国王陛下に指名依頼が届いています
国王が消えた。
朝、侍従が寝室へ入ったときには、すでに姿がなかった。
執務室にもいない。庭園にも礼拝堂にもいない。城内をくまなく捜したが、どこにも見つからなかった。
机の上には、一枚の紙だけが残されていた。
『少し出かけてくる』
それを読んだ宰相は、しばらく無言だった。
国王失踪の知らせは伏せられ、近衛騎士団による捜索が始まった。
城門の記録を調べ、王都の宿や商店を回り、街道にも人を出した。
誘拐の可能性も考えられたが、争った形跡はない。そもそも国王自身が書き置きを残している。
三日目の昼、捜索に出ていた騎士の一人が戻ってきた。
「陛下らしき方が見つかりました」
宰相が立ち上がる。
「どこだ」
「王都の冒険者ギルドです」
「……何をしている」
「冒険者をしているようです」
聞き間違いかと思った。
冒険者ギルドへ向かった近衛騎士団は、そこでさらに妙な話を聞くことになった。
「アルさんでしたら、今は依頼に出ています」
受付嬢が記録を確認しながら答えた。
「依頼?」
「はい。西の森で薬草採取を」
騎士団長は黙った。
三日間、近衛騎士団総出で捜していた国王は、どうやら西の森で薬草を摘んでいるらしい。
「いつ戻る」
「夕方までには戻られると思います」
待つしかなかった。
夕方、革鎧を着た男が大きな袋を抱えてギルドへ戻ってきた。
「戻ったぞ」
「お帰りなさい、アルさん」
男は受付台へ袋を置いた。
「これで足りるか?」
「確認しますね」
受付嬢が中身を調べ始める。
その後ろで、壁際に並んでいた近衛騎士たちが一斉に立ち上がった。
男が振り返る。
騎士団長が歩み寄り、頭を下げた。
「陛下」
周囲の冒険者たちの声が止まった。
受付嬢の手も止まった。
国王エドワードは騎士団長を見てから、何事もなかったように受付へ向き直った。
「続けてくれ」
「え」
「薬草の確認だ」
「陛下」
「依頼の途中だ」
「すでに採取は終わっております」
「報告までが依頼だろう」
それはそうなのだが、今ここで優先する話ではない。
騎士団長は何か言おうとして、やめた。
受付嬢は戸惑いながらも薬草を数え、状態を確認した。
「……すべて問題ありません。依頼達成です」
「そうか」
国王は報酬を受け取った。
「では帰るぞ」
「分かっている」
ようやく素直に応じた国王は、近衛騎士たちに囲まれてギルドを出た。
王城では、宰相が待っていた。
「どちらへ行っておられたのですか」
「冒険者ギルド」
「それはもう聞きました。なぜです」
「冒険者になってみたかった」
「国王でしょう」
「ああ」
「なぜ国王が冒険者になるのです」
「一度やってみたかったからだ」
宰相は国王の顔を見た。
冗談を言っている様子はない。
「子どもの頃から興味があった。依頼を選んで、自分で達成して報酬を受け取る。一度くらいやってみてもいいだろう」
「よくありません」
「もう登録した」
「登録を取り消してください」
「嫌だ」
話はそこで止まった。
その日は三日分溜まっていた仕事をさせ、宰相は国王を寝室まで見届けた。
翌朝、国王はまた消えた。
机には書き置きがあった。
『昨日見つけた依頼を受けてくる』
宰相はその紙を握り潰した。
二度目はすぐに見つかった。
三度目も冒険者ギルドにいた。
四度目はすでに依頼へ出たあとだった。
城の警備も見直されたが、国王は生まれたときからこの城で暮らしている。出入口を一つ塞げば別の場所を使い、外出を止めれば視察だと言い張った。
そのくせ、冒険者として受けた依頼は律儀にこなした。
荷運びを頼まれれば最後まで運び、街道の護衛を引き受ければ予定の時間を過ぎても商人を送り届けてから戻る。
途中で投げ出したことは一度もない。
五度目に国王が姿を消した日の午後、宰相は机の上に積まれた書類を見ながら、そのことに気づいた。
国王の決裁を待っているものが十七件。
さらに夕方には、隣国から来た大使との会談が予定されている。
「……依頼なら、やるのか」
向かいで書類を整理していた補佐官が顔を上げた。
「何でしょう」
宰相はしばらく考えた。
「冒険者ギルドへ使いを出せ」
「陛下を連れ戻しますか?」
「いや。依頼を出す」
その日の午後、一件の依頼が冒険者ギルドへ持ち込まれた。
受付嬢は王城から来た使者に渡された書類を読み、途中で顔を上げた。
「こちら、間違いありませんか?」
「ない」
依頼主は王城。
依頼内容は、王城にて決裁書類十七件を確認し、必要なものに署名すること。その後、隣国大使との会談に出席すること。
そして受注者の欄には、一人の名前が指定されていた。
冒険者アル。
「指名依頼ですか?」
「そう聞いている」
内容は妙だったが、依頼主に問題はなく、報酬も設定されている。
