第一章 交差するふたつの世 <現世之肆 現世2022 世田谷>
「雪兎ぉ、コレ、どう?おかしくない?」
ベッドに服を広げ放題広げて、鏡の前で悩んでいる瞳子をベッドで服に塗れながら、横になってニコニコと眺めている雪兎。
「どれも似合ってるよ。瞳子さんのお気に入りは、どれ?」
「う~ん・・・ブルーの花柄のワンピースかな?あ。でも、でも、ストライプのシャツとスキニーパンツの組み合わせも・・・でも、相手のこと考えたら、着物?浴衣?ねぇ、どーしよう・・・」
「わかった!瞳子さん、僕とデートに出かけるなら、どれを着たい?昼間のお出かけで、ショッピングしたり、お茶したり・・・。帰りには軽く一杯やって、フルーツでも買って帰ろうって感じの・・・」
「あぁ!行きたいっ!そんなデート、ここのところしてないねぇ」
「瞳子さんッ。早くしないと!もう皆さん、来ちゃうよ!」
「あ!そうだった…雪兎とデートなら…そうね、うん。コレにする!」
ようやく着るものが決まり、冷静になった瞳子は、部屋の惨状を見てガックリ肩を落とした。
「アハハ〜。決まったようだね。良かった。片づけは僕も手伝うから、後にしようか。面談に来る方たちも、家の隅々まで見るわけじゃないだろうからネ」
景子と3人でのランチで、雪兎のルーツの話を聞いてから10日後。幽世ツアーの面談日となった。
雪兎と瞳子、そして景子の予定が合う日を2、3日挙げたなかで、一番早い日付だった。そして、会う場所もこちらの指定の場所で良いというので、自宅に来てもらうことにしたのだ。
白いコットンのシャツに、ブルーのタンクトップをのぞかせたトップスに、ストライプのガウチョパンツを合わせた夏仕様の瞳子は、もう一度、鏡の前に立って大きく深呼吸した。
別に幽世へ行きたいわけじゃない。
でも、面談となると誰か他人に自分を値踏みされるようで居心地が悪い。
「あれ?雪兎は、そのカッコ?」
「だって、僕は君の面談の『立会人、その2』、だからね」
雪兎は、いたずらっぽく笑って答えた。
『立会人、その1』は、応募した景子だ。面談にあたって、雪兎も同席したいというと、「『立会人、その2』としてなら認めましょう」という回答だった。
なんだか、雪兎を安く見られたようで気分が悪かったが、当の雪兎は意に介せずという風だったので、瞳子も喉元まで出かかった文句を飲み込んだ。
―ピ、ピン・・ポンッ♪ ピ、ピン・・ポンッ♪―
撚れたような音の呼び鈴が鳴る。
「雪兎、ピンポン、さすがに直さなきゃ、だねぇ」
「鳴ってるうちは大丈夫だよぉ。鳴らなくなったら考えよ」
「鳴らなくなったら、って・・・まったく・・・」
「ほら、ほら、瞳子さん。お客様到着だよ!さぁ、行こう!」
ベッドルームのドアを開けて、エスコートするように手を広げて、廊下へと瞳子を誘う雪兎。
瞳子は促されて、もう一度鏡で姿を確認すると、背筋を伸ばして玄関へと向かった。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
景子に伴われてやってきたのは、時代がかった和服の老人が二人。
黒いスーツがビシッと決まっている背の高い若い男性がひとり。
「幽世ツアーズの、天目 漣と申します」
名刺を差し出したのは、黒スーツの男。長い前髪で左目が隠れているが、顔立ちの端正さまでは隠せないくらいのイケメンである。
そのイケメンぶりに目を奪われている瞳子と景子をよそに、天目漣と名乗った男は、淡々と続ける。
「こちらが、幽世で長年、青龍様付の神薙を務めていらっしゃる神事省の月影兎士郎様と幽世の治安を守っていらっしゃる刑部省の烏頭 刑様です」
自分たちの紹介を終えて、ぐるりと面々を見回した漣は、椅子を指さして「座っていいか?」という風に瞳子を見て小首を傾げた。
漣の人間離れしているともいえそうなイケメンぶりに、景子ならず瞳子までもがぼぉっと見惚れている。
「瞳子さんっ!景子ちゃんっ!」
たまりかねて雪兎が、二人の背をポンッと叩く。
ハッと我に返った瞳子が漣と目が合って、慌てて、席を勧める。
老人二人は「遅いわっ!」と言わんばかりの顔をして、咳ばらいをしながら恭しく腰掛ける。漣に比べて、小さなカラダの二人は、腰掛けたというより、ちょこんと置物を置いたようだ。
