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8 砦を巡る密取引と迫る不穏

「もう一度、アンナの描いたイナゴの絵を見せてくれない?」

私がそう言うと、アレクシスは呆れた顔で帳面を差し出した。黒っぽいイナゴと赤っぽいイナゴ、まるで血のコントラストを纏っているかのように並ぶその絵は、見れば見るほど不安を煽る。

「やっぱり、ただのイナゴじゃなさそうね。こんな鮮やかな赤い奴、普通なら開発中の毒の実験場でも見ないわ」

私がこめかみを押さえると、アレクシスは口端をつり上げる。

「君が言うと妙に説得力がある。まあ、有能薬師の言葉は重いね」

「誰が“有能”ですって? 給料上げてくれるならあと十回くらい褒めてもいいわよ」

「はいはい、検討はするさ。で、イザベル妃がまた噂を広めている。『砦に残っていた書物が横流しされている』とかね。しかも“不死の研究”だとか……」

「不死とか不老とか、ほんと馬鹿馬鹿しいけど。もしその研究が本当にヤバい代物なら、笑い事じゃ済まないわ」


    ◇ ◇ ◇


砦の管理官マーク・バレスターがこっそり動き週に何度か行き先を誤魔化している——そんな証言をアレクシスが集めてきた。そこにフィリップという元王宮医師の弟子が絡んでいるかもしれない。眉間に皺を寄せながら、私は頭の中で事実を整理する。

「マークがフィリップの研究書を売りさばいている可能性は十分ある。あの第三巻には“不老の秘薬”なんて妄想じみた記述があったらしいから、金に困る輩なら飛びつくかも。ま、そっちに首突っ込むのは死人への片道切符だけど」

「死人の世界に行きたくないなら、関わらなきゃいいだろう?」とアレクシスが皮肉るので、私は肩をすくめた。

「そうね。でも、私は王宮薬師。危なっかしい毒の情報が横行するのを見過ごせないの。暇つぶしにちょうどいいし」

「はいはい、好きに動け。ただし俺にも情報は回せよ。いつだって貴女の尻拭いは勘弁だからな」


    ◇ ◇ ◇


夕刻、王宮の廊下を歩いていると、ふと脇から侍女マリアンヌの笑い声が聞こえた。彼女はイザベル妃の側近で、いろいろ情報操作をやっているらしい。気取った振る舞いで通り過ぎるマリアンヌは、こちらに軽く目線を向けて嘆息をつく。

「セシリア様、また殿方を翻弄してらっしゃるとか。羨ましい限り…」

「翻弄? むしろ避けてるんだけど。そっちこそ、イザベル妃の翻弄劇にうんざりしない?」

マリアンヌはにこやかに微笑みながら去っていったが、その背中は小鳥が影を落とすような不気味さをはらんでいた。彼女が何を狙っているか知りたいけれど、下手に近づいて餌食になるのも御免被る。


    ◇ ◇ ◇


夜になってから、私は寝る前のちょっとした趣味として薬草の分析を始める。例の温室から持ち帰った珍しい草を煎じてみたが、どうも蝗害対策に使えるような劇的な効果は見当たらない。むしろ匂いが怪しげで、このまま肌に塗ると刺激が強すぎて、熱い夜の扉でも開いちゃいそうだ。

「こんな媚薬のような香り、どこで需要があるのやら…変な勘違いされる寸前だわ」

呟いたところで、急に扉がノックされる。まさか宰相がこんな夜更けに?と思ったが、訪ねてきたのはヴィクトール・クロフォード였다。文書管理官の彼はひどく焦った表情で、息も荒い。

