第三話 恋路の予感と、小さな仲間
見慣れない洞窟の壁を背に、カイトは先ほど助けてくれた銀髪の剣士、リーナの後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
月明かりに照らされた彼女の銀髪は、まるで夜空に引かれた一筋の光のようだ。
(綺麗だなぁ……)
思わず見惚れているとリーナが振り返り、赤い瞳をこちらに向けた。
その視線に射抜かれたように、カイトは慌てて視線を逸らす。
「……何か用か?」
低い声には、先ほどの戦闘の緊張感がまだ残っているようだった。
「あ、いえ……あの、助けていただいたお礼を言いたくて。本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げると、リーナは少しだけ目を細めた。
「礼など良い。たまたま通りかかっただけだ」
そっけない返事だったが、その言葉とは裏腹に、彼女の表情にはどこか安堵の色が混じっているように見えたのは、カイトの気のせいだろうか。
「あの……もしよかったら、あなたのことを少し教えてもらえませんか? こんなところで一人でいるのも心細くて……」
勇気を振り絞ってそう言うと、リーナは腕を組み、しばらくカイトを見つめていた。
その沈黙がカイトにはひどく長く感じられた。
「……私はリーナ。ただの剣士だ」
ようやく口を開いた彼女の言葉は、やはり多くを語らなかった。
「リーナさん、ですか。素敵な名前ですね! あの、もしよかったら、この先一緒に旅をしませんか? 僕、この世界に来たばかりで、右も左もわからないんです。それにリーナさんの剣技、すごくって……色々教えてもらえたら嬉しいです!」
期待を込めて申し出ると、リーナは一瞬、驚いたような表情を見せた。
しかしすぐにいつもの冷静な顔に戻り、きっぱりと言った。
「悪いが私は一人で旅をしている。誰かと一緒に行動するつもりはない」
「そ、そんな……」
カイトは肩を落とした。
やはり通りすがりの人にそう簡単に頼るなんて虫が良すぎたか。
「それに……お前はまだ弱い。私の旅は危険が伴う。巻き込むわけにはいかない」
リーナの言葉は厳しかったが、その奥にはわずかな気遣いのようなものが感じられた。
「でも、僕は……」
何か言い返そうとしたカイトの言葉を遮るように、リーナは立ち上がった。
「もう行く。お前も、日が昇る前にここを離れた方がいい」
そう言い残して、リーナは再び洞窟の奥へと歩き出した。
今度は迷いなく、そしてどこか寂しげな足取りで。
(やっぱり、ダメか……)
カイトは消えていくリーナの後ろ姿を、諦めきれない思いで見送った。
彼女の強さ、そして時折見せる優しさにカイトは惹かれていたのだ。
一人残された洞窟で、カイトは再び途方に暮れた。
これからどうすればいいのだろう。
魔物が出るかもしれないこの場所で、一人で夜を明かすのは心細い。
「はぁ……やっぱり、ラノベみたいにはいかないんだな」
自嘲気味に呟いた時だった。
洞窟の奥、先ほどリーナが消えていった方向から、微かな物音が聞こえた。
警戒しながらそちらに目を凝らすと、小さな影がよろよろとこちらに向かってくるのが見えた。
それは、泥だらけの小さな女の子だった。
痩せていて、服はボロボロ。
大きな瞳は不安げに揺れ動き、カイトをじっと見つめている。
「……だれ?」
か細い声で、女の子はそう言った。
言葉はたどたどしく、まるで幼い獣のようだ。
「僕はカイト。君は?」
優しく問いかけると、女の子はしばらくカイトを見つめた後、ぽつりと名前を呟いた。
「……リリア」
リリア。
それがこの子の名前らしい。
言葉はまだうまく話せないようだったが、その瞳には何かを訴えかけるような強い光があった。
「リリアちゃん、一人なの? こんなところでどうしたんだ?」
カイトが心配して尋ねると、リリアは首を横に振った。
身振り手振りで、何かを探しているようだった。
(もしかして、迷子になったのかな?)
カイトはそう思い、リリアの手をそっと握った。
小さな手は冷たく、震えていた。
「大丈夫だよ、リリアちゃん。僕と一緒に来よう。きっと、誰かを探しているんだね」
リリアはカイトの言葉を理解したのか小さく頷き、その手を握り返してきた。その時カイトの心に、不思議な温かい感情が湧き上がってきた。
一人ぼっちだった自分に、初めてできた小さな仲間。
洞窟を出て、二人で歩き始めた矢先だった。
背後の森の中から、再びあの低い唸り声が聞こえてきたのだ。
「うわっ、また!?」
カイトは身を強張らせ、リリアを庇うように前に立った。
闇の中から現れたのは、先ほどカイトを襲ってきた魔物と同じ種類の、黒い狼のような魔物だった。
しかも、今度は二匹いる。
「くそっ、よりにもよって……」
さっきはリーナに助けてもらったが、今は二人だけだ。
カイトの貧弱な魔法では、二匹の魔物を相手にできるとは思えなかった。
魔物は獲物を定めるように、鋭い牙を剥き出しながら、じりじりと距離を詰めてくる。
リリアは恐怖で体を震わせ、カイトの服の裾を強く握りしめていた。
(どうしよう……どうすれば……!)
絶体絶命の状況に、カイトの脳裏には様々な考えが駆け巡った。
逃げるか?
戦うか?
しかし、今の自分に有効な手立てがあるとは思えなかった。
その時だった。
再び、夜の闇を切り裂くような銀色の閃光が走った。
一瞬後、二匹の魔物は悲鳴を上げる間もなく地面に倒れ伏していた。
そしてそこに立っていたのは、やはりあの銀髪の剣士リーナだった。
「……まだ、こんなところにいたのか」
リーナは血の付いた剣を鞘に納めながら、呆れたようにカイトを見下ろした。
「リーナさん! また助けてくれて、ありがとうございます!」
カイトは心底から感謝した。
まさかこんな短時間で二度も助けられるとは。
「そちらの子供は?」
リーナはカイトの後ろに隠れているリリアに気づき、問いかけた。
「あ、この子はリリアちゃんと言って……さっき、洞窟で会ったんです。一人ぼっちみたいで……」
カイトが説明すると、リーナはリリアをじっと見つめた。
その赤い瞳には先ほどまでの冷たさだけでなく、ほんのわずかな、しかし確かに憂いを帯びた光が宿っているように見えた。
「……仕方ない」
しばらく沈黙した後、リーナはそう呟いた。
そして信じられない言葉を口にした。
「お前たち二人とも、しばらくの間だけ、私と行動を共にしろ」
「えっ、いいんですか!?」
カイトは思わず声を上げた。
さっきまで一人で旅をすると言っていたのに。
リーナは何も言わず、ただ小さく頷いた。
その表情は相変わらず険しいが、どこか柔らかくなったようにも見えた。
「ただし、私の足手まといになるなよ」
そう言い残して、リーナは再び歩き出した。
カイトは信じられないような喜びを感じながら、リリアの手を引いて彼女の後を追った。
予期せぬ形で始まった、銀髪の剣士との旅。
それはカイトにとって、過酷でありながらも、かけがえのない経験となることをまだ彼は知らなかった。
そして小さな孤児との出会いが、彼の運命に新たな光を灯すことも……。