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白の巡礼者と冬の庭宴1

冬の朝の冷たい空気が、王宮の回廊をまっすぐに抜けていく。私は薄手のマントをぎゅっと巻きつけながら、医療室から離宮へと足を急がせるところだ。


 


……こんなに忙しい朝が何日続いているのか、正直もう把握できない。王太子エドワード殿下の診察は一応の落ち着きを見せてはいるものの、時折微妙な発熱や咳き込みが出て、なかなか安心させてくれない。薬を出しては容体を観察し、再調合を考え、さらに周辺の「誰かさん」が毒を仕込まないかまで警戒する。薬師の仕事って、ここまで雑多だったかしら?


 


そんな私に追い打ちをかけるように、宰相アレクシスのもとに新任侍女が配属されたという噂が飛び込んできた。その侍女、ジュリエットとか言ったかしら。男性にほとんど興味がないという理由で宰相付きを命じられたらしい。王宮の上層部の考えはいつもながら謎だけど、アレクシスのところに潜り込む新人となると嫌でも目立つ。ごく普通の庶民出身という話だけれど……ほら、何か仕組まれているんじゃないの? そう思わずにいられない。


 


「セシリア様、お早うございます。今朝はかなり寒いですね」


 


不意に声をかけられ、振り向くとヴィクトールが微笑んでいた。文書管理官の彼は、外見からどう見ても温和な人なのに、時折とんでもない爆弾発言をするから油断ならない。いや、どこかでこの人も私に負けず劣らず面倒事に巻き込まれがちなのだろうとは察している。気苦労が多い者同士、妙な仲間意識を感じてしまう。


 


「どうやら、砂地帯から来た‘白の巡礼者’という方たちが、離宮に滞在することになりました。噂では、長旅のせいか体が弱っているとか。それで、医療室でも近々検査をするよう求められるかもしれません」


 


「へえ、その巡礼者様とやら、本当に病気なのかしら」


 


「さあ、表向きは病の療養とのことですが、彼らの渡航記録を確認すると奇妙な空白がありましてね。備忘録の一部が抜け落ちているようなんです。私としては気味が悪いと感じています。……もっとも、それを大っぴらに言えないのが宮廷の難しいところですが」


 


ヴィクトールがさらに小声で付け加える。「こういうときこそ、セシリア様の真価が問われるのでは?」と。真価なんて大それたものではないと思うけれど、毒や治療をめぐる話となると周囲は期待と疑いを同時に向けてくるから厄介だ。そっと首を振り、


 


「また私に厄介ごとを押しつける気でしょう? はいはい、やるならとことん調べますとも。どうせなら真っ黒に炙り出して差し上げますわよ」


 


と、いつもの毒舌を添えて応じてやった。でもヴィクトールは困ったように笑うだけ。今の彼の瞳には、私の言葉よりもむしろ“白の巡礼者”の存在が気がかりに映っているようだ。


 


さて、そんな噂を頭に留めつつ、私はエドワード殿下の部屋へ急ぐ。冬の庭宴を間近に控えた王宮では、行事の準備が進む中で殿下の状態がどうなるかが最重要課題らしい。さらに、宰相アレクシスによると「“偽侍女薬”などという怪しげな薬の噂もあるから、今後も常に目を光らせろ」と釘を刺された。どうやら成分によっては、外見上の性別や特徴を誤魔化せるとか。まったく、冗談であってほしいにもほどがある。


 


「セシリア様、そちらは今お忙しいですか?」


 


うんざりしているところに、今度はマリアンヌが話しかけてきた。イザベルの忠実な侍女である彼女は、妙に影が薄いようでいて、一挙一動がどうにも意味深い。


 


「冬の庭宴の準備について確認がありまして。イザベル様が、殿下のお見舞いの席で‘特別な香薬の披露’を考えておられるのです。もし殿下の体調が許すならば、少しばかり薬学のトークを盛り上げてほしいとか」


 


「へえ、特別な香薬。いったいどんなのかしら。あの方はいつも“特別”だの“驚きを与える”だの、好き放題言いますからね」


 


マリアンヌは苦笑しつつも目が笑っていない。おそらくイザベルが景気づけの名目で企んでいる何かがあるのだろう。断るわけにもいかないから、ここはほどほどに協力しておくしかない。それに、何かと怪しい薬の取引が噂されている今、イザベルの動きは見逃せない。どのみち、私も張り切って毒見役を務めることになるのがオチだ。はあ、胃に穴でも開きそうだけど、こういうときこそ私の腕の見せどころ……らしい。


 


廊下を曲がると、奥の扉の前でジュリエットが焦った様子で立ちすくんでいた。例の新任侍女だ。「どうしたの?」と声をかけると、彼女はさっと顔を赤くして、


 


「えっと、宰相閣下にお茶をお持ちしようとしたら、なぜか皆さんがニヤニヤ笑うんです。私、どこかおかしいでしょうか?」


 


「気にする必要ないわよ。それだけアレクシスの周辺に関わること自体、珍しいってこと。あなたが男性に興味薄めと聞いて、面白がっているのかもね。……王宮なんて、半分は噂話で回ってるようなものだから」


