
七重が居なくなって、はや五日。
もしや、またさらわれたのかと思い、七重が居なくなった付近の遊郭はくまなく捜したが、七重の姿は無く、それらしい女を見かけたという話も無かった。
やっぱり、俺の体が女になった事と七重が居なくなった事は関係あるんだろうか……。
とにかく一旦故郷に帰って、気を落ち着かせたら改めて日本中を歩き回ってでも七重を探し出すつもりだった。
しかし、七重は今どこにいるんだろうか。
遊郭に売られたりしているわけじゃないのは間違いないと思うが、それと七重の身が安全という事とはまた別の話だ。
だが、闇雲に探し回ったところで偶然七重を見つけるなんて事は、あり得ないだろう。
俺が故郷に向かうのには、当然元来た道、七重と歩いた道を逆に歩くことになる。
もしかすると、何か手がかりがあるのでは? という考えもあった。
さらに、落ち着いて事態を整理する意味もあって取り敢えずは故郷を目指す事にしたのだ。
しかし、七重が無事かを考えるたびに、胸が張り裂けそうになる。
七重は野盗に連れら去れそうになっていた時も、簡単に逃げられるみたいな事を言っていたが、実際どうやって逃げるつもりだったのかは聞いていなかった。
今回七重が連れさられて戻ってきていないと言う事は、七重のその方法が通用しなかったと言う事だろうか……。
だめだ、気が滅入るばかりだ。
しかも、ただでさえ頭を悩ませている俺に追い討ちを掛けやがる奴がいる。
「宿に泊まるんなら同室っすよね!」
どうしてこいつはそこで、?(疑問) ではなく!(断定) を持って来るんだ?
俺と同室で寝ることを目論んで、伍助は目を輝かせながら俺の後を付いて来る。
どうしてこんな奴を付いて来させるのかと言えば、勝手に付いて来やがるのだ。
伍助と初めて会った時に、伍助は追っ手を1対2で倒しただけあってかなりの腕前だ。
そのかなりの腕前の忍者を撒くのは、それ以上の腕前の忍者でないと難しい。
戦えば伍助に負けるとは思わないが、あくまで剣士である俺に、伍助を撒くのは不可能だったのだ。
もちろん、何度かは俺も伍助を撒こうとしたのだが、伍助が寝ているうちに起き出し、必死で駆けて山を越え谷を越えた挙句、
「黙って行くなんて、つれないっすよ!」
と笑いながら先回りされていては逃げるのも馬鹿馬鹿しくなった。
結局、どうせ撒けないのならと、俺は伍助に貴重品以外の荷物を持たせたり、野宿する時に食事の用意をさせたりと、こき使う事にした。
だが伍助は、荷物を持たせようとした俺を
「やっと俺のことを受け入れてくれたんっすね!」
と抱きしめてきやがった。
とりあえず伍助の股間を蹴り上げといたが、寝込みを襲われてはたまったもんじゃねぇ。
「……いや、先を急ぐので次の宿場町は素通りする」
「野宿は危険っすよ!」
お前の方がもっと危険だ。
「だいたい、俺は野宿でも襲うから同じことっすよ?」
自分で言うなよ。
だが先を急ぐ事もあるが、実は路銀が底をつきかけている。
野宿したからといって体調を壊すようなやわな鍛え方をしていないので、よっぽどの事がない限り野宿したほうが良いだろう。
飯は伍助が何とかするしな。
俺は、未練がましく「やっぱり泊まりやしょうよー」という伍助を無視して宿場町を通り過ぎ、道を急いだ。
山道を進んでいると、はじめは俺たち以外の旅人とも何人かすれ違ったが、日が傾くに連れて誰ともすれ違わなくなった。
これからこの山道に入っていては、日があるうちに次の宿場町まで辿り着けない。
野宿などしない普通の旅人がこの時間にこんなところを歩いてはいないか。
俺たちも暗くなる前に野宿の準備をする事にした。
「じゃあ、なんか食うもん集めてきやす!」
伍助はそう言って山の中に分け入って姿を消した。忍者だけあって、食べられる山菜を見分けたり、野鳥などを捕らえるのが上手い。まかせておけば大丈夫だろう。
