怪しき薬酒と宮廷遊戯の幕開け3
照明が抑えられた王宮の廊下に、軽やかな足音が重なる。私、セシリアは夜勤の看護師ならぬ“王宮薬師”として油断ならない夜を迎えるところだ。明日は例のチェストーナメントが開幕する上、薬酒の調査は待ったなし。どこから手を付ければいいのか考えるだけで頭がぐるぐるする。
「セシリア、そんなに眉間に皺を寄せては美貌が台無しだ」
隣を歩くアレクシスが、淡々とした声で茶化してくる。宰相サマの口調はいつでも冷静沈着だが、その中に皮肉が混じってるのが見え透いて腹立たしい。私は肩をすくめてみせる。
「ほら、私の仕事は山積みなんですよ。文句は山ほどあるけど、どれもあなたにぶつけるべきじゃないでしょ?」
「いや、遠慮はいらないさ。僕の耳は優秀だと自負してるから、どんな毒舌もキャッチできる」
「じゃあ遠慮なく。昨日寝てないから、いつもの三倍は辛辣ですけど?」
わざと険悪そうに見せかけると、アレクシスは薄く笑った。その顔が「何を言われても余裕」って雰囲気に満ちているのが癪に障る。こんな時こそ巧みな返しを考えたいが、いかんせん眠い。でも吐き捨てるような悪口をぶつけている余裕はない。なにしろ、私には“毒見役”の重要任務が待っているのだ。
そんな私たちの目に止まったのは、長いローブをまとった細身の男。文書管理官ヴィクトールが、廊下の隅からひょいと姿を見せた。微妙に笑みを浮かべ、今にも「いいもの持ってきたんですよ」と言い出しそうなオーラをかもし出している。
「セシリア殿、良い機会なので少しお耳を拝借。今日の夕方、薬酒まわりの証言でおかしな時刻のズレが報告されました。雷だとか鐘だとか、妙に騒々しい話ですね」
「また時刻のズレ……何か引っかかることでも?」
「ええ。複数の人間が“同じ時”を口にしているのに、実際には場所の説明が噛み合っていないんです。他の件と合わせると、どうも街の取引帳の記録とも矛盾が生じましてね」
ヴィクトールは淡々と語りつつ、必要最低限の情報だけ差し出した。地味に厄介だが、ここでのヒントは貴重。その微妙な帳尻の歪みが、いずれ薬酒の販売ルートを割り出す決定打になるかもしれない。私は「ご苦労様」とだけ告げて、ちらりとアレクシスに目をやった。すると彼は「面白くなってきた」とでも言いたげに、気むずかしそうに笑う。
「イザベル派が裏で糸を引いているんだろうけど、まさか雷の振動までコントロールできましたーなんて話じゃないよね?」
「とんでもない。あの方々にそんな科学的才能があるとは思えませんけど」
「でも、記録が改ざんされてる可能性は高い。誰かが“いなかったはずの時間”を“いたこと”にして、あるいはその逆。もしくは薬酒の配送先で帳簿をごまかしてるとか」
毒舌が軽妙に飛び交うなか、私の脳裏には薄暗い街道のイメージがよぎった。何者かが取引を偽装して資金を作り、それをチェストーナメント関係者にばら撒いているとしたら? そんなシナリオを追うと、どこぞの華やかな麗人が高笑いしてる図が頭に浮かんでしまう。
思わず背筋を伸ばして歩調を速めると、そこにひょこっと現れたのはカトリーヌ。今日も妹を救いたい一心で奔走しているらしく、手に持った紙束を散らしそうだ。大きく息を吸ってから、彼女は勢いよくまくし立てる。
「セシリア様! この時間帯と雷鳴に関する証言、やっぱり変なんです。記録のほうでは“午後の鐘が三度鳴ったあと”になってたのに、実際は一度しか鳴っていない可能性があって……」
「つまり、鐘の回数が本当はどのくらいだったか、誰かが故意に発言を変えてる。それが商会の帳簿にも反映されてるってことね?」
「はい。それも妹が巻き込まれた際、そこにいた人物の証言と食い違ってます。もうどれが真実か分からなくて、嫌になるくらい嘘だらけ!」
カトリーヌは半泣きだが、その瞳は諦めていない。私はアレクシスと顔を見合わせ、軽くうなずいた。浮かび上がった矛盾が雨後の筍みたいにぞろぞろと。これは逆に、ひとつでも紐解ければ全部が連鎖反応で明るみに出そうな気がする。
そこへ、厳かな足取りで老人官が登場。いつもは落ち着いた物腰だが、今宵はやけに笑みが濃い。どうやら言いたいことがあるらしく、ひそひそ声で話し始めた。
「チェス大会の準備で人手が増えているから、ごまかしやすい条件がそろっているらしいな。中には“杯を片手に駒を進める”なんて浮かれた貴族もいると聞くぞ。薬酒が冷えた頭を熱くしているのかもしれん」
「…やれやれ。お祭り騒ぎに乗じて陰謀を企むとか、王宮の伝統芸なんですか?」
「さあ、どうだかね。だが一つだけ言えるのは、誰かが雷と鐘のタイミングを利用して足跡を隠そうとしているってことだ。おかげで我々は混乱中だが、いずれ尻尾が見える」
自信満々に断言する老人官に、思わず拍手でも送りたくなる。そう、本当に誰かの影はもう私たちの目の前まで来ている。ひとつ見誤れば逆に貶められかねない怖さと同時に、暴いたときの気持ちよさを想像すると――ちょっと笑いがこみ上げてくる。自分でも不謹慎だと思うけど、勝利の瞬間を夢見ずにはいられない。
「セシリア、笑ってるのか?」
アレクシスが目を細め、珍しそうに尋ねた。どうやら私、露骨にニヤついていたらしい。慌てて顔を背け、努めて冷静さを装う。
「いえ、ただの寝不足が限界に達した表情かと。さて、面倒な宿題も山盛りだし、さっさと片付けますか」
立ち止まっている暇はない。雷と鐘のズレを追えば、きっと薬酒の正体に届く。イザベルが笑おうが、マリアンヌが耳をそばだてようが、お構いなしだ。どんな粉飾も、現代薬剤師の宿命を背負う私の眼力(と鼻)には通じない。自覚はないけど、周りは「何でも暴く地獄の探偵」とか呼んでるかもしれない。だったら最後までとことんやるまでだ。
活気づいた廊下を突っ切ると、扉の奥からエドワードがこちらを眺めていた。いつもより顔色がましに見えるのは、チェス大会を楽しみにしている証拠だろうか。あの優しい王太子を守るためにも、妙な企みは全て暴いてあげないと。そこに愛嬌を振りまく余裕はないが、せめて精一杯の努力で応えたい。
もうすぐ始まるチェストーナメント。その裏では薬酒と偽装工作がぐるぐると蠢き、誰かの策略が一気に花開こうとしている。けれども、私だって黙って踊らされる駒じゃない。たまには毒舌を解放して、相手を翻弄し返すのも悪くない。
かくして夜の王宮は、駒音が鳴る前の途方もない静けさと、まるで地鳴りのような予感で揺れ始めている。真実が見え隠れするだけに、胸が高鳴って仕方ない。次に雷が鳴るときは、思い切り牙をむいてやるから待ってろよ――心の中でそう毒づいて、私はさらに奥の廊下へと足を進めた。もう後戻りはなし。チェスも陰謀も、かかってこい。今夜の私はちょっとやそっとじゃ止まらない。




