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戦国トランスジェンダー  作者: 六三
抜け忍には死を!の巻
18/27

6:ナエマ

「アサギがいないっ!?」


 早朝、なんとなく嫌な予感がして布団を跳ね除けるようにして起き上がり、隣の部屋に駆け込むとアサギの姿が見えない。

 無人の部屋には無造作にたたまれた布団が部屋の隅に寄せられている。

 とっくに峠は越えてるし死ぬことはないけど、記憶操作もしてないし、あのまま六三郎たちに合流されるとアサギの口から私たちのことが六三郎に知られることになってしまう……。


「姫様、どうしたんです? 血相変えて」


 驚いて目を覚ましたらしいアニスがいつの間にか私の隣に立っていた。


「アサギがいないの!」


「……あら?」


「まだその辺にいるかも知れないから、私探してくるわねっ! アニスはここで待ってて!」


 と言うなり、外出着に着替えて、私は宿を飛び出した。




 万一アサギが帰ってくるつもりでちょっと表に出ただけなら、私たちがいないとそれこそ本当に行ってしまうかも知れないし(今、既に行ってしまってるのかも知れないけど)、アニスには待機してもらったほうがいいわよね。


 宿を飛び出して、常陸国方向に向かう獣道を奥へ奥へと走って数分もすると……、

「あ~~~! 私ってバカ!! 水晶玉見てくればよかった!!」

 と自分の間抜けさ加減に気づいてがっくりと脱力してしまった。


 息を切らせて、体中から汗をにじませながらも、アサギの気配を感じることができないかと神経を研ぎ澄ます。

 ……誰かがここを通った気配が残っている。

 草の上を踏み歩いた後の新しい青臭さが漂っている。

 ちょっと待って! でも、アサギとは限らないのよね。

 この辺りの村人かも知れないし……、それどころかニンジャの追っ手という可能性もなくはないわ。


 私は用心深く気配を封じる結界を周りに張ると、改めて深呼吸をし、青臭い匂いの後を辿って進んだ。

 10分も歩いただろうか? 滝水が流れ落ちるような音と共に、涼しい粒子が肌に当たるのを感じた。

 この辺りには滝があるんだわ……。

 草木を掻き分けて水音のする方を見ると小さな滝と小川が見える。


 そういえば、滝で水浴びして六三郎に覗かれたことがあったわね……。

 まあ……、わざと覗いたわけじゃなさそうだったけど。


 そんなに昔のことじゃないのに、なんだか懐かしい思い出のような気がして胸の中に切なさが広がった。

 二度と会えない……訳じゃないのに。


 六三郎と交わした会話や歩いた景色を思い出しながら歩いていると、滝の音がだんだん大きくなっていた。

 どうやら、すぐ先にわりと大きな滝があるらしい。

 六三郎との記憶で意識のほとんどが占められていたせいか、ほとんど無意識に私は目の前の藪をざっと掻き分けた。

 急に視界が開けて、小さな池ぐらいの滝つぼの中で滴り落ちる滝の流れを浴びている素っ裸(? 正確にはフンドシ?? とかいう下着を身につけただけ)のアサギが飛び込んできた。




