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仮死の伯爵令嬢と王宮チェス狂騒曲2

王宮の廊下を歩いていると、あちこちから「チェックメイト!」だの「いやそこはポーンで潰せ!」だの、まるで碁や双六じゃあるまいし――今日はどこもかしこもチェス盤だらけ。文官まで駆け寄ってきて「セシリアさま、駒の動き方どっちが正解でしょう?」と真顔で尋ねてくるから呆れて物も言えない。


 


 ひとまずチェスの解説は他所でお願いしたい。だって、報告書類が山のように積まれて机からあふれそうなのだ。しかもみんな浮かれ切って仕事しないものだから、政務が滞るったらない。私の上司にあたる宰相アレクシスですら、苦笑を浮かべて肩をすくめる始末だ。


 


「余裕を見せているけど、これじゃ絶賛火の車じゃないですか。王太子殿下の看病もあるのに」

 私がぼそりと不満をこぼすと、アレクシスは例の爽やかな声で返してくる。

「仕方ないだろう。貴族どもがチェスにかまけている間に、俺は“もう一つの舞台”を整えようとしているんだ。なんならお前も参加するか?」

「舞台? うーん、あんまり予感が良くないんですけど」


 


 どうやらアレクシスにはこの狂騒を逆手に取る策があるらしい。詳しいことはまだ教えてくれないが、一筋縄でいく気はしない。まああの人の場合、見えないところでこっそりと準備しては、最後に「実はこうでした」と華麗に落としにかかるのがお得意だ。


 


 ――とはいえ、時間を食うチェス騒ぎだけが問題じゃない。隣国リウダとの外交は相変わらず暗礁のまま。あの伯爵令嬢の一件は、表立って語られないといえど、裏ではいっそうもめているらしい。さらに輪をかけて厄介なのが、最近立て続けに届く農地の害虫被害報告。薬草関連の納品が遅れに遅れて、私の薬師業務にまでじわじわと影響が出始めている。


 


「虫の大群って……いったいどんなスピードで広まってるんでしょう?」

 薬倉庫を確認しながらぽつりと呟くと、文書管理官のヴィクトールが困った顔で答えた。

「予想より速い様子です。しかも宮廷のみなさま、チェスに熱を上げすぎて書類に目すら通さず……下手すると畑が丸ごと壊滅しかねません」

「おいおい、そっちの方が大惨事でしょ。大貴族も小作人もみんなチェス盤抱えてる場合じゃないですねぇ」


 


 しかし、とんでもないことに、その“非常事態”を利用しようと企んでいる来客がいるのだ。王の側妃イザベル・フォン・リューゲン。さり気なく視界に入った彼女は、うっとりするほど豪奢なドレスを身にまといながら、わざとらしく扇子を翻していた。


 


「私、思うのだけれど。この機会に隣国をギャフンと言わせておくべきじゃなくて? だって裏切られたのは我が国なのですもの」

 イザベルは甘ったるい声でそう言うと、私とアレクシスを横目で見下ろした。というか、強硬路線まっしぐらの彼女にしてみれば、クラリッサ逃亡騒ぎは絶好の攻撃材料らしい。そしてその手駒には侍女マリアンヌが控えている。つい先日あたりから、彼女の動きがやたらと慌ただしいのが気になるところだ。


 


「まあ、どうぞご自由に圧力をかけてください。ただし、王太子殿下の体調がこれ以上悪化するのはお勘弁を」

 私が皮肉半分で言うと、イザベルの瞳が冷たく光る。

「ご自慢の薬師の腕で、なんとかするのがあなたのお仕事では? それに私たちは王国の未来を思ってのことよ」

「はいはい、すばらしいお慈悲のお心ですね」

 さらりと流すと、マリアンヌが後ろでくすっと笑った。いっそ感じ悪さが突き抜けてて清々しい。


 


 思わず口角が上がってしまった私だが、実際のところ笑ってる場合でもない。強硬策と穏健策のせめぎ合い、そこにチェス狂騒が混ざり合って、内部でも何やら意図不明の取引が動き出している気配がする。どうやらマリアンヌはクラリッサ最期(?)の真相をさらに追いかけていて、新たな駒を仕込みたそう……火薬に火が近づく音が聞こえるのは錯覚じゃなさそうだ。


 


「セシリア、お前はまず薬草の確保に集中しろ」と、ようやくアレクシスがまじめな声を出す。

「チェス大会だの外交ショーだの、正直茶番に見えるかもしれんが、そこに重要な交渉事を仕掛けるんだ。まあ、うまく行く保証はないけどな」

「大丈夫じゃないですか? あなた、王宮中の人間を転がすのが得意技でしょ。私、後ろから観察させてもらいますよ」

「見世物扱いとは、相変わらず性格が悪いな。……いや、そこが頼もしいか」


 


 ――皮肉まじりの応酬をしつつ、私は頭の片隅でエドワード王太子の顔を思い浮かべた。健康管理が間に合わず、彼がまた倒れでもしたら笑いごとじゃない。それにチェスどころか、隣国との一触即発が現実になる危険だって拭えない。


 


 しかも害虫の件も絶対に放置できない。麦畑や薬草圃場が丸ごと囓られたら、国の基盤が揺らぐ。荒れ地しか残らなかったら、いくらチェスを極めても腹は膨れないのだから、関税どころの話でもない。


 


「最悪のシナリオはチェス盤よりもずっと怖いってことですね。やれやれ」

 自分に言い聞かせるように呟く私に、ヴィクトールが控えめな声で問いかける。

「何かお力になれることは?」

「書類仕事、倍速でお願いします。チェスの手ほどきなんてやってる暇ないですよ」


 


 その言葉に彼は苦笑するが、その目には(セシリアさまなら何とかなる)という呆れと期待が混じっていた。私に言わせれば、期待しすぎなんだけど……まあ、必要とされるうちは頑張るしかないか。


 


 こうして整理してみると、チェス熱から生まれる停滞、イザベルの強硬路線、マリアンヌの暗躍、そして広がる害虫被害。王宮も国内も、まるで蜘蛛の巣にかかった獲物みたいにじわじわ絡め取られていく感じだ。果たして私たち薬師や宰相が、その巣を断ち切ることはできるのか。


 


「さて、しっかり体力つけて動かないとですね。忙しくなるのは目に見えてるし……」

 心の準備をした私の背中を、アレクシスがぽんと叩いた。

「何なら、夜な夜なチェスを教えてやってもいいぞ?」

「お断りします。駒を並べる時間あるなら、国の害虫対策でも考えたほうが有益でしょ」


 


 私の即答に、彼は吹き出すように笑った。こんな攻防をしている場合じゃないのに、どこか楽観的な自分がいるのも事実だ。いやいや、楽観してる暇はないはず……なのに、この不安と期待がないまぜになった自分の感覚は何だろう。


 


 嵐の前の静けさ? それとも始まったばかりの大混乱? どのみち、王宮がチェス盤まみれのうちに、本当に大切な札を打たなきゃ手遅れになる予感がひしひしと迫る。


 


(さあ、どう転んでも後戻りはできない。でも――)

 むしろこの状況こそ、燃えるじゃない。異国から知識を持ち込んだ私にしてみれば、「聞いたことない混沌」ほど好奇心をそそるものはないんだから。


 


 チェスも陰謀も、楽しませていただきます。椅子に腰かけ、机の書類を手に取った私は、にやりと意地悪そうに笑ってしまった。次はどんな駒が飛び出してくるのか――じっくり拝見させてもらおう。

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