第一章 交差するふたつの世 <現世之参 現世2022 世田谷>
「なに?コレ。書類選考通過って…私、応募した覚えはないわよ?」
目をパチパチさせている瞳子に、雪兎がプリントの上を指差して言った。
「瞳子さん、ホラ。宛先、見て。代理人って書いてる。宛名は、瞳子さんじゃなくて、瞳子さんの、『代理人』。コレはぁ…」
紙を指していた指をゆっくり回しながら、景子に向けて、止めた。
舌をチョロっと出して、首をすくめる景子。
「えぇ〜〜。景子ぉ〜。ったく…」
「いや、だってね、ホラ…あの…どう見てもウコさんのコトとしか思えなくて。応募してみて、ダメならそれまでだしぃ〜…ね?」
「なぁにが、『ね?』よッ!私、面接なんて行かないわよ!」
瞳子は、杏仁豆腐の最後のひと口を流し込んで、メールのプリントをクシャリと握りしめた。
「瞳子さん、ちょっと待って。見せて」
雪兎は、プリントを握り込んだ瞳子の手を上からそっと包み込むように自分の手を重ねて、瞳子からプリントを受け取り、広げて再度、読み返している。
イタズラを叱られている子どものように、目をキョロキョロさせて、瞳子と雪兎の様子を交互に伺っている景子。
「景子、怒ってないよ。怒ってないけど、私は行かないから」
景子は、一瞬、ホッとしたような顔になったが、瞳子の頑なな返事に口を尖らせて不満そうだ。
ひとときテーブルに貼りついた沈黙を破ったのは、雪兎だった。
「ねぇ、瞳子さん。行ってみたら?なにも面接に幽世まで行くわけでもないし。それに全面的に瞳子さんの都合のいい日時を優先させてくれてるじゃない。ちょっとしたヒマつぶし、いや、酒の肴になる話題づくり感覚でいいじゃない。僕も興味あるなぁ…」
雪兎のこの言葉に、会津の『赤ベコ』かっていうくらい、ブンブン首を縦に振る景子。
「え〜⁉雪兎がそんなこと言うと思わなかったわ」
「でね、行けるとなったら、僕も一緒に行きたいんだけど…」
「雪兎が幽世に行ってみたいって話は、今朝ちょっと聞いたけど、そんなに?意外だわぁ…」
「それなら私だって行ってみたいですぅ」
会話に割って入った景子の言葉は、夫婦ともにスルー。
雪兎は、驚いたような目を向ける瞳子の方だけを向いて話始めた。
― 実はね、この歳になって自分のルーツが気になり始めてね。いろいろと調べてたんだよ。
親ももういないし、親戚も北海道と金沢にいるだけ。しかも金沢の伯父・伯母とはつきあいがなくてね。ほら、瞳子さんも会ったことあるだろ?北海道の春菟叔父さん。あの叔父さんを頼りにね、いろいろと調べたわけ。―
「あ。なんか飲む?もうちょっと長い話になりそうだからさ。花茶にしようか。ほら、瞳子さんお気に入りの、桜の花茶、どう?」
雪兎はテーブルにあったメニューを手にはしたが、それを開くことなく、サッサと決めてしまうと店員を呼んでオーダーした。
幽世行きを勧めるだけでも驚いたのに、いつもは言葉少なな雪兎が瞳子だけでなく、景子という他人の前でも饒舌にしゃべり始めたことに、瞳子は、さらに驚きを隠せなかった。
そんな瞳子の驚きをよそに、雪兎は続きを話し始めた。
― 盈月って名字が前から珍しいよなぁとは思っていたんだけど…。
実は、龍神様に仕える神薙の一族だったらしいんだな。
明治の最初頃っていうから、僕の高祖父くらいまでは幽世に住んでいたらしいんだよ。
明治の中頃までは、現世と幽世の境界が緩かったっていうか…。
カンタンに行き来できていたらしいんだよね。
だけど、盈月の家から神薙を出せなくなって…。
あぁ、その頃の神薙っていうのは、単に神主さんみたいなことをするだけじゃなくて、いろいろと特殊な能力が必要だったらしいんだ。
だけど…、僕の曽祖父はそのチカラが弱かった。
生まれて、数年で開花しないと、その能力が発現することはないらしい。
それで、『普通のひと』としての暮らしをさせるために、高祖母はまだ幼子だった曽祖父を連れて、現世で暮すことにしたらしい。
神薙として務めていた高祖父を幽世に残して。
まぁ、幽世と現世に別れていても、行き来はできたわけだから、高祖父は幽世に単身赴任。休みには、妻子のいる現世の高祖母たちの元へ…っていう暮らしだった。
だけど、ある日突然、幽世と現世を隔離することになったらしいんだ。
それまでは、幽世の神やあやかしたちのチカラで開かれていた幽世への道は閉ざされ、一度現世に入ると、二度と幽世に戻れなくなった。
以降は、幽世と現世の行き来は、特別な許可証を手に入れるか⁉死んでしまうか⁉しかなくなってしまった。
・・・そのとき、神薙であった高祖父は妻子をとるか、神薙の務めをとるかの選択を迫られた。なにせ、一度、幽世から現世に戻ると幽世には戻れなくなっていたからね。
神薙なんていう仕事をしているんだから、幽世への許可証が出ても良さそうなモノだと思うんだけど…。
春菟叔父さんが調べてくれたことによると、神薙という職だからこそ、カンタンには幽世の外に出られなかったんだそうだ。