「きゃあぁぁぁぁ~~!!!!」


 いきなり全裸(に近い姿)で現れたアサギを目にした私は、心の準備ができていなかったせいで絶叫してしまったわ。

 それにしても、山の中で私の声の響くこと、響くこと。


「うわっ!!」


 その絶叫に驚いたアサギも連鎖反応的に悲鳴を上げて、ザブンと水の中に沈み込んで身を隠した。

 ……が、「ちょっと待てよ。何も隠れる必要はないだろう」と思ったのか5秒後ぐらいには頭までずぶ濡れになった状態で水から体を出して立ち上がったけど。


「姫様?」


 全身からボタボタ滴をしたたらせながら首を傾げ、こちらに近づいてくる。


「な……、なんて格好なのよっ!」


 目の前のアサギの姿を払いのけるように手を振って後ろを向いた。


「どうしたんだよ?」


「いいから服を着なさいっ! 服を!」


「いや、まだ服乾いてないし……」


「はあ?」


「だから、服洗っちまったし。今乾かしてるから」


「はあ……」


 答えながらアサギがどんどん近づいてくる気配がわかる。


「姫様、よくここがわかったな」


「それよりっ! 何してるのよ? なんで黙って出て行ったりしたの!?」


「いや、別に出て行ったわけじゃねえんだけど……」


 ザッと音がして、アサギが水から上がったのが判った。

 それから木の枝に引っ掛けてたらしい着物を下ろして、パンパンと叩いて水気を切るような音がする。

 ドスンと私の横に腰を下ろす。


「ほら、これでいいか?」


 横目でちらりとアサギを見ると、腰から下に着物を被せて寝転がっている。

 まだ上半身は露わだったけど、まあ……男の上半身が裸だからってどうってことないわね……。


「……いいけど」


 なんとなくまだ照れくさい気がして不機嫌な顔のまま、アサギの横に腰を下ろした。

 アサギの胸や腕にはまだ襲われたときの傷跡がくっきりと残っている。

 完全に塞がってはいるけど、この跡が消えるまでにはもうしばらく時間がかかるわね。

 そんなに長い間、一緒にいることはできないけど……。


 それにしても、意外に逞しい体つきだったのね。

 さんざん包帯とか替えて見てるのに、気づかなかったわ。

 六三郎と比べてもかなり筋肉質な感じ。

 やっぱりジパングの人間とは体型も少し違うような気がするわね……。


「出て行ったんじゃねえよ。まだ、ちゃんと礼も言ってないし」


 木漏れ日が眩しいのか、左の手のひらで庇を作るように目の上を覆いながらアサギが言った。


「世話になったしさ……、なんか礼できないかと思って」


 いつの間に持っていたのか、右手には赤い実でいっぱいになった桶を持っていた。


「これは……?」


「グミとバライチゴだ。甘酸っぱくて旨い」


「あ、ありがとう」


「まあ……、桶は、宿のを失敬しちまったんだけどよ」


 私たちにお礼をしようと、わざわざ探しに行ってくれてたんだ。

 アサギの顔を見ようと視線を運ぶと、左手のひらで目を覆って照れくさそうに顔を隠していた。

 ……乱暴そうだったけど、いい子なんだな……。


 しばらく無言の時間が続いて、ちょっと気まずくなったころ、アサギが赤い実をひとつ手に取った。


「食ってみなよ」


 そして、私に差し出した。


「う……うん」


 私は赤く柔らかいイチゴの実を受け取って口に入れた。

 口の中でじわっと酸っぱさが広がって、その後甘みが残る。

 野性味の強い不思議な味。


「酸っぱいけど、甘いね」


 アサギは口元で笑って、目から手のひらの庇を外し頭上高い緑の枝を見つめた。

 日の光がアサギの目に差し込んで、淡い褐色の目の色が琥珀のように輝いて見えた。

 日に透ける髪の色も赤みを帯びて銅色に揺れている。


「きれいね」


「何が?」


「アサギの目と髪の色」


「俺の目と髪が?」


 アサギは眉根を寄せて険しい表情になって私の方に首を向けた。


「こんな鬼みたいな色が? 嘘言うなよ」


 と言って、ぷいっと顔を背けた。


「ほんとよ。琥珀みたい。キラキラしてる」


「いいかげんにしろよ!」


 アサギはがばっと状態を起こして私を睨んだ。


「この髪のせいで嫌われてきたのに……。きれいなわけねえだろ!」


「嫌われてきた??」


 私は驚いて目をパチクリとさせた。

 つまり、外国人に対する差別のようなものがアサギを苦しめてきたということ?

 彼の目と髪の色のせいで……。

 しまった……。無神経なこと言っちゃったわね……。


「ごめんなさい……」


 私は反省して、小さく謝った。

 だけど、こんなに素敵な色なのに、それをアサギが知らないなんてもったいないな……。


「でも、私は好きよ。アサギの目と髪の色」


「………」


 アサギは険しい表情を和らげて……というより、悲しげな表情になって、ふたたび空を仰ぐように寝転んだ。


「……俺が捨てられてたのは、この髪と目の色のせいなんだ」


「え?」


 どこから聞こえてくるのか鳥のさえずりが響く。

 アサギの心境をよそに、少し無粋なくらい賑やかなさえずりが。


「里に近い山奥に俺は捨てられてた。置手紙もなく。ボロ布にくるまれて」


 まばたきを忘れたように目を見開いたまま、空を見つめてアサギが続ける。まるでひとりごとのように。


「手のひらに青い石を握ってたんだとさ。浅葱色の。それでアサギって呼ばれるようになった」


 アサギは着物を裏返して、縫い付けてある鮮やかなライトブルーの石を見せた。

 小指の爪ぐらいの大きさの楕円の石。

 これは……ターコイズ?


