仮死の伯爵令嬢と王宮チェス狂騒曲1
噂というのは怖い。特に「名門伯爵家の令嬢が急死した」となれば、王宮中の注目を浴びるのは時間の問題だ。クラリッサ・ダルトン――そんな美貌と高貴さを持ち合わせた令嬢が、ある朝突然「ご臨終」と宣言されたのだから。
その知らせを聞いた私、セシリア・ローズウッドは思わず立ち尽くした。だって彼女、つい先日まで元気に舞踏会でステップを踏んでいたのだ。おまけに毒殺疑惑まで囁かれる始末。――ところが実情は、なんと自作自演で“死亡扱い”に仕立て上げたと極秘裡に判明したんだから、聞かなかったことにしたいくらい頭が痛い。
「まさかクラリッサさん、縁談をぶっ潰すために死んだフリとは。王道すぎてびっくりです」
と、文書管理官のヴィクトールが妙に楽しそうに言う。彼いわく、隣国リウダとの婚姻話を白紙に戻す目的があったらしい。さらにリウダでは「婚約者の死はわが国への侮辱だ」と騒ぎ立て、軍を動かすだの何だの。どうやら本音は関税の緩和が欲しいだけらしく、こっちも“いかにも外交”な騒動を巻き起こす寸前みたい。
「穏便に解決できればいいんですけどねえ。王太子様の看病で、私もあんまり手が空いてないんです」と私がぼやくと、宰相アレクシス・フォン・エバーハルトがまるで他人事のように口を挟む。
「お前の鼻はとびきり役に立つ。それに治療も政務も、同時進行でやれるのがお前の強みだろ?」
「その褒め方、ちっとも嬉しくないんですけど」
いやに爽やかな笑顔で言わないでほしい。でもまあ、彼の言う通り、私は役立たずではない。というか気づくと仕事が私のところに集まってくるのはなぜだろう。王宮薬師は暇じゃないってのに、頼る人がいないから仕方ないわよね――と自分に言い聞かせる。
一方、王太子エドワードは相変わらず体調が優れない。健気さを前面に出して「民のために戦争回避を…」と憂い顔で語るのだから、もう少し大事にしてあげなきゃという気にもなる。私が薬草の調合を急げば、彼はうわごとのようにクラリッサの死を悼み、「僕のせいで彼女は……」と落ち込みモードに突入。お人好しもほどほどにしてほしい。
そんな中、王の側妃イザベル・フォン・リューゲンは表向きこそ悲劇に同情しているが、裏では「リウダをギャフンと言わせる口実ゲット!」とばかりに強硬策をちらつかせてきた。宰相アレクシスは冷静沈着に「今は関税を下げるだけで十分」などと外交手段を模索し、両派閥が水面下で火花を散らしている。
さらにややこしいことに、最近は文官たちがバタバタ走り回っている光景が目に付く。「これってまた誰か裏で悪巧みしてる?」と身構える私へ、マリアンヌ・ルグランというイザベルの侍女がやけに丁寧に言ってきた。
「セシリアさま、どうかお気をつけを。余計な情報を嗅ぎ回ると火傷しますわよ?」
明らかに笑っていない笑み。何かを知っているか、あるいは噂をかき乱したいのか。どちらにしろ、侍女の忠告に素直に従うほど私もお人よしじゃない。
「では勝手に火傷させていただきます。救急セットも取り揃えているんでね」
と返したら、彼女は瞬間的に嫌な顔をした。ふふん、侍女とはいえ侮れない存在だが、私だって医術だけが取り柄じゃない。……と自分で言っておくと少し心強い。
さて、その最中に新たな報告が飛び込んできた。クラリッサが実はどこかで息を潜めている可能性が高い、とのこと。馬車で国境突破を図った形跡が消えたらしい。となると、本当に死んでないってことね。リウダとの縁談を断りたいばかりか、何かもっと“大きな目的”があるのかもしれない。
「伯爵家としては、娘の死亡扱いをいたずらに公にできないわ。面目丸つぶれですからね」
ヴィクトールが憂い顔でこぼす。彼も書類管理のプロだが、さすがに名門の醜聞を全力でかき集めるのは気が進まないだろう。
「だったら私たちが手早くホコリを掃除してあげればいいじゃない? いずれにしてもクラリッサが逃げ続けてくれるおかげで、リウダは余計に歯ぎしりしそうだし」
皮肉めかして言った私に、アレクシスが口調をひそめて答える。
「その歯ぎしりが、まさか王国全体の破滅になる……なんて展開は避けたいからこそ、こっちが先に動かなきゃならん」
「はいはい、じゃあ巻き込まれたついでに協力しましょうかね」
いまのところ、イザベルは強硬派としてリウダを脅そうとしているし、マリアンヌは画策をはじめたフシがあるしで、宮廷内は地味に戦闘態勢。私は医務室に引きこもっていたいけど、どうせ激流に飲まれるなら、せいぜいおいしいところをかっさらってやればいい。
実際、私がいるだけで物事がちょっぴりスムーズになる、という噂を最近チラッと耳にした。本人としてはピンと来ないが、アレクシス曰く「お前の処理能力は異常だ」とのこと。どこかでくしゃみが出そうになるのは気のせいだろうか。
そんなこんなで、クラリッサの真意が何なのか、私たちが突き止めなきゃいけない流れになった。死を偽装して逃げるほどの執念。単なる結婚拒否では終わらなそうで、背後にちらつく陰謀の匂いがいっそう強まっている。
「いいわ、やってやろうじゃない。くだらない婚姻話も、面倒な国境問題も、まとめてバッサリ解決してやる」
もちろん、その道のりは険しいだろう。でも私にとっては“こんなスリルめったにない”のも事実。大家の愛娘が王宮をゆるがすなんて、陰謀劇好きの心をくすぐるエンタメではないか。
ふと、王太子エドワードの顔が脳裏に浮かぶ。彼の穏やかな微笑みや病弱な姿を思い出すと、やはり放っておけない。彼にも気苦労をこれ以上背負わせたくはない。今できることを目いっぱいやるしかないわね。
それにアレクシスは私を頼り、イザベルは私を警戒し、マリアンヌは謎めいた笑みを携えている。そして文書管理官のヴィクトールは欠かさず情報を蓄えている。ああ、王宮という渦の中心。どこを切っても波乱しか出てこない。
でも大丈夫、私ならきっと乗り越えられる――あるいは、火傷しながらでもゴリ押しで進むか。何にせよクラリッサ、あなたには覚悟してもらいたい。今度は“本当の自作自演”を暴かれる瞬間が近づいているんだから。
こんな危険な舞台、退屈しないわ。さあ、幕が上がるのはこれから。死者が生きてるかもしれないなら、私もその謎を存分に解き明かしにいくとしよう。胸の奥がゾクゾクして仕方ない。次はどんな展開が待っているのか――むしろ、期待せずにはいられないのだから。




