白き娘の噂と新たな任務3
医療区画の薄暗い廊下を、今日も容赦なく時間が流れていく。わたしは黙々と薬材や書類を仕分けながら、ちらほら聞こえてくる“白き娘”の噂に背筋がうずくのを感じていた。昨日あたりから、ただの怪談ごときが急に現実味を帯びて話されるようになったのだ。いや、怪談は怪談でしかないはず。なのに、やたら声のボリュームが大きくなり、そこに違和感しか覚えない。
「セシリア様、今朝届いたお菓子です」
そう言って、いつもより顔色の悪い給仕係が手渡してくれた箱のフタを開けてみれば、ふわりと甘い香りが広がる。だが、その奥で輝くのはまたしても紙片。しかも先日と同じように“蒼き扉”なるフレーズがちらつくではないか。
「もう、匙加減もほどほどにしてくれないかしら」
思わず苦笑するも、胸の奥に妙なざわめきが芽生える。わたしを何かへ誘導したい? それとも、わたしが動くのを待っている誰かがいる?
渡り廊下を進むと、ちょうどエドワード殿下の部屋の扉が閉まるところだった。先日よりひどい症状ではないが、小康状態というには不安の影が拭えない。侍医たちの態度も一向に改善しないし、妙に無駄な儀式めいた行為を殿下に施そうとしているらしいから、誰かが采配を振るっているのかもしれない。試しに2、3の提案をしてみたら、鼻で笑われた。うん、言葉より理解が早い反応ね。わたしも愛想笑いで返す。
「じゃあ、その“ご自慢の祈祷”を続けている間に、わたしは別の方法を探してみるわ」
わざと大きめの声でそう言ってみると、侍医の一人が口をとがらせた。「民間薬師ごときが何を言うか」とかいろいろ含んだ顔がわかりやすすぎる。ああ可愛いものだ。どうせ無能呼ばわりするなら、とびきり精彩のない表情でやってほしい。
思えば転生前にかじった医学知識が地味に役立つ場面が多い。けれど、わたし自身は当然それが特別すぎるとは思っていない。とりあえず熱や痛みに効果的な成分を探りつつ、殿下の病状を正しく把握すれば、それだけで一歩前進できるだろう。そんなふうに考えながら、古い医療記録が眠る書架へ足を向ける。
そこでは、いつ見ても態度が妙に上品くさいマリアンヌが、笑顔でわたしの動きを見張っているかのように片付けをしていた。彼女の一瞬低くなった声が聞こえる。
「イザベル様はね、“白き娘”の噂がお好きな方ですの。皆が驚き惑う姿は退屈を紛らわすらしいですわ」
その含みのある言い方に、ゾッとする。意図的に噂を流している匂いがプンプンだ。だが、わたしが反論しようとすると、マリアンヌは腰をかがめて「掃除が忙しくて」とかわす。こういう無言の妨害がいちばん厄介。
やむなく狭い通路を抜けて書棚の奥へ進むと、ヴィクトール・クロフォードがすっと姿を見せた。
「探しておられるのは、この辺りですか。どうぞ、ご自由に」
そう言って差し出されたのは、王宮の歴史に関わるごく古い文書。ぱらぱらとめくるうちに“白き娘”が過去に引き起こしたらしい悪夢のような事件が、断片だけ記されているのを見つけた。突然の失踪、混乱する王家、不可解な病の多発。今と似ている、と言っていいのかは判断しかねるが、ぎくりとするには十分だ。
「蒼き扉、か…」
脳内でつぶやくと、タイミングよく足音が近づいてきた。見るとアレクシス・フォン・エバーハート宰相が、ひとかたまりの書類を携えて立っている。それだけで空気が張りつめるような感覚に襲われる。
「君はどうやら何かを追っているようだが、下手に動かないほうがいい」
こっそり声を潜めて告げる目は、いつにも増して冷ややか。だが、この人がわたしを止めるときは、逆を言えば先を読んでいる証拠でもある。
「危険とわかっているなら、なおさら調べる価値がありそうですね」
ぐっとアレクシスを見返すと、彼はうっすら笑っただけで去っていった。なんの説明もないままに。
その直後、レノーラがふと身を寄せてきて、異国訛りの甘い声で囁く。
「あの方は結局、誰の味方なのかしらね?」
尋ねるより先に微笑んで去っていく彼女の背には、色とりどりの細やかな装飾が揺れていた。ちなみに、レノーラの準備している“異国式の薬膳”がちょっとした騒ぎになっているとも聞く。王太子殿下の状態を見ながら妙に落ち着き払ってるし、彼女も何やら意図がありそうだ。
ここまで煽られては、いっそ開き直るしかない。からかうように王宮を歩く風の噂も耳障りだが、そもそも“白き娘”が本当に存在するのかどうかすら疑わしい。けれど、もし仮にも病と繋がりがあるのなら、恐れている場合じゃない。一歩踏み込むなら今しかないのだ。
「よし、決めた」
わたしは意を決して、数枚の記録と薬材のリストをまとめて抱え込む。こうなったら禁制と呼ばれようが蒼き扉とやらを探し出し、その先にある秘密をこじ開けるのみ。過去の事件の再来を防ぐためなら、何だってやってやる。
最後に勇んで飛び出そうとした瞬間、床のタイルにつまづいて盛大にこけかけた。そこへ居合わせた侍女が悲鳴とも笑い声ともつかない声をあげて、「実験するには足元を見てくださいね!」と言ってくる。うん、あなたの言う通りだ。美しく突き進むには、まずつまずかないようにしなきゃね。
それでも今のわたしは普通より少しだけ高揚している。みんながこそこそ隠そうとする蒼き扉の奥に、一体何が隠れているのだろう。王太子殿下を救い出す糸口か、あるいはさらなる陰謀の展開か——そんな期待と不安が入り混じった感情が交互に押し寄せて、まるでジェットコースターじゃないか。
まあいいわ。こういうドキドキは嫌いじゃない。やけに浮足立つ自分を抑えるでもなく、わたしはつい鼻歌まじりに歩き出す。待っていろ、王宮の闇とやら。分不相応だと嘲笑うなら、どうぞご自由に。わたしは医術と知恵で、そこの秘密から何からぜんぶ暴いてみせるから。さあ、次の一手はどんな騒ぎになるだろうか。胸が高鳴って仕方ない。もう後戻りなんてする気は微塵もないのだから。




