祝祭に湧く王都と迷い子の謎2
マリアンヌと目線を交わし合ったまま、私はそこで立ち止まるのも嫌だったので、軽く睨み返してみせた。すると彼女は肩をすくめて踵を返す。その背中が「あなたの動きは全部把握しているわよ」と言わんばかりに揺れるから不快極まりない。だけどここで胸を張って歩かないと、私の内心が丸見えになってしまう。それだけは御免被りたい。
曲がり角を抜けると、ちょうど宰相アレクシスが待ち構えていた。手元の紙束を指でトントンと揃えながら、険しい顔で私を見やる。
「さっきマリアンヌとお得意の“目力対決”でも?」
なんという皮肉な切り口。私がうんざりと眉をひそめると、彼は唇の端をわずかに上げて、肩を軽く叩いてくる。
「気が立つのはわかるが、せいぜい程々にな。お前が暴走しても困るのはこっちだ。……報告がある。豊穣祭の準備が思った以上にバタバタしているのと、海外からの使者が明日夕方には入宮するそうだ。ソリーナと名乗る客人について、何か気になる資料があったらヴィクトールから説明を受けろ」
彼はまるでドラマの脚本を読みあげるように、次々と用件を並べる。やることが山積みだとわかっていても、容赦なく詰め込んでくるあたり、本当に仕事の鬼なのかもしれない。私は盛大にため息をついた。
「宰相閣下、この浮き足立った王宮で、私にそれを全部やれ、と……? 毒見役も捜査も海外客の接待まで?」
「お前を除いて誰がやる。というか、他にいたらぜひ紹介してくれ」
一見冷たい言葉のようだけど、その口ぶりにどこか信頼にも似た響きがあるから困る。私に自覚はないものの、「何でも丸投げしたいほど頼られている」という皮肉をひしひしと感じてしまう。仕方ない。ここは潔く受け入れるしかないのだろう。
「はいはい、かしこまりました。過労の果てに倒れても知らないですよ」
「その時は俺が醫院へ担ぎ込む。ま、それでも構わないだろう?」
そんな冗談めかした物言いをされると、どう返せばいいのか悩む。アレクシスはいつも超然とした雰囲気のくせに、不意打ちでこういう茶化しをしてくるのだから、まったく始末に負えない。
仕方なく踵を返して歩き出すと、廊下の隅で文書管理官のヴィクトールが淡々と立っていた。ほとんど背景と同化しそうなほど静かな人だけど、その眼差しは鷹のように鋭い。
「セシリア様、お時間をいただけますか。毒茶の件、いくつか記録を漁りまして……海外由来の薬草が混ざっている可能性が濃厚かと」
「ほう。具体的には?」
ヴィクトールは音もなく近づき、紙束を差し出してくる。そこには異国の文字らしいメモが挟まっていて、一見すると暗号か呪文めいて見える。どうやら王立図書館にはない文献の一部らしく、これを解読できるのは限られた人間だけだとか。
「イザベル様の侍女マリアンヌが、これと酷似した紋様の書かれた古文献を探していたとの噂も耳にしています。もっとも彼女が毒の調合に手を染めたかは断定できませんが、奇妙な動きがあるのは確かです」
「そうでしょうね。いずれにせよ、微量の毒を仕込むような手練れが関わっていそう」
私は紙束の内容をざっと確認し、ページ端に書かれた異国語を指先でなぞる。横目でヴィクトールを見やれば、彼は私が難解な情報を素早く読み解いている様子を、ちょっと感心したような顔で見つめている。
「セシリア様、本当に頼りになりますね。医術のみならず解読の素質まであるとは」
その言葉に私は首をかしげる。いえいえ、別にすごいわけじゃない。ただ、薬草名や毒物の各言語表記を暗記する癖がついただけ。それを有能と呼ぶほど世の中甘くないと思うのだけれど、周囲からは当たり前に「セシリアなら何とかしてくれる」と言われ続けてるのが現状だ。図らずも今の私の肩には余分な期待が山積みになりつつある。
その場で軽く議論を交わしていると、廊下の奥から華やかな歓声が上がった。どうやら祝い事の準備を仕切っているイザベル様が、部下たちを引き連れ通りかかったらしい。通り過ぎる際に、彼女の軽やかなドレスの裾が床をなぎ払う。その豪奢な空気と相反するように、毒の暗号が書かれた紙束を抱えている私たち。なんとも皮肉な対比だ。
イザベル様は私に視線を投げかけると、妖艶な笑みを浮かべて言い放った。
「あらセシリアさん、そろそろつめ切りに行ったら? そんな鋭い爪で引っかかれたら私、泣いてしまうわ」
「私にそんな余裕あるように見えますか? 残念ながら祭りの裏方仕事で手一杯です」
「うふふ、それは頼もしい。せいぜい、素晴らしい豊穣祭にしてちょうだいね」
そう言い残すと、彼女は自信に満ちた表情で廊下を進んでいく。ああ、もう何考えてるかわからない人トップランカー、堂々の第一位だ。
ヴィクトールはどこか緊張気味に背筋を伸ばす。