4人掛けのテーブルに、老人二人と瞳子、景子が着いた。
雪兎は、キッチンから二つの丸椅子を持ってきて、「こんなので悪いけど・・・」と一つは漣に、もう一つは瞳子の後ろに置いて自分が座った。
「さて、それでは・・・」
漣が開きかけた口を遮って、景子が声をあげた。
「えぇーっと、漣さんはあやかしさんなんですか?」
「あ?えぇ。あやかしというか・・・私は、神族のひとりでして、刑様は天狗のあやかしでございます。兎士郎様は、「ひと」であらせられますが、特別な「ひと」なのでございます」
「あやかしだからって全員イケメンってワケじゃないのね」
景子が刑をチラッと見て小さくつぶやく。
「ふんっ小娘に値踏みされるほど安くないわっ」
景子の小さなつぶやきを逃さなかったらしい。
「コホンッ。えー。もう本題に入ってよろしいか?」
漣がカバンから書類を取り出し始めた。
「あぁ。すみません、ホントに不躾で・・・」
謝る瞳子に、不服そうに景子が言う。
「瞳子さんだって気になってたクセにぃ」
「景子、もういいから。ね。早く本題の話を聞こう」
漣が書類を読み上げ始める。
「盈月瞳子様 昭和三十八年二月八日生まれ お間違いないですか?」
「盈月?盈月じゃと?」
すっかり置物と化していた兎士郎が声をあげる。
「はい。兎士郎様。こちらへ来る前にお話しいたしましたよね?」
漣はキツめの冷たい声で返す。
「はて?そうだったか?しかし・・・盈月と言えば・・・」
「盈月の、盈月の家のことをご存知なんですかっ?」
『立会人 その2』を決め込んでいたはずの雪兎が立ち上がって、兎士郎に迫る。
「あぁ・・・いや・・・」
言い淀む兎士郎の声に被せるように「その話は、今日は止めてください」と漣。
「それより兎士郎様、月の暦は合っておりますか?」
「月の暦って、『如月・満月』ってヤツですか?それなら、間違いないですよ。ほら」
景子は、自分のスマホで瞳子の生年月日の月齢暦を出して、見せる。
「あぁ、現代の現世は便利になりましたからねぇ。でも、ちょっと違うんです。ただの『満月』ではダメなんです」
漣は端正な顔立ちがさらに美しくみえるような冷たさで言い放った。
その美しさに、冷たく突き放されたはずの景子は熱を帯びた目で漣に見惚れている。
「あぁ。月は十四夜。間違いないっ」
兎士郎の言葉を受けて、今度は刑が椅子の上に立ち身を乗り出して、瞳子の顔を覗き込む。
「うむ。この鳶色。瞳のチカラ。間違いないだろう」
刑は瞳の奥までも覗き込んでいるような視線で瞳子の眼を見つめながら言う。
「痛っ‼何するんですか!」
刑はじっと瞳子を見ていたかと思うと、突然、瞳子の髪を引き抜いた。それも3~4本まとめて。
引き抜いた瞳子の髪を兎士郎と自分の前に並べた。
刑と兎士郎は、舐めてるんじゃないかと思うほど顔を近づけて髪を見ている。4~5分はそうしていたかと思うと、今度はその1本を陽の光に翳してみたり。
その後、兎士郎は古い紙に包んだものを懐から大切そうに出して広げた。
そこには、ひと房の茶色の髪があった。
その髪の隣に瞳子の髪を並べて、また矯めつ眇つしている。そうしてるうちに、兎士郎は洟をすすり始めた。溢れんばかりの涙を湛えた目で、漣と刑を見て、何度も頷く。
「兎士郎様、お気持ちはわかりますが、まだ確認しなければならないことがございます。お泣きになるのは、それが確定してからになさってください」
漣の言葉を受けて、兎士郎は袖口から取り出した手ぬぐいで目と鼻を拭って、深呼吸した。
「そうだったな。そうじゃ、一番大切なことだな」
なんとも言えない空気に、瞳子は肩で大きく息をしてうなだれた。
「はい。どうぞ。瞳子さんの好きなキリマンジャロのカフェオレだよ」
手持ちぶさたな雪兎は、キッチンに立ってコーヒーを淹れていたらしい。
「さぁ、みなさんもどうぞ。あ。お二人は、緑茶の方が良かったですか?すぐに淹れますよ」
『バカにするな!』
老人二人が声を揃えて、慌てたようにコーヒーカップを引き寄せる。
「あぁ。この薫り・・・」
カップに鼻を寄せて、クンクンと嗅ぐ兎士郎。
「この苦みが良いのだ。う~ん」
噛みしめるように飲む刑。
