12:ナエマ
両手のひらが真っ赤になるほどの血で濡れていた。
いったいどこから……? 傷口を探してみたけど、どこにもない。
やがてふと気がつくと、目の前に血だらけの六三郎が倒れている。
「六三郎!」
私は叫んで彼の体の傷口を探す。
一刻も早く止血しなければ……。
「七重……」
しゃべらないで!
六三郎の破れた着物を開いて、どくどくと血が流れ出す腹部を押さえる。
止まれ! 血よ、止まれ!
私はイメージする。彼の血液の中の血小板が傷口に集結して堰を作る場面を。
腹部の傷口が固まってほっとした途端に、六三郎の左胸が裂けて血が流れ出す。
どうして!?
止血をするごとに、次々に六三郎の体の新しい箇所が破れていく。
どんどん彼の血が失われる。
このままでは……六三郎の体の血が涸れてしまう。
「……七重……」
六三郎が血だらけの手で私の頬に触れ、何かを喋った。
何を言っているのか、まったく聞き取ることができない……!
どうしたらいいのかわからない!!
六三郎を救うためにはどうしたらいいのか、必死で考えているうちに、彼の体はどんどん萎んでいった。
まるで、溶けていくかのように……。
水の中に落ちた砂糖をすくうように手を伸ばして、消えていく六三郎をとどめようとしたけど、私が掴んだのは六三郎のキモノだけだった。
「ダメ! 消えないで!!」
私は叫びながら掛け布団を跳ね除けて起き上がった。
……あれ?
気がつくとここはいつもの温泉宿だった。
障子から日差しが部屋に入ってきて、もうすっかり明るくなっている。
「夢……」
跳ね除けた掛け布団を掴んで呟く。
ひんやりとした布の感触が、寝ぼけた頭を少しずつ現実に引き戻してくれるようだった。
……なんて、リアルな夢。
いいえ、もしかしたら現実かも!!
私はあわてて卓袱台の上の水晶玉に飛びついた。
さすりながら六三郎の姿が映るように念じると、水晶玉の奥に六三郎の姿が徐々に鮮明に浮かび上がってきた。
ハシと器を持って朝食をとっている最中のようだった。
「良かった~~~! ピンピンしてる」
私はほっとして胸を撫で下ろした。すると、次の瞬間に……。
「あら? アニス??」
六三郎の右横にアニスが座って、同じように朝ご飯を食べていた。
やるじゃない。もう道場潜入に成功したなんて!
アニスの表情は笑顔がこわばっていて、なんだか居心地が悪そうに見えた。
男ばっかりの道場でジロジロ見られて気まずい思いをしているのかもね~。
アムランの城では基本的に男女別れて生活してたし、たくさんの男の中に女ひとりというシチュエーションもアニスにとっては生まれて初めてぐらいのものよね。きっと。
「ありがとね……。アニス」
高所恐怖症を押して空飛ぶじゅうたんに乗って常陸まで行ってくれたり、男の集団に紅一点の不快さを我慢してくれたり、全部私のためだものね……。
私は水晶玉をもう一度さっと撫でて、六三郎とアニスの画像を消した。
せっかく頑張ってくれているアニスの口から報告を聞きたかった。
水晶玉が教えてくれるのは真実の一部分だし。映像だけ見て全てがわかる訳ではないわ。
ふうとため息をひとつついた瞬間、廊下の方から仲居さんの声が聞こえた。
「おはようございます、七重様。お目覚めでいらっしゃいますか? 朝げの支度ができましたので、よろしければお持ちいたしますが」
「ええ、お願いするわ」
私は髪の乱れをささっと直して、入り口に向かって答えた。
するとすっとフスマが開いて、女中のお駒さんが入ってきた。
ご飯という米を炊いた主食と豆のスープ、季節の野菜のピクルスという定番のメニューを卓袱台に並べてくれた。
「あら? お連れ様が見えませんね」
アニスがいないことに気づいたお駒さんは、首を回してキョロキョロと部屋の中を探すように眺めた。
「そうなの。ちょっと早朝から出かけてるのよ。帰りは夜になるかも知れないわ……」
「そうなんですか……。じゃあ、ひとり分はお下げしといたほうがよろしいですかねえ?」
「ええ。せっかく持ってきてくれたのに、ごめんなさい……」
「いえいえ。じゃあ夕げからおふたり分お持ちしますね」
お駒さんは手際よくアニスの分の食事をお盆に載せていった。
うつむき加減になったお駒さんの結い上げた髪にきれいな細工のかんざしが刺さっているのに気づいた。
木製の玉かんざしで白い貝か何かで花の模様をはめ込んでいる。
「とってもきれいね。そのかんざし」
「まあ……。ありがとうございます」
お駒さんは少しはにかむように微笑んで、かんざしに軽く右手の指を添えた。
「主人からの贈り物なんです」
「まあ、素敵ねえ!」
私は六三郎からもらったかんざしのことを思い出した。
使い方がわからなくて一度も髪に挿したことはないけれど……。
「私もかんざしを持っているけど、使い方がわからないの……」
包みからかんざしを取り出してお駒さんに見せた。
