1:六三郎
「なにやってんだ! ゴォラ!」
俺はそう叫ぶと、伍助の股間を蹴り上げた。そして股間を押さえて悶絶する伍助にさらに怒鳴った。
「人の寝込みを襲うなと何度言えば分かる!」
伍助は旅の途中に、刺客に襲われ危ないところを俺が助けてやった抜忍だ。
伍助が言うには、上忍の奥さんに手を出したのがばれて忍者の里を追われた、というより逃げ出して、しかもその上忍から追っ手を差し向けられていると言う事だった。
そして伍助は、助けて貰った御恩返しにと言って、俺に付いて来て寝床の用意や食事の用意をしてくれているのだが、ちょくちょく俺の寝込みを襲いやがるのだ。
随分口の悪い女だな。と思われるかも知れないが俺はれっきとした男として生まれた。
じゃあ、伍助は男も女もOKな両刀なのか? と言うとそう言う訳でもなく真性の女好きである。
言っている意味が分からねぇ、と思うかも知れないが、俺だってこの状況は訳が分からねぇ。
ある朝起きると、なんと体が女になっていて、しかも妻の姿も消えていたのだ。
あまりの出来事に数日呆然となっていた俺だったが、我に返ると自分に降りかかった問題と向き合う事にした。
このまま女の体のままで暮らすのも真っ平だし、居なくなった妻も捜さなくてはならない。
俺は消えた妻を捜せば、女になった理由も分かるかと思い、妻を捜す旅に出た。
勿論、メインは愛する妻を捜す方である。
とはいえ、せっかく妻を探し当てても、体が女のままでは何かと残念な事になるので、女に戻る方法も重要だ。
そしてその旅の道中、武蔵国で、伍助が追っ手にやられて命を落す寸前の所を助けてやったのだ。
とは言っても伍助は3人の追っ手に襲われ、1対3で負けかけていたところに俺が偶然通りかかり、俺の出現に3人の追っ手の注意が伍助から俺に移り、その一瞬の隙を突いて伍助がその内の1人を切り殺し、残りの2人より伍助の方が強かったと言うだけなのだが。
にも関わらず伍助は俺の事を命の恩人だと言って、ついて来るのだ。
そして俺は、自分で言うのもなんだが故郷では、美貌と猛将ぶりで有名な陶晴賢の再来と呼ばれるほど美形であり剣の腕も立つ。
つまり俺は女になっても美人であり、上忍の奥さんに手を出すほどの女好きの伍助がちょくちょく俺の寝込みを襲い、そのたびに俺に股間を蹴り上げられて悶絶しているのである。
まったく懲りないもので、俺に付いてきているのも本当は恩を返す為ではなく、俺の体目当てなのではないかと思えてくる。
勿論俺は伍助に、俺は本当は男であり今女の体なのは物の怪か何かの所為なのだ、と説明したのだが、伍助は「そんな細かい事気にしやせん!」と言い放った。
これにはさすがに俺も脱力し、それ以上口論する事を諦め、ちょくちょく俺の寝込みを襲う伍助を撃退する日々となったのだ。
俺が妻と出会ったのは、仕官先を求めての旅の途中だった。
故郷の道場では俺に剣の腕で敵う者はおらず、仕官先などいくらでもあると高をくくっていた俺は、大きな城下町に辿り着くと、その城下町にある道場へと出向いた。
調べたところによると、この道場の道場主は、この国の大名家に剣術指南役として禄を貰っているらしい。
ここで俺の剣の腕を見せれば、大名家の方から俺に仕官してくれと言ってくると考えたのだ。
自惚れでは無い。それだけの力は俺にはある。そう思っていた。
故郷の道場の師匠は過去に戦に出て380人もの敵兵を討ち取ったと言われている。その師匠が俺に言ったのである。
「お前の剣の腕はすでにわしを遥かに超えておる。戦場でもお前ほどの者を見たことが無い」
こう言われて自分の腕に自信を持たない者がいるか?
だが城下町の道場で「一手ご指導願いたい」と型どおりの台詞で、その道場の師範と試合った俺は、その師範の剣術に戸惑った。
なんとその師範は刀を振り回してきたのだ。
(刀って突くんじゃないんですか?)
