9 明かされた秘密と宮廷の動揺
「では、吐いていただきましょうか。あなたがフィリップの研究書をどう扱っていたのかをね」
王宮の一室。私ことセシリア・ローズウッドは、宰相アレクシスと並んでテーブルを挟み、正面に座るマーク・バレスターを視線で追い詰める。
マークは砦で捕らえられた直後から一貫して硬い表情を崩さず、口を閉ざしていた。だが、アレクシスの目の前で強がり続けるのは無謀だとわかっているのか、その視線は宰相の鋭い眼光を避けるように泳ぎっぱなしだ。
「さあ、言っちゃえ。ここまで連行された時点で、もう後戻りできないし?」
私が柔らかく声をかけると、アレクシスがふっと鼻で笑う。よく見ると、彼は相手を威圧するというより“飲み込む”ような雰囲気を醸し出していた。
「……わ、私がやったのは、ただの仲介です。買い手が勝手に“奇跡の研究”を欲しがっただけで、俺は言われた通り動いただけなんだ!」
マークが叫ぶように言い訳をすると、私は皮肉を口にする。
「ほう、ただの仲介でここまで震えるなんて、ずいぶん謙虚な姿勢ね。で、その“奇跡”って“不老の秘薬”とやらを指すのかしら?」
ガタガタと椅子が音を立てる。マークは唇を噛みしめながら、しばし沈黙した。そして顔色を変えながら、とうとう白旗を上げる。
「や、やっていました……フィリップが猛毒を使った人体実験をまとめた第三巻。それを欲しがる連中がいて、俺はその取引を手伝ってただけなんだ! 密売で儲けた金の一部はフィリップ側にも流れたはずだ!」
彼の告白は思った以上に具体的だ。私は心の中で小さくガッツポーズ。これで疑惑が裏付けられた。
◇ ◇ ◇
「フィリップ本人は、まだ生きてるのかな?」
廊下へ出ると、私はアレクシスに小声で尋ねる。マークの話から推測するに、“不老の秘薬”という名目で実験を続けている可能性は高い。
「おそらくは。あの男ほどしぶとく泥水すすって生きてそうな奴もそうはいない。いやあ、そろそろ貴女を護衛する兵を増やさなくちゃな」
「面倒くさいわね。私がモテるのも逆に面倒なのに、追われるのまでもが増えるなんて、もう勘弁だわ」
私が肩を回しながら愚痴をこぼすと、アレクシスは人を小馬鹿にする口調で私をからかう。
「ハハ、恋愛相手にさえ冷淡な貴女が、殺気に囲まれたりしたらどうなるんだろうな。自慢の毒薬コレクションでも披露するか?」
「お望みとあらば、ほら、すぐ投与可能だけど?」
私はちらりとアレクシスを睨む。痛烈な視線に、彼は笑いをこらえきれなくなったようで、くつくつと喉を鳴らす。まったく、この男の神経を疑いたくなる瞬間だ。
◇ ◇ ◇
尋問の報告を受けて、ヴィクトール・クロフォードが呆然と古い文書を眺めている姿はなかなか見ものだった。穏やかな彼が珍しく焦りを露わにしている。
「ヴィクトール、そんなに硬直すると皺が増えるわよ?」
「すみません、セシリア殿……この文書に書かれている猛毒の配合比があまりに危険すぎます。フィリップは本当にこんな実験を? もし実行されていたのなら……」
彼の手元には、先代宮廷医師の弟子という肩書のフィリップがこっそり残したメモが写し取られた一部がある。どうやら、人間の免疫や体質を強制的に“変質”させるような研究だったらしい。
「危ういなんてもんじゃないわ。こんなもので人体をいじくり回したら、そのうち血が逆流して鼻から飛び出すかもね」
半ば信じられないような表情のヴィクトールへ、毒舌にしてもきつかったかしらと思いつつも、事実を優先して言葉を続ける。
「王宮はこれから騒がしくなる。イザベル妃あたりは絶対、このネタを使って面倒な政治工作を始めるでしょうから」
◇ ◇ ◇
予想通り、イザベル妃は早速動いたらしい。
彼女の侍女マリアンヌからは「王太子殿下のお身体を、何か“特別な毒”が蝕んでいるのではないか」といった不穏な噂が流されているとか。エドワード殿下には体内に毒への耐性がある、などという荒唐無稽な尾ひれがついて広まっていた。
