10:アニス
「ただいま~~……」
夜明け前、丸めた絨毯を魔法で縮めるのも忘れてずるずると引きずりながら姫様が戻って来た。
「おかえりなさい。……大丈夫ですか?」
ガラガラと窓が開く音に飛び起きた私は、暗がりの中憔悴しきった表情の姫様に気づき、声をかけた。
風に煽られた髪が乱れている。
身だしなみにこだわる姫様らしくないわね。これは、大変かも……。
「あいつ……やっぱりそうだったのよ!!!!」
「姫様、しーっ。声を落として」
まだ夜も明けきらぬ時間に安普請の温泉宿で大声はまずいわ……。
取り乱している姫様の口を押さえて部屋の奥に引っ張る。
「……見たのよ! 六三郎と伍助のベッドシーンを!」
やや声を落として、はらわたの煮えくり返るような表情で姫様は言った。
「ほ……」
「ほんとだってば!」
私が口を挟む前に姫様は首を振って断言した。
「伍助……って、誰ですか?」
「六三郎の旅の連れよ。私と別れてからどこかで知り合ったみたい」
姫様はすばやく水晶玉を取り出すと、表面をさすって画像を映し出した。
ぼんやりとした画像が徐々に鮮明になってきて、布団の中で背中を丸めて眠っているらしい男の姿が見える。
姫様の気持ちが高ぶっているせいか、水晶の画像はときどきブレたりノイズが入ったりして見えにくい。
「これが伍助よ」
「……女性に不自由しなさそうな男性に見えますが、同性愛者なんですか?」
嘆かわしい……。
ジパングの道徳観念はどうなっていることやら。
「それがどうも伍助は六三郎が女だってことを知ってるらしいの」
「そうなんですか?」
じゃあ、更に六三郎さんが本当は男だと知ったらどうなるのかしら????
「で、六三郎さんの口からはっきり聞いたんですか? この人との関係を」
私は姫様の顔をじっと見て尋ねた。
姫様はうっと一瞬黙り込み、観念したように白状した。
「実は……聞いてないの。ふたりが寝室で抱き合ってるのを見て、そのまま逃げ帰っちゃった」
「……何しに行ったんですか? この期におよんで……」
「だって! 気持ち悪いし臭いしサイテーだったんだから!」
まあ……。男同士のラブシーンは私もできれば見たくないですけど。臭いって……。
「男ばっかりの道場だったから……異臭が……」
「な……なるほどですね」
姫様は犬並に嗅覚が鋭いから……、匂いにはかなり弱いんだったわ。
「どちらにせよ。六三郎が男とキスしたり寝室で抱き合ったりしてるのを3回も見ちゃったもの。3回も見たら確実でしょ?」
水晶玉の画像が六三郎さんの寝姿に変わった。
右手の横に何故か刀が置かれている。
寝ているときも、いざというときに備えて用心しているってわけかしら?
自分の道場にいるのに、すごく用心深い人なのねえ。
……あれ? 何かひっかるわね。
「姫様。このふたりの様子おかしいと思いませんか?」
「思う。思う」
姫様は強く頷いた。
「六三郎は男好き。伍助は女好きっておかしいわよね~」
「いえ……。そういうことではなくて」
「どういうこと?」
「恋人同士って愛し合った後に別々の部屋で寝ますか? ふつう」
「え?」
「同じベッドで一夜を共にしませんか?」
「……それは」
姫様は少し考え込んだ。
「かたやしっかりと刀まで備えて眠るなんて、どう考えても不自然ですよ」
「……そうかしら?」
「腑に落ちませんね」
姫様は腕を組んで再び考え込んだ。
ここは、姫様のために私が人肌脱ぐしかないわね。
「姫様、今度は私が行きます。直接このふたりに会って、ふたりの関係を確かめてきますわ」
……そして、さっそく翌日絨毯に乗って六三郎さんの村に来たんだけど……、死ぬかと思ったわ。この遠距離飛行……。
空を飛んでいる間は、絨毯が接着剤でくっついたみたいに体は固定されていて、たとえ宙返りをしても落ちないとわかっているけど。
だからって高所恐怖症が治まるわけじゃないもの……ね。
温泉宿で出会った旅装束の女性を参考に衣装もそれっぽくして、私は村の中に足を踏み入れた。
まだ朝早いけど、六三郎さんたちがいつまた村を発つとも限らないし。
姫様の水晶玉で見た限りでは、さっきまでまだ道場の部屋で寝ていたから大丈夫だと思うけど……。
姫様から聞いていた道順をたどって道場に向かって歩くと、ふわっと甘い香りが漂ってきた。
キョロキョロと辺りを見回して香りの元を探すと、少しバラに似た白い花を咲かせている低木が見つかった。
ジャスミンと似てるけど、もっと甘いいい香りだわ。姫様が好きそうな香り。
私はもっと香りを嗅いでみようと、花をつけた低木に近寄った。
すると不意に後ろからすっと手が伸びてきて、私の目の前の花を一輪手折った。
びっくりして振り返ると、なんと! あの伍助という男が花を持って立っていた。
……どうして? さっきまで誰もいなかったのに。
「いい香りだ」
伍助は白い花に顔を近づけて香りを嗅ぐと、その花を私に向けて差し出した。
「……え?」
「お近づきの印に一輪」
は? と思って花と伍助を代わる代わる見ていると、伍助は私の手をとって白い花を握らせた。
その手は傷だらけで、茶色っぽい血の筋があった。
よく見ると背中に野鳥の死体を背負っている。狩りの……獲物?