そう考えていた俺はその師範の剣術に翻弄され、胴を打ち果たされた。
勿論俺は(胴を刀で打っても鎧を切れるわけ無いだろ。ノーカウント、ノーカウント)と思って、試合を続けようとしたが、なんと俺と師範の傍に立っていた男が、
「一本!」
と叫び、そこで試合が終ってしまったのだ。
そして「いやいや、おかしいだろ!」と叫ぶ俺の抗議は無視され、道場から放り出されてしまったのだ。
俺の剣の流派は突きを得意とし、合戦では無類の強さを発揮した。
戦場で鎧を身に付けている敵に、刀で頭を殴ろうが胴を叩こうが文字通り刃が立たないのだ。
鎧ごと相手を切る大型の刀も有るにはあるが、基本刀で鎧武者を倒すには突きである。
だが最近徳川家により豊臣家が滅ぼされ戦はめっきりなくなってしまった。
鎧武者と戦う事もなくなってしまい、現在の剣術の主流はあの師範がやっていた様な刀を振り回す剣術らしい。
こうして俺の、その城下町で仕官先を求めるという思惑は外れてしまい、どこかに俺の剣を理解して召抱えてくれる大名が居るはずと、仕官先を求めての旅に出たのだった。
そして妻の七重とはその旅の途中で出会ったのだ。
妻は、と言ってもその当時は妻ではないが便宜上妻と呼んでおく。
俺が仕官する国を求めて山道を歩いていると、妻は罪人が入れられる様な竹で編んだカゴに入れられ、カゴから伸びる綱を括りつけた長い棒を担ぐ数人の男に運ばれているところだった。
とは言っても罪人ではなく、どうやら売られていくらしい。
興味を覚えて顔を覗いてみると、なんとすごい美人ではないか。
髪の色は茶色がかっていて、肌の色はやや浅黒かったが細面のかなりの美人である。
売られると言うならどこかの遊郭に売られるのだろう。
俺はそれならばと、一番初めの客になるべくその後を追う事にした。
だが後を追ううちに妻を入れたカゴを担いでいる男達の会話が聞こえてきた。
「せっかくだから俺達で頂いちまいやしょうよ」
「馬鹿やろう。我慢しねえか。俺達がやっちまっちゃ値が下がるだろうが」
「しかし、これだけの美人めったにいやせんぜ」
ここまでは俺も「さもありなん。さもありなん」と頷いていたが次の言葉が引っかかった。
「せっかくひっさらった女なんだ。この女を遊郭に売った金で、他の女を買えば良いじゃねえか」
ひっさらっただ? 貧しい農家かなんかから売られてきたんじゃないのか?
娘を売るにも色々と事情はある。下手に助けたりすれば逆に迷惑にもなりかねないと思っていたが、さらわれたと言うなら話は別だ。
さらわれたところを助けたとなれば、彼女も俺に感謝して仲良くなれるかも知れない。
男達は5人。みな腰に刀をぶら下げ、確かに改めてみれば楼閣の人買いというより、野盗と言った方が近いかもしれない。その2人ずつが順番に疲れたら交代しながら妻を担いでいる。
俺は妻を助けるべくチャンスを待った。
勿論、野盗の5人くらい俺の腕なら倒すのは訳はないが、兵法とは勝ち易きに勝つものだ。もっと勝ちやすいタイミングがあるかも知れないなら、そのチャンスを待つべきである。
そして夜、そのチャンスが到来した。と言うよりはじめからこの時を狙っていた。
男達は1人を見張りに残し順番で眠りに落ちた。妻もカゴの中で寝ている様だ。
男は焚き火にあたりながら、暇をもてあましているのか、時おり木の棒でその焚き火を突いている。
できれば奇襲で見張りの奴を始めに斬って捨てたい所だが、野盗なだけあって戦闘に慣れているのか、敵襲に気付きやすい様に見晴らしのいい所で野宿をしている。と言う訳で、奇襲で見張りを倒すのは諦めた。
俺は地面を這って近づき、これ以上は地面を這っていても見つかるだろうという所まで来ると、いきなり立ち上がり見張りの男の元へと走った!
男は俺の姿を見つけると、瞬時に傍に置いてあった刀を持って立ち上がり刀を抜いて構える。だが俺はその時には男達の近くにまで駆け抜けていた。
「おい。おめえら起きろ!」
間近に迫った俺に男がそう叫んだが、俺はその叫びが終るか終らないかの内に……寝ている男達を刀で、グサグサと刺して回った。
寝ていた男達は「ぐぇ~」やら「ぎゃ~」やらと断末魔を上げて死んでいく。どうして自分が死んだのかも分かっていないだろう。
見張りの男は「え~~」という目で俺を見ているが、だってお前が万一すご腕で倒すのに手間取ったら、こいつらも起きてきて5対1になっちゃうじゃん。
だがこの見張りの男がすご腕かもという心配は杞憂だったらしく、この、突然現れた男が寝ている仲間を殺して回るという状況に恐怖を覚えて、逃げ去ってしまった。
まぁ俺もこの男がすご腕なんて事は無いだろうとは思っていたが、作戦とは最悪の状況を想定するものである。
野盗が死んだり逃げたりして居なくなると、髪を撫でつけ妻が入っているカゴを開けて、妻に話しかけた。
「お嬢さん。悪夢は終りました。白馬のお殿様が助けに参りました」
俺のこの決め台詞に目を覚ました妻は、辺りを見回し、口を開いた。
「まだ暗いじゃない。もう少し寝かせてよ」
そしてまた眠りについてしまったのだ。
「いやいや、そんなに上の方じゃなくて、もっと下の方を見て」
俺の言葉に妻は再度目を覚ますと、今度は地面に転がる野盗達の死体を発見した。
「あら? どうしたの? 今度はあなたが私をさらうの?」
うーん。どうも反応がおかしいな。野盗の死体を見つけたなら「きゃー!」と叫ぶなり、自分が助かったのだと俺に礼を言うなりしそうなものだが。
まぁいい。状況を説明しよう。
「さらうなんてとんでもない。そなたを野盗から助けたのさ!」
俺はそう言って、野盗の死体に囲まれながらさわやかに笑って白い歯を見せた。
「そうなの? 面白そうだから言うとおりにしてただけで、別にいつでも逃げられたのに」
え? マジ? せっかく助けたのに余計なお世話だった?