じゃあ、俺はかまどでも作っておくかな。
手ごろな石を集めて環になるように並べ、次に木の枝を集めた。
たいして手間が掛かる事でもないのですぐに終わり、俺は近くに生えていた木の幹にもたれ掛り伍助の帰りを待った。
そういえば七重と旅していた時は、七重がかまどの準備をしてくれてたな……。
七重の作る料理は今まで食べたことが無い味付けで、辛かったけど美味かった。
俺が「変わった味付けだな」と言うと、七重は、
「私の生まれたところの味付けなの」と言った。
「七重の生まれたところって?」
「えーと。ここよりずっと西に行って南の方よ」
「ずっと西で南って言うと……。もしかして琉球?」
「え? ええ。そうよ。そこ」
「やっぱりそうか。七重はちょっとエキゾチックな感じだから、そうかなって思ってたんだ。でも、すごく遠くから来たんだな」
「ええ。そう。とても遠くから来たの……」
七重はそう言って遠くを見つめていた。
琉球か……。
場合によっては琉球まで行くことも考えないといけないな。
しかしもし七重が琉球に居るとなると、もしかして俺に見切りをつけ、実家に帰ったということか!?
いやいや、そんな事は無いはずだ!
だって、俺と七重はラブラブだったはずだ!
だが、七重は親の承諾を得ずに俺と結婚している。
もしかして、それが親にばれて連れて帰られたとか、ありえるかも知れない……。
やはり、結婚するときは、ちゃんと親御さんに挨拶すべきだったか……。
琉球に行くときは、結納道具を持参すべきだろうか?
いや、しかしそれにしても、俺の体が女になっている事を先に解決しないと、
「娘さんを嫁に下さい!」
「きみは女じゃないか」
で、話が終わってしまう。
やはり、男の体に戻るのが先か?
いやいや、七重が実家に帰っていると決まった訳じゃない。
七重の安全を考えれば、七重の居場所を先に見つけないと。
うーん。考えが纏まらない。
やはり、早く故郷に帰って落ち着いて考えを整理する必要があるな。
「ただいま帰りやした」
俺が七重の事や体の事を色々と考えていると、伍助の声が聞こえた。
声のする方に視線をやると、伍助が右手で山菜を抱え、左手に野鳥をもって戻ってくるところだった。
そして近くまで来ると、俺が準備したかまどの傍にその山菜と野鳥を置いたが、伍助は終始にこにこと笑っている。
「なにをそんなに笑ってるんだ?」
「いやー。一仕事終えた旦那の帰りを、飯の準備をして待つ新妻ってこんな感じなんっすかねー?」
伍助はそう言って、俺に向かって親指を突き立てて笑った。
「……」
俺は二度とかまどの用意はしないと心に誓い、とりあえず今回は無視する事にした。
その後俺は、飯の準備は伍助に任せ、伍助に背を向けて寝転がり飯の準備が終るのを待った。
背を向けたのは、もちろん、拒絶の意思を表す為だ。
そしてそのうち、良い匂いがしてきたなー。と思っていると伍助の「出来やしたよー」という声が聞こえた。
俺は伍助が用意した飯を食い終わると、すぐに横になる事にした。
辺りが暗くなれば寝るしかする事がないのだ。早く寝て朝早くに起きて道を急ぐのがいいだろう。
だが、木の幹の傍で横になろうと、かまどの前から立ち上がろうとした俺だったが、膝が縺れその場に尻餅をついてしまった。
なんだ? 体が重いぞ?
「あ。効いてきたっすか? 飯に薬入れたんっすよ!」
おいおい。洒落になんねぇだろ。
「いやー。料理している時に、俺から背を向けていたから、チャンスかなーって。つい」
伍助は呆然とする俺に見つめられながら「さーてと」と、ゆっくり立ち上がった。
我に返った俺は、地面を転がり木の根元へと辿り着いた。
そして木の幹に立てかけていた刀を手にする。
殺らなければ、犯られる!
