3:六三郎
伍助と新九郎が足を引っ張り合った結果、平穏に旅を続けていた俺は下野国を通り過ぎ武蔵国にたどり着いた。
京までの道のりを考えればまだまだだが、国を超えるというのは一つ節目を通過した様で気分が良い。
「よし! 武蔵だぞ!」
「武蔵って言ったって京まではまだかなりあるじゃねえか」
道の脇に立つ「これより武蔵国」と彫られた古びた石碑を通り過ぎ叫んだ俺に新九郎が茶々を入れてきやがった。
折角気分良くしてるってのに、まったくひねくれた奴だな。
「順調に進んでいるんだからいいだろ。ぶつくさ言うんだったらついてくるなよ」
だが俺の言葉に新九郎は動じた様子も無く、いや、むしろ俺に言い返されたのが嬉しい様で唇を右上に歪ませ皮肉な笑みを浮かべている。
相手をして欲しくて突っかかってくるって子供かよ。
しかしふと気付けば、こういう時は新九郎を牽制する伍助が会話に入ってこないな。
後ろを歩く伍助を振り返ると、俺の視線にも気付かず、いつに無く深刻そうな表情で俯きながら歩いていた。
「どうした伍助?」
「え? 何でもないっすよ?」
俺が声をかけた瞬間、顔を上げいつも通りの口調で話す伍助だったが、やはりさっきの表情は気にかかる。
「そうか? かなり深刻そうな顔をしてたじゃないか」
「いやー。実は俺はそろそろお暇させて頂こうかと思いやしてね」
「なんだって?」
あれだけ俺に執着していた伍助の突然の言葉に俺が驚いていると、新九郎が肩をまわして来た。
「それは俺達二人の仲を認めると受け取って良いんだな」
「ちげえよ」
伍助は冷たい目で新九郎を睨み、俺は肩にまわされた新九郎の腕を振り払った。
だが新九郎は余裕な態度でにやっと笑った。
「まぁどちらにしろお前が居なくなったら六三郎は俺のもんだがな」
そうかしまった!
いくら女になったからって剣や組討の接近戦主体に鍛えた俺は、飛び道具なんかでの戦いを主体に鍛えてきたらしい伍助に夜這いされても撃退出来ていた。
しかし、俺と同じく接近戦主体に鍛え、しかも人一倍腕力の強い新九郎に夜這いされて、力ずくで組み敷かれてはやばいんだった。
それになんだかんだ言っても伍助は手加減してたっぽいしな……。一度薬を盛りやがったけど。
「何を言ってるんだ。仲間じゃないか。これからも一緒に旅を続けよう」
せめて新九郎が居なくなるまではと、俺は伍助を引き留めたが、伍助は俺の考えを見透かした様に片目を瞑って見せた。
「いやー。離れていても仲間は仲間っすよ」
ちっ! 駄目か。だがどうにかして引き留めないと俺の貞操の危機だ。
「でも、どうしていきなり別行動したいだなんて言うんだ?」
「覚えて無いっすか? ここ俺と六さんが会った場所の近くっすよ」
「そう言えばそうだったかな。お前が追っ手とか言うに追われてたんだっけ」
本当は場所まではまったく覚えていなかったが、とりあえず口を合わせた。
「おいおい。物騒な話じゃねえか」
「だから別行動するって言ってんだろ」
「いやいや。ちょっとまて」
うーん。追っ手に追われている伍助と一緒に居るのと、伍助の居ない事を幸いに襲ってくる新九郎と一緒にいるのとどっちが危険なんだろうか。
だが俺の考えがまとまらないうちに伍助は
「じゃあ。俺はこれで!」
と右手をあげた。
「おう。さっさと行け!」
こうして伍助は新九郎からの暖かい見送りの言葉を受け、道をそれて林の中へと姿を消した。
行ってしまったか……。
しかしこれは今夜から新九郎の夜這いには気を付けないとな……。
俺がそう考えていると、突然俺の尻に新九郎の手が這い背筋がぞわりと泡だった。
「てめえ! なにしやがる!」
「思ったより柔らかい尻だな。俺はもうちょっとしっかりした尻が好きなんだが」
「お前の尻の好みなんか知るか!」
くそ! 夜に襲ってくるかと思ったら早速かよ!
