王宮大晩餐会と異国の聖女の秘密1
午前中からあちこちを走り回り、セシリアは既に頭がくらくらしていた。王宮史上でも屈指の大晩餐会とやらを開くため、普段の三倍はありそうな量の薬草がどっさり搬入されているのだ。しかも「聖女様の儀式だから絶対に!」と念を押され、彼女は内心「そんな超常現象、私の手には負えませんけど?」と毒づきたい気分――だが、雇われの身なので黙って薬を仕分けるしかない。
「おまけに王太子殿下の体調管理まで一手に担うって、セシリアったらタフよねぇ」
薬棚を押さえに来てくれた侍女のひとりが、まるで感心しているような口調で囁く。セシリアはそれに対し、「タフじゃなくて仕方なくよ」と小さく溜息をついた。自覚はないが、周囲からは“できる薬師”として容赦なく仕事を振られているのは事実。忙殺される毎日に、彼女はときどき昆虫がごとく潰れそうになる。
とはいえ、今回ばかりは念入りな防備が必要だ。王太子エドワードがこの晩餐会に出席する。病弱な彼が倒れでもしたら大騒ぎどころじゃ済まない。セシリアは「絶対に守らなきゃ後が怖い」と、いつもの冷めた目をさらに細めつつ作業を続ける。
そこへ現れたのが宰相アレクシスだ。相変わらず端正な顔をしかめて、近寄りがたい雰囲気を醸している。セシリアを見つけるなり、低い声を投げた。
「感心するね。普段より大掛かりな式典に、何か裏があると思わないか?」
これは彼なりの警戒宣言らしい。セシリアはうんざり顔をしながらも、密かに同意していた。いつも以上にイザベルやマリアンヌが張り切っているところを見ると、どんな陰謀が仕込まれているやら。陰謀劇が大好物の宮廷人たちが、王太子出席の宴を利用しないはずがない。
「わかったわ。嵐の予感には慣れっこだけど、備えあれば憂いなしってね」
皮肉を込めてセシリアが口にすると、アレクシスは口角をわずかに上げ、切れ長の瞳を細めた。彼からの“次もやってくれたまえ”という無言の圧力は、セシリアの胃にじわりと重い。
一方で、その“聖女”ミレーナなる客人が到着して以来、王宮の雰囲気は妙に浮ついている。大量の白い薬草やら煌びやかな衣装やら、目立つ飾りが廊下を占拠。病弱なエドワードも、ドレスのような服を纏った聖女の姿に純粋な関心を示しているらしい。
「王太子さまがミレーナ様にうっとりしてるって! 何しろ儀式の衣装が本当に神々しくて、見てるだけで天へ昇るみたいだとか」
その噂話を笑顔で報告してきた侍女を見やり、セシリアは複雑な気分になる。まるで華麗な見世物を愛でる観客と扱われている王太子が、ふと哀れに思えたからだ。だが、彼女自身は毒対策の仕事に追われている身。王太子のメンタルより胃腸を守るほうが急務だろう。
そうこうしているうちに、イザベルとマリアンヌが会場の下見にやって来る。いつもの扇子を優雅にはためかせたイザベルが、セシリアを見て微笑んだ。
「あなたが噂の有能薬師ね。準備は捗っている? おほほ、私たちも抜かりなく整えているわ。ねえ、マリアンヌ?」
隣のマリアンヌは相変わらず控えめな表情で会釈をする。だがセシリアは、その奥底に隠された猛獣がこちらを値踏みしているのを感じた。彼女が真顔で言葉を並べるときの怖さは、経験上十分承知しているのだ。
「お力になれれば幸いですわ。晩餐会では、“絶対に事故などない”よう願っておりますので」
やんわりした言い回しだが、“少しでも怪しい動きをすれば噛みつく”という警告にも聞こえる。セシリアは「はいはい、どうぞお好きに見張って」と肩をすくめた。
一触即発ムードが漂いつつも、華麗な宴の準備は着々と進んでいく。宰相アレクシスが示した「何か裏がありそう」という疑念は、晩餐会当日へ近づくにつれ増幅するばかり。セシリア自身も、ミレーナが使うという薬草の調合方法が少々気になっていた。成分の一部に万病に効くとされる驚異的な効果が含まれているのだが、同時に毒にも転じかねない危険性をはらんでいる。
「神聖な儀式だからって、そこまでリスキーなものを振りまくなんて」と毒づくセシリアを見かねて、アレクシスが助言をくれる。
「大丈夫さ、君になら防げるだろう。もっとも、聖女が何を狙っているかは別問題だがね」
どこか挑発じみた言葉に、セシリアは「本当にあんたは口が悪い」と眉をひそめる。彼の全幅の信頼が押しつけられるたび、嬉しいというより胃が重いのだから困ったものだ。
ついに宴の当日が迫る。広間には花のような衣装をまとった貴婦人たちが集い、一斉にこぼれる笑顔の裏で、あちこちに潜む野心が蠢く。奥の席では王太子が緊張気味にソファに腰掛け、ミレーナをそっと迎える準備を整えている。
セシリアは最後の毒見用試薬をチェックしながら、あらためて深呼吸。誰かが大冷や汗をかく結末になりそうだが、どんな策略だって見破ってみせる――彼女の鋭い眼差しには、一切の曇りがない。
そうして重厚な扉が開かれ、きらびやかな大晩餐会の幕は今、ゆっくりと上がった。笑い声と乾杯がこだまするその奥、自分でも気づかないほど多くの人々が、セシリアを頼りにし始めていた。彼女はまだ無自覚だが、その存在が王宮の運命を大きく揺るがすことになるだろう。
嵐に満ちた祝宴の始まり――これからが本番だ。彼女たちの策略と想いが交錯する一夜が、静かに、しかし確実に王宮を飲み込もうとしていた。




