新たなる来訪者と試練の医術試験5
やっと試験が終わったと思ったら、わたしは見事に東の医務区画に飛ばされることになった。いつもどおり「え、そこ?」と魂が抜けそうになったが、異議申し立てをする間もなく配属の辞令が来たのだから仕方ない。周囲からは「正式に医術を担う立場になれたんだから良かったね」などと祝福めいた声が飛ぶけれど、正直、喜びよりも“釈然としない”感情のほうが強い。
その日の朝。あれこれ道具を抱えて、わたしは兵や護衛官が集う東の医務区画へ足を運んだ。思った以上に広い回廊を抜けていくと、行き交う人の足音がやたらと荒々しい。ここは戦場帰りの傷病兵も受け入れる場所と聞くし、なるほど一筋縄ではいかない雰囲気らしい。
部屋の扉を開けると、まず鼻を突くのは薬草と汗、そして微妙にくすぶる酒の匂いだ。まさに「医務室」というより「野戦病院」のノリに近い。でも、今さら何を気にしても仕方ない。早速、手当の順番を知らせる木札が床に散らばっていて、奥で傷を抱えた兵士が唸り声をあげている。
「お、お前が新任か? 本当に女なのか?」
開口一番、それである。声の主は腕に包帯を巻いた年配の衛兵。こちらを頭の先から足まで舐めまわすように見てくるものだから、わたしは軽くため息をついた。いくら珍しくても、そんなにガン見しなくてもいいのに。
「はいはい。目の前にいるのは立派な女性薬師ですから、お相手してあげますよ」
ちょっと毒を混ぜて返すと、周りにいたほかの兵が「おっ、言うじゃないか」とクスクス笑い始めた。どうやら図太さを示すほうが受けが良いらしい。わざと肩を張ってみせると、低く安堵の笑いがこぼれる。
その一方で、宰相アレクシスの影がちらりと頭をよぎった。あの人の意図がどこにあるのか、まだはっきりしない。目立つ場所でわたしを活躍させるより、こういう地味なところに置くほうが都合がいいのだろうか? 疑いだすときりがないが、今はとにかく目の前で苦しむ人を助けるのが先決、というのがわたしの基本姿勢でもある。
実際、ここでは休む暇もなく治療の依頼が舞い込む。切り傷や捻挫程度ならまだいいほうで、中には肺を冒された重症の患者も担ぎ込まれてくる。おまけに従来の医師の人数が足りず、わたしは完全に即戦力扱い。男性だらけのむさ苦しい現場で指示を飛ばしていると、おもしろがって冷やかす兵もいれば、妙に敬意を抱いてくれる者も現れる。
そして空き時間を見つけては、バスティアンを見舞うのが日課となった。応急処置が功を奏したとはいえ、彼の傷は深かったようで、今は何とか安定状態を保っているところだ。アイリーンが彼の枕元で心配そうに覗き込み、「ありがとう」と片言で言ってくれるたび、わたしは「いえ、大したことをしたわけじゃないんですよ」と返している。でも、こちらの言葉が通じるかどうかは怪しい。言語の壁って予想以上に厚いものだと痛感する。
そんなこんなで慌ただしく日々を送っていると、妙に視線を感じる瞬間が増えてきた。中先刻あたりに配置されている護衛の一部が、わたしの袖口や机の中身をちらちら探っているらしい。何か手の内を探ろうとしているのか、それとも例の「女薬師ごときが調子に乗るな派」の監視か。小耳にはさんだ噂では、ここ東の医務区画にも権力闘争の影がちらついているらしい。まったく、どこに行っても宮廷は宮廷なのだと、うんざりするくらいだ。
さらに不穏なのは、エドワード王太子の病状が依然として好転しないこと。そんな話を聞きつけるたび、イザベルとマリアンヌの薄ら笑いが脳裏をかすめる。そして、文書管理官ヴィクトールが「最近、あちこちで怪しい動きがあるようですね」とさらりと教えてくるものだから、どうしても気が抜けない。
「セシリア様、ここにいる限りは安泰じゃないですからね。お気をつけください」
ひそやかにそう告げるヴィクトールは、穏やかな表情ながら声にしんとした重みを含んでいる。わたしもさすがに心がざわついた。そもそも、試験結果の書類が行方不明になったまま放置されているあたり、“まだ仕掛けが残っている”と見てもおかしくはない。
もっとも、これだけ重症者の治療が詰まっていれば、陰謀を探る余裕もあまりない。わたしが麻痺用の塗り薬を作っている最中にも隣のベッドで騒ぎが起き、急に負傷兵が暴れて点滴の道具を全部ひっくり返した。慌てながら修復したけれど、ちょっと腰が痛い。
「ったく、これが“花形医局とは正反対の地味な配属”ってわけね」
皮肉をこぼしつつ、普通なら呆れ果てるところを、なぜか心の底で「悪くないかも」と思っている自分に気づく。助けを求める人が多いぶん、やりがいは大きい。面倒な内情はともかく、治療はやっぱり楽しいのだ。
ただ、その一方で薄暗い胸騒ぎは続いている。何しろ尊い王太子の容態が一向に上向かず、誰かがたくらんでいる陰謀のほうは活発化しているっぽい。わたしを遠ざけたい勢力が次に仕掛ける一手とは一体何か。せっかく医術を認めてもらえたのに、今度こそ本当に消されるかもしれない予感すらする。
それでも後悔はない。誰かに利用されようが、妨害されようが、命を救えるならわたしはこの道を突っ走るのみ。そう覚悟を決めていると、ふとドアの外から冷たい視線を感じた。まるで遠目にわたしを計るような、刺すような気配…今まで気づかなかったが、東の医務区画にはわたし以上に怪しい住人がまだまだ潜んでいそうだ。
「さあ、次は誰が倒れて運ばれてくるのかな」
口元に苦笑をたたえながら、わたしは薬の瓶を並べ直す。
どうせ騒ぎは遠からず再燃するだろうし、来るのなら派手に来い──そう思いながら、編みかけのタイプ別薬草ノートをめくりつつ、備えを固めるのだった。