「イザベル様もお祭りを盛り上げようと必死なのでしょうが……やはり、裏で手を回している気がしてなりませんね」
「ええ、激しく同意。あの方なら“毒茶騒ぎすらも祭りの余興に変えてしまう”なんて真似をしかねない」
そう呟くと、突如背後から乾いた咳が聞こえた。見ると王太子エドワード様が侍従の支えを借りながら姿を見せた。少し顔色が悪いが、本人は凛とした態度を崩さない。
「セシリア、アレクシスから話は聞いた。例の毒茶の件も、豊穣祭の準備も……大変だな。体は大丈夫か?」
「殿下にご心配いただくのはこちらのほうが申し訳ないです。お加減はいかがですか?」
エドワード様の目は不安げに揺れている。若いのに病や陰謀に巻き込まれっぱなしで、本当に気の毒だ。私はかすかな動悸を感じながら、彼の額に手をあてて体温をうかがう。
「……熱はあまりなさそうですね。安心しました。薬膳の効果が出ているかもしれません」
「そうか。セシリアのおかげだな」
彼のまっすぐな言葉を受けると、少し胸が痛む。周囲は皆、私の専門知識に期待してくれるが、当の私は解決策を模索するばかり。そもそも“誰がどこで毒を仕込んだのか”さっぱり核心がつかめないままなのだ。強気に見えて自信がない。この感覚、本当に嫌だ。
そんな落ち込みの気配を読んだのか、ヴィクトールは控えめに声をかける。
「そういえばセシリア様、明日には海外賓客ソリーナが到着するとのこと。彼女の付き人ナディアが薬学関係の品を持ち込み、珍しい薬草を献上する可能性があるそうです。毒見役としては見逃せませんね」
「異国の薬草、ですか……何か重要なヒントがあるのかも」
急に視界が開けた気がして、私はグッと拳を握りしめる。今までは王宮内部の疑惑だけで手一杯だったが、もし海外からの薬草が絡むなら、ソリーナ一行が何らかの鍵を握っているかもしれない。毒混入の真相を暴く手掛かりが、あちらからやって来る可能性だってある。
祭りの準備に浮かれる人々と、裏で密やかに動くイザベル陣営。そこに海外の客人という新たな風が吹き込めば、事態はますます混迷を極めるのは間違いない。……なんだかんだ、怖い半面、心がざわざわと高揚している自分がいる。危機や問題が増幅していくほど燃えるタイプだって、アレクシスに言われたら否定できないかも。
「よし、誰かがどんな手を使おうと、私たちには対抗策があるはず。王太子殿下を守り抜きますよ。だって――」
そこまで言いかけたところで脳裏にマリアンヌの揶揄するような笑みがよぎる。彼女は今頃イザベル様のもとで何を企んでいるのか。はたまた独自に毒の出所を探っているのか。考えれば考えるほど、連日の徹夜が祟った頭がグラグラしてくる。でも弱音を吐く隙なんてない。
「ああ、そうだ、セシリア」
アレクシスの低い声が背後から届く。いつの間に現れたのか、書類を脇に抱えたまま、彼は私をじっと見下ろしていた。その瞳には、さっきまでの皮肉っぽい色よりも、わずかな不安が滲んでいる。
「ナディアとやらが持ち込む薬瓶は、誰にも触れさせるな。まずはお前がチェックするんだ」
「了解しました。でも……私一人でそこまで手が届きますかね?」
私が苦笑すると、アレクシスは「大丈夫さ」と小声で囁き、少しだけ表情を緩めた。まるで「何だかんだでお前はやれるやつだろう?」と暗に言われているようで、正直むず痒い。
エドワード様もヴィクトールも、そして皮肉屋のアレクシスまでが信じてくれているなら、もうやらないわけにはいかない。毒の謎解きと祭礼準備の同時進行……まさに倍プッシュの修羅場が待ち受けているけれど、私はせっかくの“有能薬師”扱いを無駄にしたくはない。あくまでも、王太子のため、王宮を守るため――その一心だ。決して“すごい”なんて言葉に踊らされているわけではない。
「いいでしょ、上等。毒でも毒舌でもなんでもかかってきて。海外の方々だろうがイザベル様だろうが、全部丸ごとケチらしてやります」
自分で言いながら、ちょっと言い過ぎたかと反省しかける。でもこの際、やる気だけは全面に出しておかないと、陰謀の波に飲まれる。まだ祭りは始まっていないのに、王宮は既に不吉な熱気で満ちている。何が待ち受けようとも、一瞬で白旗を上げるような私ではない。そう、ここからが本番だ。
こうして私は、新たな疑惑を握りしめて明日の豊穣祭準備に向け奔走する。隠された毒の真実を求め、人々の笑い声とざわめきが入り乱れる王宮の廊下を、少々強引にでも突き進むことを決意した。いっそ華麗に立ち回って、イザベル様に「ざまぁ!」くらい言わせてみるのも悪くないかもしれない、と密かに胸の奥で思いながら。毒と祭り、そして訪れる異国の客人。全てが交わるその時に、どんな真実が待ち受けているのか――私は自分でも驚くほど高揚する気持ちを抑えきれず、思わず唇をかみしめていた。