「セシリア殿、先ほど旧砦に保管されていた一部の記録が完全に紛失していると報告が上がりました。あれは確か、フィリップの研究の断片…」

「やっぱりか。管理がずさんじゃない?」

「すみません……ですが、どうやらマーク・バレスターの名が裏帳簿に記されています。彼が研究資料を動かしていた可能性が極めて高い」

「やるわね、マーク。じゃあ次は、あの男を尾行して口を割らせる手段を考えないと」


    ◇ ◇ ◇


翌朝。私はアレクシスとこっそり砦に飛ぶ準備を整えていた。普通なら隊を組んで押しかけるところだけど、噂が立てば相手に逃げられる。だから少人数で行くしかない。

「イザベル妃にバレると厄介そうだし、マリアンヌに付け回されるのも御免だし」

私が支度を済ませると、宰相は皮肉な笑顔を浮かべる。

「なに、俺がいれば大抵の問題は抑えられる。君は安心して“危険な真実”を暴くといい」

「その言い方、含みがありすぎて怖いわよ……ま、任せといて」


    ◇ ◇ ◇


砦へ行く道中、私は甘い菓子を囓りながら馬車に揺られていた。甘党の私はこうでもしないと脳が回らない。アレクシスは向かいで地図を睨みながら、まるで私を観察するようにシニカルな笑みを浮かべている。

「こんなに強気なのに、実はモテが面倒なんだろ? 恋愛のどこが嫌なんだ?」

「単純に疲れる。愛だの媚だの求められて、いつ寝込むかわからない毒見役としては割に合わないの」

「ふーん…そう言いつつ、君が夜に頬を赤らめているのを目撃すると色々と妄想が膨らむがね」

「その妄想を猛烈に粉砕する毒薬を今度プレゼントしようか?」

私がわざと煽ると、彼は肩を震わせて笑った。まったく、このやり取りだけでも脳内カロリーを消耗する。


    ◇ ◇ ◇


砦に着くと、案の定マーク・バレスターは私たちの到着に色を失った。彼は書類の山をごそごそ抱え、やけに落ち着きをなくしている。

「セシリア・ローズウッド殿、宰相閣下。いかなる要件で…」

言葉を濁すマークに対し、アレクシスはさっさと本題を切り出す。

「砦に保管されていた文書の紛失が報告された。君が関わっていると聞いているが?」

「そ、そんなはずが…!」

明らかに動揺しきっている彼を見て、私は薄く笑う。

「じゃあ、あなたの部屋の棚や机、すべて見せてもらうわね。拒否権はないですよ?」


    ◇ ◇ ◇


あれよあれよという間に発見された怪しげな帳簿、書物の切れ端にフィリップの署名。マークは必死に言い逃れしようとしたが、私が鋭い質問を畳みかけると面白いように白状した。

「フィリップが“不老の秘薬”を作ったと偽って、研究書を高値で買う人々を釣っていた。俺はただの仲介役で…!」

「キナ臭い連中を釣る餌としては最高ね。おまけにあの第三巻が見つかれば、さらに高値がつくでしょう。で、その在り処は?」

「し、知らない! 俺はページの一部しか預かっていない! 残りはフィリップ本人が持っているんだ!」

その瞬間、アレクシスと私は目を交わす。“やっぱり来たか”…とでも言うかのように。フィリップがまだ生きていて、旧砦周辺で暗躍している可能性が濃厚になったのだ。


    ◇ ◇ ◇


マークを王宮へ護送する手配を済ませると、私は大きく息をついた。これから先、砦に隠された真実やフィリップの不気味な研究とやらに一歩近づく展開が待っている。イザベル妃やマリアンヌがどんな駆け引きを仕掛けてくるのか、燃えるようなワクワクと胃痛が同居してたまらない。

アレクシスは私の横に立ち、低く囁く。

「フィリップが未だ生きているのなら、次はその男を追わねばならないな。君こそ、往診のつもりで行くのか?」

「いただけるなら危険手当も欲しいけど。ま、ここまで来たら最後までやるわよ。私の胃の強度、なめないで」


こうして私たちはさらなる闇の奥深くへ足を踏み入れる。黒と赤が絡み合う飛蝗の不穏、そして“不老の秘薬”——想像するだけで背筋が寒い。けれど、その寒気こそがやる気を駆り立てる。

「さあ、もっと面倒な事態になれ。飢饉も陰謀も、全部まとめて笑い飛ばしてやるんだから」


そう思わず呟いた私に、アレクシスがくすりと笑うのがわかった。彼は何を考えているのやら——ううん、考えるだけ時間の無駄だ。面倒くさい男も、危険な陰謀も、誤解も、まとめてさっさと解体してみせよう。私にできることは限られているけれど、それをやるだけの話だ。

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