「お姉さん見ない顔っすね。この村の人じゃないね」
笑いながら私の顔をじっと見た。
「え……、ええ。旅の途中でここにはたまたま……」
「へえ。女の一人旅なんて珍しいね。しかもこんな早朝に」
うっ……。結構するどいわね。この男。
「ひ、ひとりじゃないのよ。連れがいるの」
「ふーん。どこに?」
伍助は面白そうに目を細めた。
「それが……、道中はぐれてしまって……」
く、苦しい……。
「お連れさんかお姉さんかどっちかえらい方向音痴なんだな。ここら辺はけもの道でもなけりゃほぼ一本道てえのに」
「もっと遠くではぐれたのよ!」
「そんなムキにならんでも……。わかりやしたよ」
わかったといいながら、伍助の目が笑っていた。これは絶対信じてないわね!
「まあ、それはどーでもいいや。そのお陰でこんなべっぴんのお姉さんとお近づきになれそうなんすからね。俺は伍助。お姉さん名前は?」
な、なんであんたに自己紹介しなきゃなんないのよっ。
「悪いけど得体の知れない男に名乗るほど安い女じゃないの」
「おっ」
伍助はひゅーと口笛を吹いた。
「クールビューティだねえ。ますます好みっすよ」
何? この男。六三郎さんの恋人なんじゃないの??
これじゃ単なるスケコマシってやつなんじゃ……。
と思って、伍助をきっと睨んだ瞬間、背後から声がした。
「何やってんだ、伍助! そろそろ朝飯の……」
振り向くと……、六三郎さんが道場の方から歩いてくるところだった。
つと私に視線を移すと、びっくりしたように目を見開いて駆け出した。
「七重!!!!」
「は?」
「七重! 探したぞ! 今までどこにいたんだ!?」
恐ろしい勢いで突進してくる六三郎さんを避けようと、思わず伍助を盾にしてその背後に回った。
「おっと」
伍助は六三郎さんの両肩を押さえてその場に踏みとどまらせ、首だけで私の方を振り返った。
「お姉さん。六さんの嫁さん??」
「ち、違いますっ。人違い!」
伍助が押さえていなければ今にも私に飛びついてきそうな六三郎さんは、じたばた暴れながら私の顔を見て言った。
「七重……! じゃない」
間近で見るとさすがに私が姫様ではないことがわかったようで、六三郎さんはがっくりと肩を落とした。
「すまない……。背格好が俺の妻に似てたもんだから」
まあ、髪型とか顔立ちとか、こっちの人と比べればかなり似てるものね。
「いいえ……」
伍助は大人しくなった六三郎さんを解放して、まじまじと私を見た。
「六さんの嫁さん、この人に似てるのかー。じゃあ確かにべっぴんなんだな」
私はこのチャンスを活かさない手はないと敢えて聞いてみた。
「奥さん……、どうされたんですか?」
六三郎さんはばつ悪そうに頭を掻きながら答えた。
「旅の途中でいなくなってしまって、ずっと探してるんだ……」
「そうなんですか……」
姫様! 聞きましたか?