俺は新九郎から逃げる為、伍助を追う様に林の中へと足を踏み入れた。
やっぱり伍助を連れ戻すか、いっそのことこのまま新九郎を撒いちまうか。
俺はとにかく走り続けたが、新九郎は離れず追ってくる。
「いい加減観念しやがれ!」
「誰が観念するか!」
しかし伍助が林に入ってから俺もそれほど間をおかずに追ったはずなのに、さすが忍者と言うべきか中々伍助に追いつかない。
伍助も林に入ってからは駆け出したみたいだな。
だが、さらに俺が新九郎に追われながらも走り続けると、前の方から男の声が聞こえてきた。
伍助か? とも思ったがどうやら別人らしい。
俺が足を緩めて木の陰に隠れると、追いついてきた新九郎もさすがに雰囲気を察したのか襲っては来ず横に並んだ。
木の陰から顔を出すと、なんと伍助と伍助と同じ様な服を着ている数人の男達が争っている様だった。どうやら早速追っ手が現れたらしい。
「3人も追っ手を送り込んだのにまさか返り討ちにするとはな」
「へっ! 3人程度で俺を殺れると思ったのか」
ん? 伍助が3人の追っ手に追われてた時って、俺と伍助が始めて会った時の話か?
それだと伍助は3人の追っ手に殺られかけていた筈だが、伍助ははったりをかましている様だ。
少しでも相手がびびってくれたら隙が出来るかもしれないし、相手に隙が出来れば戦うにも逃げるにも有利になる。
だが残念ながら伍助の目論みは上手くいったとは言い難い。
「だから今度はこうして6人で来たんだろうが」
と男達の中でも格上らしい奴が言い、その言葉に伍助が小さく舌打ちをした。
まぁ実際は3人でもやばかったんだから、6人相手じゃ話にならないだろうな。
男はいつも飄々としている伍助が表情を変えたのが嬉しいのか。楽しそうに笑う。
「そんな顔をするな。お前が寂しくない様にちゃんとアサギを先にあの世に送っておいてやったんだからな」
「なんだと!」
「恨むんなら自分を恨みな。お頭に逆らっておいて手前の弟分が無事ですむとでも思ってやがったのか? アサギが死んだのは手前の所為なんだよ!」
「くそ……!」
おいおい。なんだかかなり酷い話になってそうだな。
これはさすがに捨てては置けないが、今はまだ飛び出すべきじゃないだろうな。
以前伍助は2人相手なら勝っていたし、俺や新九郎は伍助の様な忍者じゃないが伍助に引けは取らないはずだ。3人対6人なら勝算は高いだろう。
だが以前伍助を襲った奴らより一人一人が今回の奴らの方が強い可能性もある。
ここはぐっと我慢して奴らの注意が完全に伍助に向いた時に後ろから切りかかるべきだ。
俺がそう考えて身を潜めていると思いがけない所から声が上がった。
「それは聞き捨てならんな!」
なんと新九郎が木の陰から奴らに向かって姿を現しやがったのだ。
まさか伍助が殺られそうって時に新九郎が手助けしようとするのは意外だったが、それよりもこの段階で姿を現すのはもっと意外だった。
駄目だ。こいつは馬鹿だ。
こうなったら俺だけでも隠れておこう。
相手も今新九郎が姿を現したのに、さらにもう一人隠れているとは思うまい。
思わぬ男の出現に身構える男達に向かって、新九郎が啖呵をきった。
「1人相手に6人がかりでも男らしくねえところを、弟分まで殺すとは許さねえ! 俺が相手だ!」
おお。意外と男気があったんだな。
と俺が思っていると新九郎の顔が、俺が隠れる木の方へと向いた。
「そうだろ。六三郎!」
「なに! もう1人居るのか!」
新九郎、死んでくれ……。
あまりの馬鹿馬鹿しさに脱力しそうになったが、相手を勢い付かせる訳にもいかない。
俺は今更ながらも、腕を組みあえて堂々と姿を現した。
「ああ。まったくだ。聞き捨てならん」
「くそ! まさか伍助に仲間が居たとは。お前ら油断するな!」
男は身構えながら後ろに立つ男達に声をかける。
隠れておいて後ろから襲う作戦が駄目になった以上、もう全力で戦うしかないが一応伍助に確認しておこう。
「伍助。何か聞き出す為に1人くらい生かして捕まえた方が良いか?」
「全員殺っちまってかまやしやせんよ。どうせこいつらも言われた事をやっているだけで、詳しい話なんか聞いてやしねえんっすから」
伍助は吐き捨てる様に言ったが、自分を殺しに来た相手にもかかわらず、微かに哀れんでいる様に聞こえたのは気のせいか?