俺は震える手で刀を抜くと、木の幹で体を支えながら何とか立ち上がった。
「あれ? 結構動けるんすね? かなりの量の薬入れたのに」
伍助はそう言いながらにやにやと笑って近づいてきやがる。
薬が効いていると余裕なのだろう。
俺は刀を持つ手を腰の右横に引いて、突きの体制に入った。
伍助は警戒して俺の突きの間合いの外で脚を止めた。そしてそこで余裕の表情で俺を眺めている。
薬が効いて俺が倒れるのを待っているのだろう。
だが、しばらく俺と対峙しているうちに、伍助が首を傾げた。
「なんでまだ立ってられるんです?」
「昔から薬が効き難い体質でな」
「げ! それは予想してなかったすね……」
さっきまで余裕を見せていた伍助だったが、かなり焦ってきたようだ。
さすがに薬まで使って失敗しては、後がない。
ここまでやって失敗しては、次の日も共に旅するのは難しいと伍助も分かっているのだろう。
だが薬が効き難い体質というのは嘘だった。
俺は今にも倒れそうになっていたのだ。
ではなぜ平気そうに、重たい刀を構えていられるのかというと、実は木の幹にくぼみがあるのを見つけ、そのくぼみに刀の柄を差し込んでいたのだ。
つまり、重たい刀を構えているのではなく、固定された刀に寄りかかって立っているのだ。
だがそれももう限界だった。
寄りかかるといっても、刀を構えているように見せかけているので、全体重を支えられているわけではない。
今にも膝が崩れそうだった。
倒れたら伍助の餌食になるだろう……。
しょうがない……俺はやむを得ず切り出した。
「ルールを決めないか?」
「ルールっすか?」
「ああ。とりあえず薬はなしだ」
「へえ。それで?」
「薬なしでお前が俺を襲うのに成功すれば、大人しくお前のものになってやろうじゃないか」
想像すると自分でも気持ち悪いが、仕方がない。
ここで犯られるよりはマシっていうもんだ。
「へー。どういう風の吹き回しです?」
伍助が疑いの眼差しで俺を見た。
薬が効かないのなら、そんなルールを作る必要がないだろうと疑っているのかも知れない。
「お前がもっと強力な薬を持っていないとも限らないからな。まぁもっともこのルールをお前が受けないなら、どちらにしろもうお前をついてこさせる訳にはいかないがな」
俺は舌が縺れそうになるのを何とか堪えた。
目も霞んで来た。
もう限界に近い。
「うーん。どうしやしょうかねー」
伍助にしてみれば、俺が連れて行かないと言っても、勝手について来る事はできるのだ。
薬ありで俺に隠れて追いかけて襲うチャンスを待つのと、薬なしで俺と一緒に旅しながら襲うチャンスを待つののどちらが良いか迷っているのだろう。
「言っとくが、薬ありの場合は、お前を殺すつもりで抵抗するからな」
「げ! それは勘弁して欲しいっすね……」
伍助は「うーん」と唸り考え込んでいる。
まったく、もっと違うことに頭を使ったらどうなんだ。
そんな事だから、上司の嫁なんかに手を出して命を狙われるんだ。
……くそ。
早く結論をだしてくれ、もう……限界なんだ。
「うーん。じゃあ薬なしの方で」
その声を聞いた瞬間、俺は意識を失った。
しばらくし気付くと、俺は伍助の膝に抱えられていた。
なに?
犯られてないか!?
俺は慌てて自分の体のあちこちをさわり衣服の乱れを確認した。
「大丈夫っすよ。何もしていやせん。約束ですからね」
伍助はそう言って、にこっと笑った。
「伍助……」
意外に律儀な奴なのかもしれないな……。
「お六……」
伍助はそう言って俺の顔に自分の顔を近づけた。
「誰が、お六だ!!」
俺の頭突きが伍助の顔面に炸裂した。