受付嬢は正式な依頼として受理した。
しばらくして、国王がギルドへ戻ってきた。
その日受けていた荷運びの依頼を終え、報酬を受け取る。
「今日はもう一件くらいできそうだな」
国王は掲示板へ目を向けた。
「何かいい依頼はあるか?」
「ありますよ」
受付嬢が答えた。
「アルさんに指名依頼が一件届いています」
「俺に?」
国王の顔が明るくなった。
冒険者になってまだ日も浅い。自分を名指しして依頼が来るとは思っていなかった。
「どこからだ?」
「王城です」
笑顔が消えた。
受付嬢から渡された依頼書を見る。
一行目を読んだところで、国王は黙った。
そのまま最後まで目を通す。
「……これは冒険者への依頼なのか?」
「正式に受理されています」
「書類に署名して、大使と会えと書いてある」
「はい」
「ほかには?」
受付嬢が記録を確認する。
「指名依頼はその一件だけですね」
「……そうか」
国王はもう一度依頼書を見た。
「断ることはできるか?」
「できますよ」
少し安心したところで、受付嬢が続けた。
「ただ、指名依頼の辞退が続くと、今後の昇格審査で考慮される場合があります」
国王の視線が止まった。
つい先日、一つ上のランクを目指していると話したばかりだった。
依頼書を見る。
王城。
決裁。
大使との会談。
もう一度、受付嬢を見る。
「……受ける」
「では、こちらに署名をお願いします」
国王は受注欄に名前を書いた。
その日の午後、初めて自分から王城へ戻った。
効果は絶大だった。
翌日も、王城から指名依頼が届いた。
翌々日も届いた。
国王は朝になると冒険者ギルドへ行き、依頼を探す。
「何かあるか?」
「ありますよ。指名依頼が一件」
「……王城か?」
「王城です」
依頼書を受け取り、そのまま王城へ戻る。
執務を終えれば、またギルドへ行って別の依頼を受ける。
それまで何度連れ戻しても抜け出していた国王が、毎日自分から執務室へ来るようになった。
宰相は国王を冒険者から辞めさせることを諦めた。
数か月後。
国王は順調に冒険者としての実績を積んでいた。
薬草採取や荷運びだけでなく、護衛や魔物討伐もこなし、ついに昇格試験を受けられるところまで来た。
「次の試験に合格すれば、一つ上だ」
その日の執務中、国王が嬉しそうに言った。
「それはようございました」
宰相は書類から顔を上げなかった。
「もう少し喜んでもいいだろう」
「陛下の冒険者としての昇格を喜ぶべき立場なのか、いまだに判断できませんので」
国王は気にせず、目の前の書類へ署名した。
「明日は何件だ?」
「決裁が八件と、午前中に軍務会議です」
「それだけか」
「今のところは」
「なら午後から依頼に行けるな」
すっかりこの生活に慣れていた。
その日の仕事を終えた国王は、王城からの指名依頼の達成報告をするため、冒険者ギルドへ向かった。
受付嬢が書類を確認する。
「はい。依頼達成ですね」
報酬が渡された。
国王は受け取った銀貨を眺めた。
「そういえば」
「はい?」
「この報酬は王城から出ているんだな」
「そうですね」
「国庫からか?」
「そこまでは分かりません」
翌日。
国王は宰相に同じことを聞いた。
「ああ、依頼の報酬ですか」
「毎日のように出しているだろう。余計な支出になっていないか?」
「なっておりません」
「そうなのか?」
「陛下にお渡ししている通常の歳費から、依頼報酬として支払った分を差し引いております」
国王の手が止まった。
「……何?」
「ですから、陛下が本来受け取られる金額は変わりません。その一部を冒険者ギルド経由で先にお渡ししているだけです」
国王は昨日受け取った銀貨を思い出した。
「では、あれは」
「もともと陛下がお受け取りになるお金です」
「依頼を受けても、余分には増えていない?」
「増えておりません」
しばらく沈黙が続いた。
「報酬を上げろ」
「構いませんよ」
国王が顔を上げた。
「いいのか?」
「その分、通常の歳費から差し引く額が増えるだけですので」
「……では意味がないではないか」
「最初からそう申し上げています」
「聞いていない」
「聞かれませんでしたので」
国王は不満そうだったが、冒険者を辞めるとは言わなかった。
翌朝。
国王はいつものように冒険者ギルドへ向かった。
「何かいい依頼はあるか?」
受付嬢は手元の書類を確認した。
「ありますよ」
国王が少し身構える。
「アルさんに、王城から指名依頼です」
「今日は何だ」
「午前中に軍務会議。その後、決裁書類八件の確認です」
昨日、自分で聞いた予定と同じだった。
国王は依頼書を受け取る。
内容を確認し、受注欄へ署名した。
「行ってくる」
「お気をつけて」
国王はギルドを出て、王城へ向かった。
冒険者アルはその日も依頼を受け、国王の仕事を始めた。