だが今はそれを深く考えている暇は無い。
「よし!」と叫ぶと、俺は男達に向かって突進した。
こいつらが伍助と同じ技を使うなら距離を置かれては面倒だ。一気に突っ込んで接近戦に持ち込む必要がある。
しかし敵もそれは分かったもので、俺の突進に飛び退る。
「ぐわっ!」
男達のうち1人が叫び声をあげて倒れた。
見ると胸に手裏剣が刺さっている。俺の突進に男達が逃げる方向を予測した伍助が放ったらしい。
これで後5人。
俺達は奴らの手裏剣を警戒し木々に身を隠しなりを潜めている。
そして奴らも姿を隠した。
いくら忍者でもこんな森の中じゃ地面の草木を踏まずには進めないし、そうすれば音が鳴る。
そしてそれはこっちも同じ事。お互い耳をすませて位置を探りあう。
だが突然前方の茂みが大きく揺さぶられ、ガサガサと大きな音が辺りを支配した。
何かしてくるのか? と思った瞬間背後に殺気を感じ考える前に身を伏せた。
カッカッと寸前まで俺が立っていた場所を走り抜けた手裏剣が木の幹に突き刺さった。
ちっ! 1人が大きな音を出して他の奴が移動する足音を紛らわせる作戦か。
どうやらこんなところでの戦いは忍者である奴らの方に一日の長がありそうだ。
ちょっと不味いか?
ガサっと俺の左前方で音が鳴る。どうやら新九郎も襲われて身を伏せたみたいだな。
だが不意にドサッと上から男が降って来た。
その背には手裏剣が刺さり、その手裏剣が致命傷なのか落ちた所為かは分からないがすでに事切れている。
そうか。
奴らは森の中の戦いに不慣れな俺や新九郎を狙ってくるが、伍助はその俺達を見張って、俺達を狙う奴らを逆に狙っているという事か。
とにかくこれで後4人。
よし。伍助の意図が分かった以上、こっちも動くか。
間違いなく敵の罠だが、あえて音が鳴る茂みに向かって俺は走った。
奴らは知らないだろうが俺は着込み(鎖帷子)を着ている。
着込みは刺す物には弱いので手裏剣を完全には防げないがそれでも1,2回くらいなら耐えられるだろう。
俺は頭を守るように身をかがめながら突進する。
「がぁ!」
俺の背後でくぐもった声が聞こえ、その後何か重いものが地面に落ちる音。
どうやら俺を狙った男をまた伍助が仕留めたらしい。
後3人。
俺は音が鳴る茂みへと突き進み、伍助の援護のおかげか結局手裏剣の攻撃を受けないまま茂みへと近寄る。
しかしガサガサという音は鳴り止まない。
俺は直感的に茂みを迂回して音が鳴る茂みの裏のさらに後方に回りこんだ。
するとやはり男が紐を片手に身を伏せていた。
茂みに隠れていたのならあそこまで俺が近づいてたのに逃げもせず、平気で音を鳴らし続けられる訳が無いのだ。
「うわ!」
俺の出現に驚いた男は飛び跳ね逃げようとするが、俺は一気に距離を詰め奴の胴に突きを食らわして仕留めた。
後2人。
茂みで音を鳴らしていた男を俺が倒した為、辺りは静寂に包まれた。
だが暫くすると微かに草木を踏む乾いた音がするかと思うと、遠ざかっていく。
「六さん! 奴ら逃げる気っすよ。追わねえと!」
足音を消す必要が無くなったのか、音が鳴るのを気にする様子も無く伍助が俺に近寄ってきた。
「いや。逃げる奴まで殺らなくていいだろう」
俺の言葉に奴らを追いかけていた伍助の足が止まった。
「本当に良いんですかい?」
「ああ。無駄な殺生はしたくないからな」
しかし伍助は不満そうだ。
「確かにお前の弟分を殺した奴らだ。憎いのは分かるが……」
「いや、なんとも思っちゃいねえと言やあ嘘になるっすけど、奴らにそれをやれって命令をした奴がいるっすからね」
「じゃあ、どうしてあいつ等を追おうとしたんだ?」
俺はもう終わったのかと茂みから顔を出し歩いてくる新九郎を横目に見ながら口を開いた。どうやらあいつも無事だったか。
すると伍助はまだ気付かないのかという風に肩をすくませた。
「だってあいつ等を逃がしたら、六さんも敵だって報告されてうちの里の奴らに六さんも狙われるっすよ」
しまった……。
俺は伍助の言葉にがっくりと肩を落として天を仰いだ。
どうやら面倒な事に巻き込まれたらしかった。