「あら、これはいいかんざしですねえ。鼈甲に金の蒔絵で家紋が入ってる。さすが七重様、相当な上物ですわ」
「そうなの?」
お駒さんは目をキラキラさせて大きく頷いた。
「このかたばみの家紋は……お武家さんの家紋ですよね? 七重様のいいお人ですか?」
「え……ええ、まあ」
夫だもの……。「いい人」と言えるのよね。
「このかんざし、きっと七重様にお似合いですよ。よろしかったら髪に挿して差し上げましょうか?」
「お願いしていい?」
「ええ、喜んで!」
お駒さんは頷いて、お盆を入り口のフスマの前に下ろした。
そしてキモノの袖をまくって、私の後ろに中腰で座って、
「失礼しますね」
と私の髪をまとめ始めた。
まとめた髪を後頭部でねじり上げ、かんざしに毛先を巻きつけてから向きを変え、髪に挿し込んだ。
「はい、できましたよ」
早っ! 1分もかからなかったわよ!
「すごい……。上手ねえ……」
鏡を見るといつもとは違う落ち着いた雰囲気の自分がいる。
城にいるときはいつもアニスに髪を編んでもらったり、結ってもらったりしてたけど、こんな髪型は初めてだわ。
首を捻って角度を変えると六三郎のかんざしが見える。
「よくお似合いですよ」
「ありがとう。嬉しいわ」
にっこりと笑うお駒さんに私も微笑み返した。
そして、お駒さんの手にそっと小粒のルビーを握らせた。
「いえいえ! とんでもありません!」
お駒さんはぶんぶんと首を振って、ルビーを返そうとした。
「いいのよ。小さなものだし。紅玉は愛を育てる石だと言われてるから、お守りに持ってて」
私はお駒さんの手をぎゅっと握って首を振った。
「……ありがとうございます。大切にします」
根負けしたのか、お駒さんは嬉しそうに笑って頭を下げた。
お駒さんが部屋を出て行った後、私は改めて鏡を見た。
かんざしを挿した私を見たら、六三郎は何と言うだろう……。
きれいだと思ってくれるかしら?
「これをそなたに。母上以上に愛する女に出会えたら渡そうと思っていたんだ」
私をまっすぐに見つめる六三郎の迷いのない表情を思い出す。
六三郎のお母様はどんな女性だったんだろう?
きっと優しくてしとやかで、でも強い、素敵な女性だったに違いない。
なのに、「母上以上に愛する女」と言ってくれた……。
会ってまだ数日にしかならない私を。
そんな六三郎を、どうして私は信じきることができないんだろう?
確かなものを求めて、いつも彷徨っている私の心。
どこにいても、だれといても、そこは自分の居場所ではないような気がして……。
あの人なら、どこかへ飛んでいきそうな私の心を捉まえていてくれるかも知れないと思った……。
襟足の後れ毛をそっと撫でつけながら、私はしばらく金色に輝くかんざしの家紋を見つめていた。
アニスが帰ったのはすっかり日も暮れてまもなく翌日になろうという時刻だった。
「ただいま帰りました~~~」
窓が開くと同時に弱弱しい声がして、ほどなくじゅうたんから窓の桟に跨るアニスが見えた。
苦手なじゅうたん飛行ですっかり憔悴しきっているみたい。
「おかえり! 無事で良かったわ」
私は駆け寄って、アニスを部屋の中に引っ張り込んだ。
何故かアニスは左手に白い花を持っていた。
「その花は?」
「ああ……。くちなしという花らしいです。道中咲いてたんですよ。いい香りでしょう」
ちょっと苦笑いのような表情で花を見ながらアニスが答えた。
確かに、甘い、胸をくすぐるような香りがする。
「ほんと。いい香りね。それはそうとお腹すいたでしょう? お駒さんに頼んでアニスの分の晩ご飯は置いといてもらったから」
「ありがとうございます。ふう……」
アニスは卓袱台の側の座布団に座り、汲み置きの水を一口飲んだ。
そして、その水の中に手にしていた白い花を差すと堰を切ったように話し出した。
「やっぱり姫様の誤解でした! 六三郎さんと伍助はなんでもありません」
「そうなの?」
「はい。あの伍助という男……、水晶で六三郎さんと抱き合っていた相手ですが、あれはどうしようもない女たらしです! 私のことも口説こうとしたぐらいですから」
「アニスは美人だもの。口説かれても不思議はないわ」
「六三郎さんがいながらですよ!」
アニスは憤慨したように首を振った。
だらしない男が嫌いなのよね~~。アニスって、お堅いから……。
……と思った次の瞬間、アニスは晴れやかな笑顔を見せて言った。
「でも、伍助は白状しました。六三郎さんのことは完全なる自分の片思いで相手にされてないって」
「相手にされてない……」
「それに、六三郎さんは私と姫様を間違えて必死で走ってきましたよ。人違いだと判ると見ていて気の毒なぐらい肩を落として」
「………」
「姫様のことをとっても心配していました。ジパング中を周ってでも探し出すとも言ってましたし、姫様以外の人を愛したことなど断じてないとも言っていました」
胸の中に何かがじんわりと染み出してきて、涙が出そうになった。
どうして、今、ここに六三郎がいないんだろう?