「良かった。お口にあったようで」
「お口に合うもなにも、大好物じゃ!のう、刑殿」
「おう、しかし幽世ではこれほどのモノには出会わん。土産に買って帰りたい。後で店を教えてくれ」
「お気に召したのなら、この豆は分けて差し上げますけど?」
『おぉ。それはありがたい!』二人は目を細めてコーヒーを啜り始めた。
「そろそろ、良いですか?お二人様」
漣の冷ややかな声が通る。
『おぉ。そうだな。そうだ』
二人は、名残惜しそうにコーヒーカップから手を放して、瞳子に向き直った。
「瞳子、左手を見せてくれるか?」
兎士郎が自分の右手をテーブルの上に載せた。
兎士郎の手に重ねろということか?それよりも、初対面の他人を呼び捨て?何様よ!瞳子は、ムッとしながらも手を兎士郎の手の上に重ねた。
その重なる瞬間・・・。
「ハッ!」兎士郎は、声を上げて後ろへのけ反った。
『あぶないっ‼』
椅子とともに兎士郎が倒れるかと思われた刹那。スッと漣が片手を伸ばして受け止めると、何事もなかったかのように元の位置に戻した。
「兎士郎様、お気をつけください」
言っている言葉は優しいが、その音は冷たい。
「刑殿、これは・・・見るまでもないかと・・・」
「ふーむ。そうは言っても見ないわけにはいかぬだろう。どれ!」
今度は、刑が瞳子の手を取る。というか、取ろうとした瞬間。
「ハッ!」声を上げて後ろへのけ反った。
『あぶないっ‼』
椅子とともに刑が倒れるかと思われた刹那。またしてもスッと漣が片手を伸ばして受け止めると、何事もなかったかのように元の位置に戻した。
「刑様、お気をつけください」
言葉は相変わらず優しいが、その音はさっきよりもさらに冷たい。
「瞳子様、申し訳ございません。左手をこちらの板の上へ」
その板をテーブルに置いたとたんに、空気が清澄になるような香りが立った。
・・・この香りは・・・瞳子の考えを遮って、景子が頓狂なトーンで叫ぶ。
「あ!うなぎのにおい‼」
「うなぎの?におい?えぇ??景子、何を言いだしてるの」
「あぁ、間違えました。うなぎに掛けるヤツ。の、ほら、なんて言いましたっけ」
「これは、山椒の木なんですね?漣さん?景子ちゃん、うなぎに掛けるって、山椒のことだろ?」
『はい』景子と漣の声が重なる。
景子は妙な照れ方をしているが、漣の方は露骨にイヤな顔をしている。
気を取り直した漣が説明する。
「こちら、幽世のとある山のなかに何百年と生きてきた山椒の木。その木を削り、磨いたものです。本来は、魔除けなどに使われますが、強い氣を発するものに触れるときなど、その強い氣の緩衝材代わりにも使われます」
『それを持ってきたなら、とっとと出さんか!』
老人二人が猛抗議するも、漣のひと睨みに負けて口を閉じた。
「さて、それではこちらに、左手を」
瞳子は、言われるままに、山椒の板のうえに手を置いた。
老人たちは、先ほどの髪の毛のときさながらに、矯めつ眇めつしている。瞳子の指輪に目を留めて、指輪を恐る恐る撫でながら兎士郎は刑に語りかける。
「お?これは、双頭の龍。刑殿、これは偶然なのかのぉ?私にはココで青龍様と蒼龍様が卯兎を守っておったとしか…」
「そうだな・・・ほんに、そうだ・・・」
刑は兎士郎の言葉にうなずきつつ、ずっと同じ言葉を繰り返し、声がだんだん涙声になっている。
「兎士郎様っ!刑様っ!指輪で止まらないっ!次!」
老人二人のゆるゆる加減に堪忍袋の緒が切れたのか、とうとう命令口調になる漣。
「そーだった。瞳子、指輪を外して、星を見せてくれ」
兎士郎は、指輪の下にあった、星型の疵を触ると、溢れ出る涙を止められなかった。刑も兎士郎に倣って、瞳子の指の疵に触れる。
老人二人は、とうとう抱き合って泣き出してしまった。
「お、おじいちゃんたち?どうしたの?ねぇ、大丈夫?」
心配げに老人二人を覗き込む景子に『おじいちゃんと言うな!』と言い返して、また抱き合って泣いている。
もはや呆れ果てたという体の漣。
「二人は放っておきましょう。どれ、私にも見せていただけますか?」
そういうと、指輪、瞳子の疵、それぞれを丁寧に見、徐に山椒の板を外すと、瞳子の指の疵に触れると目を閉じた。
次の瞬間、のけ反ってひっくり返りそうになったのは、瞳子だった。