だが俺が残念そうにしているのに気付いたのか妻はにっこりと笑った。
「でも、助けてくれたんなら礼を言うわ。ありがとうね」
お? 結構ポイント高かったか? 行けそうか?
俺がそう思って妻に笑い返していると、彼女がおもむろに俺の背後を指差した。
ッガキン! と俺の背中がなった。
「あ。後ろ」と彼女が呟く。
いやいや。遅いから。もう斬られてるから。
俺はすくっと立ち上がると、振り向いて俺を切った相手と向き合った。さっき逃げた見張りの男が戻って来て俺を背後から袈裟切りにしたのだ。
斬られたにも関わらず平然と立ち上がる俺に、男は「え~~。うそ~ん」と声を上げ、唖然とした表情で俺を見ているが、別に俺は矢や刀の刃が立たない魔物と言う訳ではない。
俺は常に着込み(鎖帷子)を着ているのだ。着込みを着ていればよほどの豪腕の持ち主が相手でない限り斬られる事はない。もっとも着込みでも突きには弱い。
鉄で出来ていてかなり重く、常に身に付けているのはかなり大変だが、俺の剣術が否定されてから剣を振り回す奴らにだけはやられまいと、身に付けているのだ。
俺は見張りの男を必殺の突きで串刺しにすると、再度妻と向き合った。
妻は拍手をする様にパチパチと手をあわせ俺ににっこりと微笑んだ。
「見事な腕前ね。あなた名前は?」
「上泉六三郎だ」
「ずいぶんと長い名前ねえ」
妻は呆れたように俺の顔をまじまじと見た。
「なんて呼べばいいのかしら?かみいずみ?」
「上泉は苗字だ。六三郎と呼んでくれ。君の名は?」
「ナエマ」
「なえ?」
「なんでもいいわ。苗でも七重でも」
「七重か?」
「助けてくれてありがとう」
七重はもう一度花のようににっこりと笑ってみせた。
野盗からはいつでも逃げ出せると言っていた妻も、俺の事を、命がけで自分を助けようとしてくれた頼もしい男性、と思ったらしくすぐに仲良くなることができた。勿論、色んな意味でだ。って言うか、妻だし。
こうして妻と2人で仕官先を探す旅を続けていたのだが、なかなか上手く行かない。
俺が仕官を求めて、何とかその国の大名の役人に渡りを付けて話が進むと、最終的にはやはりどこも「では、そちの腕を見せてもらおうか」という話になる。
そしてその大名に仕える腕自慢の武士と試合うのだが、つい体に染み込んだ動きをしてしまう。
その染み込んだ動きとは、胴や頭を切り払われそうになっても鎧があるからノーカウントと、打たれるのに任せて突きに行ってしまうのだ。
だがやはりこの動きは理解されず、「戦場だったら俺の勝ちですよ!」という俺の叫びも虚しく仕官の話は流れてしまうのだ。
ちなみに俺は、決闘する時は頭には鉄板を仕込んだ鉢巻を付け、腕にも籠手代わりに鎖を巻きつけ、そして当然着込みを身に付ける。
もっとも仕官の話がまったく無かったわけではない。
男も女もOKという両刀の大名は大勢居る。織田信長や武田信玄は有名だし、特に珍しい趣味と言う訳ではない。
そして美形の俺をそれ目的で仕官させようと言ってくる大名も居たのだ。だが俺にはその趣味はない。さすがに断った。
こうして仕官先を求めての旅を続ける俺と妻だったが、ある日突然妻の姿が消え、そして俺は女になっていたのだ。
女になっては仕官先を求めるも何も無く、こうして俺の旅の目的は仕官先を探すという事から、妻を捜す事へと変わったのだった。
鎧武者を突き以外で刀で倒すのは困難ですが、まぁ実際は合戦の武器としては刀より槍が主流なので、作中に出てくる合戦を刀で戦うのが当たり前の様な話はフィクションという事で。
後、突きが強い流派で実践に強いけど道場では弱いという話は、新撰組の近藤や土方、沖田の流派である天然理心流が突きが強くて実践には強いが、道場で戦うと弱かったという話が元になっています。
もっともこの場合の突きが実践的だったのは、相手が鎧武者だからではなく、室内で戦う場合に刀を振り回すと家の鴨居に刀が引っかかったり、狭い路地での乱戦で刀を振り回せなかったりして、突きの方が有効だったからですね。