なら、どうしてもっとしっかり私を捉まえていてくれなかったの?
六三郎に呪いをかけた挙句、逃げ出したのは私なのに……。判っているのに自分勝手な憤りが止まらない。
「だったら、どうして多兵衛さんにキスしたり、伍助に抱きついたりしたの?」
涙が出そうなのをごまかすため、私はぷいと顔を反らして聞いた。
「それは、姫様が六三郎さんに聞いてみてください」
アニスは落ち着いた口調で答えた。
「とにかく、六三郎さんの言葉に嘘はないと私は思いますよ」
「……じゃあ、私は勘違いで六三郎に性転換の呪いをかけちゃったっていうことなの?」
山道で「仕方ねえなー」と言いながら私を負ぶって歩いてくれた六三郎の優しい声を思い出す。
結ばれた夜の腕枕、「七重を幸せにするためにこの剣の腕を活かしたい」という言葉を思い出す。
翌朝、恥ずかしくてお互い顔が見れなくて、そんなふたりがおかしくて大笑いしてしまったあの瞬間を思い出す。
「……どうしたらいいの?」
私は泣きそうになりながらうつむいた。
「後は六三郎さんの魔法を解いて、話し合えばいいんですよ。迷うことじゃないと思いますよ」
アニスは優しい声で言った。
「……できないのよ……」
私は握りこぶしに力を込めて搾り出すように呟いた。
「は?」
何を言っているのかというようにアニスは首を傾げた。
「……あの魔法は解けないの」
「ええっ!?」
「私、解除魔法を知らないのよ~~!!」
私は全身の力が抜けてへなへなとその場に崩れ落ちた。
アニスがおろおろしながら近寄ってくるのが見えた。
あの魔法をかけたときは、単純に六三郎の浮気封じのつもりだったから、まさかこんなことになるとは思ってなかったのよ……。
「……ちょっ! 姫様、解けないって……、どーするんですか!!??」
「私の方が聞きたいわよ~~!!!!」
私は頭を抱えて床に沈みこむように首を振り続けた。
翌日、私とアニスは長く留まっていた温泉宿を発つことにした。
結局、六三郎にかけた魔法を解除するためには、一度アムランに戻ってお母様の一族である魔族に教わりにいくしかないという結論に至ったのよ。
……とは言うものの、私はお母様方の親戚には会ったこともないし、お母様以外の魔族に知り合いもいなければ、魔族の国の場所も知らないんだけどね。
家出しておいてこんな中途半端な状態で戻りたくはないけれど、いったん城に戻ってお父様に相談するしかない。
「一生六三郎さんを女性のままにはしておけないですしね。王様からカミナリが落とされるのは覚悟して戻るしかありませんね」
アニスは苦笑した。
「ごめんなさい……アニス。アニスに咎めがいかないように取り計らうから」
好き好んでアムランを離れたわけではないアニスを罰させるわけにはいかないわ。
全部私の我がままのせいなんだもの。
「いえ。強引について来たのは私ですから」
と言うアニスに私は首を振って見せた。
「今後もアニスには側にいてもらいたいから、私に拉致されて仕方なく、しかもずっと戻るように説得していた、ということにして。そうすればお父様はアニスを今後も私の側仕えにしてくださるわ」
アニスは納得のいかないような顔をしていたけど、最後にはしぶしぶ頷いた。
「でも……」
胸の辺りに何かがつかえてるような感覚がして、私は小さく呟いた。
「でも?」
「アムランに戻る前に……。一目六三郎に会って行きたい。謝りたいし……。聞きたいこともあるし……。何より不安なの……。このまま会えなくなりそうで……」
「姫様……」
私は昨日見た不吉な夢を思い出していた。
あれはただの夢ではない気がする……。
六三郎の身に何か危険なことが起きそうな……。
六三郎のぬるりとした血の感触を思い出して身震いした。
「そうですね。では、六三郎さんに会いに行きましょう。常陸の国まではじゅうたんでひとっ飛びですしね」