「やっだぁ!瞳子さんたら、いくら漣さんがイケメンだからって、手を触られたくらいで卒倒しちゃうなんてぇ」
景子は能天気に笑うが、瞳子の顔は真っ青だ。
「瞳子さん、大丈夫かい?」
ひっくり返りそうになった瞳子を後ろで支えたのは、雪兎だった。
「顔色が悪いけど、発作、出そうなのかい?」
「大丈夫。なんか、ドンって衝撃が走って、何かとんでもない量の映像が一気に流れ込んできたの」
そう答える瞳子は息も浅く、顔には脂汗が滲んで、苦しそうに顔をしかめている。
「ほう、映像が・・・。何か見覚えのあるものはみえましたか?」
たったいま倒れそうになり苦しそうにしている人間に言うようなトーンではない、淡々とした口調で尋ねる漣に、ずっと見惚れていた景子が素に戻った。
「漣さん、ちょっとそんな言い方・・・ウコさん、心臓が悪いんですよ。ちょっと落ち着くまで、待てませんか?」
これに反応したのは、抱き合って涙にくれていた老人二人。
『ウトじゃと?瞳子ではないのか?ウトというのか?え?え?え?』
「『う』『こ』。『と』じゃなくて、『こ』!T、Oじゃなくて、K、O。わかる?おじいちゃんたち。瞳子の、『と』を取って、『ウコ』さん、なの!」
『おじいちゃんというな!』
「ウトじゃなくて、ウコなのか・・・これも偶然なのか?のう、刑殿」
「もうこれは、戻って青龍様に報告しても良いだろう」
「お二人とも、いずれにしても書類を整えねばなりませんので、いま少しお待ちを」
なにやら幽世トリオだけが納得の会話をしているが、置いてけぼり感満載の現世トリオは顔を見合わせて苦笑している。
漣は、もう一度だけと、瞳子の手を取って疵の上にもう片方の手を重ねて目を閉じた。
「うん。確かに…」
納得したようにつぶやくと、今度は瞳子に向き直って言った。
「瞳子さま、私たちが幽世へご招待するのは、貴女様でございます。幽世へ渡るための、諸々の手続きがございます。手続き終了次第、ご連絡差し上げますね。幽世ツアーの日程は、それから決定しますので」
言うだけ言うと、バタバタと片付け始め、老人二人は早くも玄関へ向かっている。
「ちょ、ちょっと待ってください‼」
瞳子が3人の背に声を掛けた。
「なんなんですか?いったい…一方的に人を値踏みするような真似して、何がどうだったかもわからないまま、『幽世へどうぞ!』なんて言われても、『ハイ。そうですか』って、行けるわけないじゃない‼」
「は?行きたくないと?」
漣が薄笑いしながら返した。
「あなたねぇ、その態度、どうかと思うわよっ」
「そうおっしゃいますが、瞳子様も幽世にいらっしゃりたいから応募なさったのでは?」
「私は別に…」
「いらっしゃりたくないと…?」
「特に行きたかったわけじゃないわよッ」
「そうでしたか…。それでは今回のお話は…」
『ちょぉーっと、待ったぁー‼』
老人二人と景子が同時に割って入り、景子は瞳子に、兎士郎と刑は、漣に向かって諭し始めた。漣も瞳子もそっぽを向いて話を聞こうとしない。
説得する3人とそっぽ向く二人の膠着状態が続くこと数分。
「アハハハハ…瞳子さんが言い出したら、引かないのはわかってたけど、漣クンもなかなかだねぇ、アハハハハ」
膠着を引き剥がしたのは、雪兎だった。
「漣…『クン』?お前、俺をなんだと…」
「申し訳ないけど、面談が終わったいまは、僕は、ココ、この家の主人で、瞳子さんの夫だ。君は、この家のゲスト。客だ。客としてのマナーのあるひとには、敬意を以てもてなすけれど、そうでないひとには、相応の対応をさせてもらう。そして君は、幽世では神族だか何だかんだ知らないけど、ココへは『幽世ツアーズ』のスタッフとして来た。そうだろう?それなら、瞳子さんは君にとってお客様じゃないのかい?」
漣は、雪兎をジッと見つめるが、その目に敵意がないのはわかる。
「とにかく、今日のところは、今日の結果を持ち帰って、書類を整えて来てください。そして、次回お会いするときには詳細を聞かせてもらいたいな。それから、瞳子さんがツアーに参加するかどうか決める。こういうことでどうかな?月影さんも烏頭さんも、それでいいですか?」
雪兎に論破されたカタチの幽世チームは、また1週間前後に会う約束をして去っていった。