神事に使う神器などは、現世ではおそろしく高値がつくほどの『お宝』だったから、それらの持ち出しを恐れてのことだったらしい。
いつの世にも神をも恐れぬ不届き者がいたってことかな⁉
そんなことがあって、高祖父母は残りの人生を別れて生きることになったらしい。だから、僕のルーツの一部は幽世にあるんだよ。
春菟叔父さんのとこも、金沢の伯父、伯母のところも子どもは女の子で、僕には前妻との間に息子がいるけど、前妻は再婚して他の姓を名乗ってる。もちろん、息子もね。
だから、もう『盈月』は僕の代で終わりなんだよ。
そう思ったら、無性に自分のルーツが気になり始めて、それが幽世にあると知ったら、行ってみたくなったんだよ。
死んでからじゃなく、生きているうちにね。
そしてそれを瞳子さんと一緒に叶えられたら、僕は死んでしまったときもひとりじゃないって思えるかなぁ…って。
幽世は自分のルーツの場所で、瞳子さんとの思い出もある場所。
ひとりじゃないと渡れないって云われている『光の湖』もひとりで行けそうな気がするんだ。―
子どもに、絵本の読み聞かせでもするように、スルスルと語り終えた雪兎は、大きく息をついて、改めて瞳子を見据えた。
「どう?瞳子さん?面接受けるだけでも受けてみないかな⁉」
「雪兎のルーツが幽世にあったとはねぇ・・・どうりで、普段はスピリチュアルな話とか興味なさげなのに、今回は食いつくなと思ったのよねぇ・・・」
「瞳子さんは、なんでそんなにイヤなの?」
「う・・・ん・・・笑わないでよ?笑わないで聞いてよ?心臓が悪化してから、意識が飛ぶような発作を起こすことがあるじゃない?
そのたびにチラチラと見える映像があるのよ。チラチラ見えるっていうか、フラッシュする感じかな。何枚かの景色の写真が高速で切り替えられるスライドみたいな。確信はないんだけど、その見えてる景色が幽世の景色なんじゃないのかな?って漠然と感じてて…。で、幽世へ行って、ホントにその景色に出くわしたら、私はそこから出られなくなるような気がして…」
「幽世から出られなくなりそうで、怖いのかい?」
幼い子どものように、こっくりと頷く瞳子。
「その景色と一緒に『サルバトール・ムンディ』がフラッシュすることもあるの。あぁ…キリスト様がお迎えに来るなんて、ホントに終わったわって思ったもの…」
「さ、さ『サルバトール・ムンディ』ってあの?ダ・ヴィンチが描いた青いローブのイエス・キリスト?」
「そ、そうよ。おかしい??だから笑わないで聞いてって言ったじゃないッ」
目を潤ませて上目遣いに睨む瞳子の手を両手で包み込んで自分の方に引き寄せながら雪兎が答える。
「笑ってないだろ?いや、すごい豪勢なモノを夢に見るなぁって感心したヨ。500億超の絵画だからねぇ。でもさ、瞳子さん、クリスチャンでもないんだから、わざわざキリスト様は来てくださらないよ。ご自分の信者をお迎えに行くので手いっぱいだよ、きっと。それに、たとえキリスト様でも、僕がいる限り、瞳子さんをカンタンに渡したりしないよ。ねっ?」
―ゴホッ、ゴホッ、ゴホッン
「あのぅ…お二人とも、私がいること忘れてません?」
たまりかねて景子が割って入った。
「あぁ…景子…」
「景子ちゃん…」
『いたんだっけ…』
声を揃えて言うふたりに、ふくれっ面の景子。3人で顔を見合わせて、吹き出した。
「で?ウコさん、どうします?選ばれた者だけよ!? ウコさん、これはもう運命でしょ!」
「う〜ん…雪兎のあんな話聞いちゃったしなぁ…。モノは試し。面談だけでも受けてみようかな⁉」
「やった!」
手をたたいて小躍りせんばかりの景子。
「なんで、景子が喜んでるの?まさか、一緒に行けるとか思ってる?」
「えっ…アハッ…アハハハ〜。ダメ⁉…デスカ??」
瞳子は、上目遣いに様子を見る景子のおでこを指でツンと付く。
「イッ痛ぁ〜いッ」
大げさにおでこを押さえて痛がる景子を見て、大笑いする瞳子夫婦。
「ま。まだ行けるかどうかわからないんだし、確かに景子ちゃんが応募しなかったら、こういうことにもなってないわけだから、景子ちゃんにも権利があると言えば、あるかもね」
笑いながらも答える雪兎に、瞳子は不服そうだ。
「だって、雪兎が行けなくなっちゃったらどうするの?雪兎のルーツの場所なんでしょ?」
「瞳子さんと他に1人じゃなきゃダメだとしたら、ソコは雪兎さんに譲りますよ!もちろんッ!3人でもOKなら、私も!ね?それならいいでしょ??」
「う…ん…まぁ…それならなねぇ…」
「アハハハ〜止めようよ、こんな話。だってまだ、瞳子さんでさえ、行ける資格があるのかないのかわからないんだよ⁉これじゃ、宝くじを買っただけで、まだ当たってもない当せん金の皮算用してるのと変わらないよ」
『確かにぃ〜』瞳子と景子も声を揃えて笑った。
結局この日、瞳子は幽世行きの面談を受けることを決め、都合が良さそうな日程を景子に伝えて長めのランチを終えて、帰宅した。