 


励ましているのか、嘲っているのか微妙な言い方をしてしまったけれど、ジュリエットはホッとした顔になる。慣れない環境で戸惑うのもわかるけど、そこが庶民出身らしい素直さで、ちょっと可愛いじゃない。アレクシスが「使い勝手のいい新人」と思っているかは別として、むしろ警戒する連中が多いだろうなと私は内心で思う。彼女が“偽侍女薬”に関係している可能性だって、ゼロじゃない。


 


そんなことを考えつつ、ようやくエドワード殿下の部屋へ。扉を開けると、殿下はやや顔色が青白いまま緩やかに椅子にもたれていた。これからの庭宴の話を聞くと、少しばかり不安げに「冬の寒さは毒に悪影響を及ぼさないか」と問いかけてくる。その瞳には、幼い頃からの病苦に対する恐怖がまだ色濃く残っているのだろう。私はできる限り穏やかな声で、


 


「ご安心を。寒風よりも、むしろ怪しい薬や人間の悪意のほうがよほど体に毒です。私が何とか対処しますから、とにかく今はゆっくり休息を取ってくださいね」


 


語尾を強めに言うと、殿下はわずかに頬を緩めた。心細さの中で、たったそれだけの励ましが必要なのだと思うと、私の心も少しだけ締めつけられる。


 


すると、そこにアレクシスが姿を現す。いつもながら張り詰めた空気をまとっていて、声をかけるのも一瞬ためらわれるほど。でもその切れ長の瞳が私をとらえ、「おまえ、午後には離宮に行くんだろう? 例の巡礼者の診断を一目しておけ」とあっさり指示を出す。


 


「はいはい、わかってますよ。どうせ私の見立てを当てにしてるんでしょう? 優秀な宰相様がそこまで言うんだから、しっかり診てきます。ああ忙しい、体がいくつあっても足りないわ」


 


「口だけは達者だな。本当に倒れたら、僕が報告書を書く羽目になるからやめてくれ」


 


毒のある掛け合いを見たエドワード殿下は、ついくすりと笑みをこぼしていた。やはりこういうやり取りを聞くと、なんだか気が抜けるのかもしれない。少し顔色が明るくなったようで、私もひそかに安堵する。この何気ない一瞬さえ、王太子にとっては貴重な休息時間なのだろう。


 


さて、冬の庭宴が迫る中、王宮では静かなせめぎ合いが続いている。巡礼者が何をもたらすのか、イザベルが狙う新たな策略は何か、そして噂される“偽侍女薬”は本当に存在するのか。どれも気になるし、全員がどこかでつながっていそうな怪しさだ。私が手を止めたら、あっという間に闇へ落ちこむ気がする。


 


とはいえ、怯んでいる暇はない。謎めいた薬や書類の空白に、もしかしたら“次の毒”が潜んでいるかもしれないのだから。ならば私が突っ込んでやるしかない。「どうせ利用するなら、徹底的にね」――この考え方、少しだけアレクシスに似てきたかもしれない。我ながら毒舌も日増しに磨かれているし、あの男と張り合うにはちょうどいい。


 


そうやって決意を固めた矢先、控え室のほうからジュリエットが転がるようにやってきた。どうやら誰かに呼び止められたらしく、額に汗をにじませている。彼女を見ていると、王宮って本当に不思議な場所だと思う。就く職を間違えると大変だけど、それでも頑張る人がいるから回っている。たとえ“偽侍女薬”なんてとんでもないものが暗躍していたとしても、結局は人が動く。その人間の想いをきちんと見極めたい。そう感じるのは、私の薬師という仕事柄だろうか。


 


どこを切っても気配が怪しい宮廷で、真っ直ぐに頑張る子は応援したくなる。かといって、こちらも甘い顔ばかりはできない。毒と薬は紙一重だと痛感しているからこそ、慎重に、しかし大胆に臨むしかないのだ。


 


エドワード殿下を休ませたあと、私は息つく間もなく離宮へと向かう。玄関先には噂の白髪の巡礼者が、あたかも冬風に痛めつけられたような表情で佇んでいるらしい。どんな診断が待ち受けているのか、どんな思惑を秘めているのか。ワクワクするやら怖いやらで、胸の鼓動が小さく速くなっていく。


 


「さあ、行きましょうか。これがただの巡礼ならいいんだけど……万が一、変な薬を持ち込んでるなら、私がみっちり暴いてやるわ」


 


呟いたその声は、冷えた空気に溶けて誰の耳にも届かない。それでも私の決意はもう固まっている。冬の庭宴が始まるまでに、なるべく多くの疑惑に決着をつけておかないと――この物騒な宮廷で、誰もが無事でいられる保証はないのだから。さあ、嵐の真っ只中へ突入する準備はできている。それならせいぜい楽しませてもらおうじゃないか。毒も、陰謀も、踊る相手はこちらから迎え討つのみ。次の瞬間、私の胸は高鳴りと同時に静かな闘志で満たされていた。

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