六三郎さんは必死で姫様のこと心配してるみたいですよ。
「六さん、こっちのお姉さんもお連れさんとはぐれちゃったらしいっすよ」
「そうなのか? 女ひとりでそれは大変だな。俺は六三郎。そなたは?」
え……?
「わ、私は……」
私はアニス……って本名じゃない! えーと……アニス……スターアニス《八角》だから……。
「や……八重と申します」
「八重……」
「なんか、名前まで似てるっすね」
伍助は少し呆れたように笑った。
それから六三郎さんの厚意で、私は道場で朝食をよばれることになった。
……ありがたいんだけど、姫様から聞いていた通り男ばかりで、よほど女性が珍しいのか激しく視線を感じる。
しかもみんなシャイなのか、一見お椀をかき込んでいるように見えながらチラチラとこちらの様子を伺うという感じで、なんともやりにくいわ~。
「すまんのー、お八重さん。弟子たちがジロジロ見るから食べにくかろう。ごらんの通り男所帯なものでな。悪気はないんじゃ。気にせんとどんどん食べてくれ」
師匠とみなに呼ばれているご老人が苦笑いを浮かべて言った。
「はい……。ありがとうございます」
「お前ら変な目でお八重さんを見るんじゃねぇ」
道場のリーダーらしい六三郎さんが弟子たちをギロリと睨んだ。
こんな調子でなんとも奇妙な空気の漂う朝食が終わり、私はお礼を言って道場を後にした。
女ひとりだと危ないだろうということで、次の村までの山道を六三郎さんが送ってくれることになり、朝のうちに出発することになったのだ。
「道中、連れの人と合流できるといいんだけどね」
「ええ……。もしできなくても、お互い下野を目指していますから、きっとそこで会えます」
……てか! わざわざ送ってくれなくてもいいんだってば~~~。
「あのー……。ほんとに送っていただかなくても大丈夫です。こう見えて、私結構旅慣れてますし(嘘)、護身術の心得もありますし(これは本当)……」
「俺の妻もそう言ってたけど、野盗にさらわれてたし、今も行方不明になってる」
六三郎さんはため息をついた。
「なんで女はみんなそう自分を過信してんのかなー。ずっと俺の側にいてくれれば危険な目に合わさずに済んだのに」
私と話しながら、六三郎さんの言葉は姫様に向かっているようだった。
悔しそうな表情で呟く。
「心配ですね。奥さんのこと」
「ああ」
「探しに行ったりしなくていいんですか?」
「心当たりは全部探したけど手がかりすら見つからなかったんだ。闇雲に探してもしかたないと思って、いったん故郷の村に戻って準備をしてからまた探しに行くことにした」
「なるほど。じゃあこれからまた探しに行くんですね」
「うん。日本中を周ってでも探し出す」
そう言い切る六三郎さんの表情はとても真摯で、姫様を本気で心配しているんだとわかった。
「とっても……、愛してるんですね。奥さんのこと」
「は? ま……まあ」
「そんなに愛されてる奥さんがうらやましいですわ。六三郎さんは他の人に心が向いたことなんてないんでしょうね?」
ちょっと鎌をかけてみた。
姫様の聞きたい言葉が聞けるかも知れない。
六三郎さんは真摯な表情で呟くように言った。
「……ああ。もちろんだ」
そうそう! その言葉が聞きたかったのよ!
この人はやっぱり姫様だけを愛している。
あの伍助とかいう男がなんなのかは知らないけど。
本気で姫様のことを思ってなければ赤の他人にまでこんな話するわけないもの。
それから休憩を挟みながら夕方まで歩いて山道を越え、次の村の入り口にたどり着いた。
「本当にありがとうございます。今日はこの村で宿を取りますので」
「うん。気をつけて。もし……」
六三郎さんは立ち去る前に言った。
「どこかで七重と……俺の妻と会うようなことがあれば、俺がずっと探していると伝えてくれないか? できるなら俺の村で待ってて欲しいと」
「はい……。もしお会いできたなら必ず」
「ありがとう」
それから、六三郎さんは笑って手を振りながら、自分の村に向けて戻る山道に入っていった。
私はほっとした胸を押さえながら、湧き上がってくる嬉しさに微笑んだ。
どうやら姫様の泣く顔を見ずに済みそうだわ!