「本当に馬鹿らしい……でも、殿下ご本人は真相を知りたがってるみたいだし、私が手伝わないと収集つかなくなるか」
私は迷いつつも、王太子の部屋へ向かう。ドアを開けるとベッドで身を起こしたエドワードが、やや息苦しそうに笑みを浮かべていた。
「セシリア殿……お願いがあります。もし僕の病や毒への耐性が本当なら、その理由を知りたいんです」
「疲れるわね、王太子殿下ってこういうとき最強のワガママカードを切れるんだもん」
唇をとがらせる私に、エドワードは申し訳なさそうに微笑む。殿下に悪意はないとわかっているだけに、断りづらい。
「信頼できるのは貴女だと聞きました。どうか、調べていただけませんか?」
「……わかったわ。いい薬屋を紹介しろって言われても、私が一番の薬師って自負してるし。やるなら徹底的に私が管理するわよ」
エドワードはほっとした様子で、静かに目を伏せた。多少コミカルに蹴散らせないやりとりもある。それが宮廷の難しいところだ。
◇ ◇ ◇
そんな中、アンナが描いた飛蝗の新たな絵が再び届けられた。それは以前にも増して禍々しい赤黒い群れを示している。次の年に襲来すると言われるイナゴの大規模発生が現実味を帯びて、私の心に警鐘を鳴らし始める。
「火事場のイナゴ騒ぎ、加えてフィリップの実験書類。どんだけハードル置く気なのかしら」
私が息をつくと、アレクシスが面白がるように目を細める。
「わざわざ大波を呼び寄せられるとは、さすが俺の有能な……薬師様、か」
「約束通り給料倍にしてくれるなら、少しはご機嫌を取ってあげてもいいわよ?」
「はいはい、検討だけはしてやろう」
その飄々としたやり取りに、思わず笑ってしまう。だけど、砦に潜むフィリップの影はますます濃く、第三巻の行方もわからないまま。いつ何が飛び出してくるか想像もつかない。
◇ ◇ ◇
夜が更ける。
マークの尋問結果、フィリップの毒研究の残滓、イザベル妃が暗躍させる噂話、そしてエドワード殿下の病の秘密——雑多な問題が、私の頭の中をぐるぐると回って止まらない。
「うーん、気が休まらない。一気に片付けてやりたいけど、次々と増えていくからキリがない」
冷たく澄んだ夜気を吸いながら、廊下の窓辺に寄りかかる。厚い壁に隠された王宮の裏側は、まるで暗闇の海。だけど、こんなときこそ私の薬師としての知恵と冷静さが必要になる。せめて自分で自分を鼓舞するしかない。
「まあいいわ。全部まとめて面倒事に浸ってみるか。飽きるほどに踊らされてやる。そのうち向こうが嫌になって逃げ出すかもね」
そう呟いた瞬間、背後で控えていたアレクシスがくすぐったげに声を出す。
「逃げるのは、むしろ俺たちのほうじゃないのか? 貴女が食いついた問題はどれも根が深い。だが——」
「だが、何よ?」
「あまりに危険な真相を暴いたら、俺も貴女も無事では済まないだろうな」
「…………」
ゾクリと背筋を走る寒気とともに、次の瞬間には妙な興奮がこみあげる。好奇心と恐怖とが入り混じった、あのぞくぞくする感じ。
「望むところよ。面倒なくらいがちょうどいい。それに、危険はむしろドキドキを倍増させてくれるし?」
私がわざと色気を交えた口調で嘯くと、アレクシスは吹き出しそうになるのを必死で堪えて、喉を鳴らす。
「……やれやれ。さすがは毒見役兼・宮廷薬師。胃の強さも、精神のタフさも並じゃないな」
続けて彼が何を言おうとしたのかは聞かなかった。或いは危険を楽しむ私の短絡、あるいは可愛げのない言動への皮肉。それでも、何とでも言えばいい。怖いと思うのも本当、でも知りたいのも事実。私がやれるのは、とことん突き進むことだけ。
赤と黒が融け合う飛蝗の群れの予感、不穏に渦巻く“不老の秘薬”の伝説、そして王太子が潜む闇……次に何が起こるかはわからない。
けれど私、セシリア・ローズウッドは、もう逃げるつもりなんて毛頭ないのだ。
さあ、嵐の中心まで踏み込む準備はできている。
次はどんな毒が飛び出してくるのか、どんな陰謀が牙をむくのか。
私の心臓は今や、怖いよりも期待で高鳴っている。