アニスはにっこり笑って頷いた。
「……でも、今度はランプに入っててもいいですか?」
言いにくそうに言って、アニスは私の顔色を伺った。
「いいわよ」
私は吹き出しそうになった。
昨日の長距離飛行で、もうじゅうたんはこりごりだと思っているのだろう。
「もう少し人気のないところに移動したらランプに入ってね」
私たちはけもの道を通って、ずんずんと山の奥深くに入っていった。
名も知らぬ雑草が腕や足首を引っ掻いて、肌に細かな傷を残していく。
かゆみの残る傷を瞬時に治癒魔法で治し、ベール状の結界を張りながら歩くことにした。
それにしても、なんて深い緑なんだろう。
初めてジパングに降り立ったときは、見渡す限りの緑の木々にめまいがした。
どこまでも続く濃緑をこれまで私は見たことがなかったから。
そして、しっとりとした空気とむせ返るような木々の匂い。
ぴったりと体を包む湿気に驚いて、何度も肌をこすってみたのを思い出す。
汗だくになった肌が気持ち悪くて、六三郎が眠っているのをいいことに水浴びしたわね……。
びっくりした六三郎が駆けつけてきて……、あの時は恥ずかしかったな……。
色々なことを思い出しながら黙々と山道を歩いていると、出し抜けに数人の騒がしい気配を感じた。
ガサガサという草を掻き分けて走る音や、木の枝が折れる音、金属同士がぶつかり合う音や悲鳴などが聞こえてくる。
「うっ……!」
「そこかっ!」
鋭い何かがドスドスドスっと木や地面に突き刺さる音がした。
え!? なになに? 何が起こってるの?
まさか……戦闘??
驚いて立ち止まっているとアニスに肩を掴まれた。
「姫様、逃げましょう!」
「いえ、逃げても逃げ切れるわけはないわ」
そう判断した私は、次の瞬間に迷わずアニスをランプに封じ込め、気配を消す結界を張って騒ぎが収まるまで待つことにした。
「ぐうっ……」
押し殺すようなうめき声と人が倒れるようなドサっという音が聞こえて急に静かになった。
「やったか?」
「おそらく」
続いて、くぐもった男たちの声が聞こえて、彼らが倒れた男?の側に駆け寄る気配がした。
「とどめを」
鋭い刃物で人の肉と骨を貫くような鈍い音と悲鳴が聞こえた。
「ぐわっ……!」
私は悲鳴を上げないように両手で口を押さえているのが精一杯だった。
心臓が口から飛び出しそうに緊張し、体全体が震えていた。
彼らに私の存在が気取られることはないとわかっていたけれど……。
「悪いなアサギ。お前に恨みはないんだけどよ。あの世で伍助に会えるといいな」
伍助????
「ムダ口叩くな。行くぞ」
また草木を掻き分ける音がして、数人が走り去って行ったのが判った。
彼らの気配が消えて十分に遠く離れたと判ると、私は結界を張ったままアサギと呼ばれた男に近づいてみた。
うつぶせに倒れているアサギは背中や手足のキモノが破れ、滲んだ血の量から致命傷を負っていると判った。
私はアサギの上にかがみこんで背中からおそらく心臓に至るまで貫かれた致命傷を止血し、治癒魔法で回復させにかかった。
もしかして……、あの夢は六三郎ではなくてこの人のことだったの??
触れられたことに驚いたのか、アサギは体を素早く捻って私の方を見た。
死に掛けているというのに……、どこにそんな力があったのかしら?
瀕死のアサギの抵抗にも驚いたけれど、彼がまだほんの少年だったということにも驚いた。
ジパングの人間にしては珍しく淡い鳶色の目を大きく見開いていた。
しかし、アサギの目は既に焦点が定まらず、その目に私の姿は映っていないようだった。
そして、最後に一言、
「……ご……すけ、あに……き……」
と呟くと意識を失い、また地面にドサリと倒れた。
その後はただ風が木々を揺らす音だけが辺りを包んでいた。
第一部終了
第二部に続く
第二部は伍助が活躍します。
伍助の過去が明らかに!