「お八重さん」
背後から突然声がして、私は思わず飛び上がった。
「誰っ!」
「俺だよ。伍助っす」
にやにやと笑いながら片手を上げて伍助が立っていた。
……さっきまで誰もいなかったはずなのに、どこから湧いて出たの? この男。
「あなたはねー! なんでこういつも突然湧いてくるのよ? びっくりするじゃない!」
「なんでって、俺忍者だから」
「ニンジャ……?」
知らない言葉だわね……。ジパングの魔人とかそういうものなのかしら?
まあいいわ。ついでだからこいつにも確認しておこう。
「あなたって六三郎さんとはどういう関係なの?」
「えーと。彼氏ってことで」
伍助はにやっと笑って答えた。
「何言ってるの。だいたいあなたたち男同士じゃない。六三郎さんには奥さんもいるしね」
私は目を細めて、思いっきり疑いの表情を作って言った。
「うーん。詳しい事情はいえねぇんだけど、そこは色々と事情があるんっすよ」
事情って……やっぱり知ってるのね。六三郎さんが女だって。
「よく分からないけど、六三郎さんを狙ってるわけ? さっするにあなたの横恋慕みたいだけど」
腕組みをして冷たい目で伍助を見る。
伍助は頭を掻きながら苦笑し、白状するように言った。
「まあねー。うまくすれば俺のものになってくれる約束になってるんっすよ。今んとこ負けっぱなしだけど」
「でしょうね。あなたのことだから六三郎さんの寝込みを襲っては追っ払われてるんでしょ? 目に浮かぶわー」
「なかなか容赦ないっすね。お八重さんも。まあ、そうなんすけど」
……やった! これで伍助からも裏が取れたわ!
知らず知らずのうちに顔がにやついてしまっていたようで、伍助がまた苦笑しながら言った。
「なんか、嬉しそうっすね。お八重さん」
「いえいえいえ。ほんとに。お気の毒~~」
とどめを刺してしまったのか、伍助はがっくりと肩を落とした。
「いいっすけどね……。別に」
「ところで何の用なのよ? わざわざこんなところまで来て」
伍助はにこっと笑って私の両肩に手を置いた。
「今朝途中だったから、改めて口説いてみようと思って」
私は体を後ろに引いて、伍助の両手から逃れた。
「あなたは六三郎さんが好きなんでしょ? 他の女を口説こうなんてどういうわけ?」
「そうなんっすけどね。お八重さんのことも気に入っちまったからー」
「なるほどねー。いつもその調子で女を口説いてるんだ」
「まあね。気になる?」
「ぜんっぜん! てか、あなたみたいな軽薄な男にまったく興味ないから」
「……ほんときついっすねー」
伍助はいきなり私の左腕をぐいっと引っ張って自分の方に引き寄せた。
「なにすんのよっ!」
「はい。これ」
私の左手にあの白い花を握らせた。
「忘れ物っす」
そして、ぱっと手を離して両手を挙げた。
「無理矢理やっちまうこともできるんっすけどねー」
何言ってんの? この男。
「お八重さん、六さんと違って俺に抵抗できないから」
「抵抗するわよ。思いっきり。あなたね。そんなちゃらんぽらんだとほんとに好きになった女に一生相手にされないわよ」
「一生って……。そこまで言いますか? まあ、いいや」
伍助は両手を下ろして笑った。
「気ぃつけて。俺以外の男に襲われないように」
「襲われないわよっ」
「はは。じゃ、さいなら」
伍助は手を振りながら私に背を向けて立ち去ろうとした。
「待って」
私は一歩伍助を追いかけた。
「なんすか?」
伍助は振り返った。
「これ、なんていう花?」
白くて甘い香りのバラに似た花。
「くちなし」
「くちなし?」
「そう、八重咲きのくちなし」
伍助は目を細めて笑った。
手元のくちなしの花を眺めて、ふと顔を上げると伍助の姿は消えていた。
まるで始めから誰もいなかったかのように。
帰ったら姫様に報告したいことがいっぱいある。
六三郎さんが必死で姫様を心配して、日本中を歩き周ってでも探そうと思っていること。
ホモ疑惑については、伍助は単なる片思いで、ふたりは恋人同士でもなんでもないこと。
姫様きっと喜ぶわ……。
もうしばらく、この花の甘い香りを嗅いでから。
もうしばらく、日が暮れるまで歩いたら、姫様のところへ帰ろう。
私はくちなしの花びらにそっと触れ、幸せな気分で微笑んだ。