「ターコイズね」


「ターコイズ?」


「ええ。私の国では旅の守護石と言われているわ。持ち主の身代わりになってその身を守る石と」


「そうなのか……」


 アサギは改めてターコイズを見つめた。


「この石は上忍に一度取り上げられたんだ。それを伍助兄貴がこっそり盗み返して隠しててくれた。俺がものがわかるようになってから親の形見だって渡してくれたんだ」


「そうだったの……」


 伍助ってちゃらんぽらんな男だと思ってたけど案外いい人なのね。

 アサギが命を懸けて追いかけるぐらい慕っている相手なんだし。

 ……それでも、やっぱりちゃらんぽらんなような気はするけど。


「里じゃ俺はずっと嫌われ者だった。赤い髪と目のせいで鬼の子って言われてよ。悪いことが起こるとみんな俺のせいだと言われた。その度に伍助兄貴がかばってくれて、兄貴だけが俺の味方だったんだ……」


 口の堅いアサギが自分のことを話してくれている。

 おそらく思い出したくもないような記憶を思い起こしながら。


「私も……嫌われてたわ」


 ほとんど無意識だったと思う。

 アサギの告白に相槌を打つように呟いてしまったのは。


「……え?」


 アサギはびっくりしたように振り向いて私を見上げた。


「私も他の人とは違ってたから……。ずっと陰で悪く言われてたの」


 アムランの姫として表ではちやほやされていても、陰では「魔女」とか「魔物の血を引く姫」と言われていたわ……。

 だから、シャルルカン王子も最終的にはマハネを選ぶんじゃないかって……どこかで判ってた。

 私の地位や外見に惹かれて近寄ってきた他の王子たちの中には、私の魔法を見たとたんに手のひらを返すような態度をとった人たちもいた。

 私を本当に一人の人間として認めてくれてたのは、お父様とマハネと……アニスだけだったわ。


「姫様を嫌う奴がいるなんてわからねえな」


 アサギは上体を起こしてまっすぐに私を見て言った。


「きれいだから、妬まれてるんだよ。それしか考えられねえ」


「それは違うわよ」


 私は苦笑した。

 私が魔女だということを知ったら、アサギはどう思うのかしら?

 でも、アサギなら私の気持ちがわかるかも知れないわね……。

 頭の片隅でそんなことを思っていると、アサギの声に引き戻された。


「姫様を見たとき天女ってこんなのかと思った」


 言葉が、止まった。


 この子、六三郎と同じことを言うのね。

 あどけない目で、真剣な顔で。


「こんなに優しくしてもらったのは、生まれて初めてだ……」


 アサギの大きな目が一瞬切なそうに細くなって、再びまっすぐに私を見た。


「こんな暮らしがあるって夢に見たこともなかった」


 言いながらアサギは着物に縫い付けてあるターコイズをちぎり取った。


「……これが誰かを守ってくれるというなら姫様たちを守るように」


 アサギは私の右手を取ってターコイズを握らせ、その上に自分の手のひらを被せた。


「ダメよ! ご両親の形見でしょ? これはアサギが持ってなさい!」


 私は首を振って、手を引きターコイズをアサギに返そうとした。

 だけど、強い力で握られていて、アサギの手を払うことができない。


「俺を捨てた親に未練はねえよ。俺の命は姫様にもらったようなもんだ。俺がずっと側にいて姫様を守れたらいいけど、それはできねえ」


「アサギ……」


「姫様たちのことは忘れねえ。俺のこれまでで、一番……、なんて言うか……」


 アサギは一生懸命言葉を捜しているようだった。

 強い、強い力で私の手を握りながら。


「……そう、一番、幸せな時だった……。……ありがとう」


 アサギは初めて見せる優しい表情で微笑んだ。

 そして、ターコイズを握らせた手を私の膝の上に置くと、立ち上がり、まだ濡れたままの着物を着た。

 何故なの? 催眠魔法をかけられたように、ただ、アサギを見上げることしか出来ない……。


 着物を着終わると、アサギはゆっくりと2、3歩歩き出した。

 そして、一度だけ振り返って泣きそうな目で私を見た。

 それは一瞬の表情で次の瞬間には切なそうな微笑みに変わっていたけれど。


「……アサギ」


 引きとめようとして声に出して呼ぶ前にアサギは駆け出していて、あっという間に姿が見えなくなっていた。

 幻を見ていたのかと思うぐらいアサギは気配ごと完全に消えていた。

 右手のひらに、硬い、青い石だけを残して。


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