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6 東方の庄園からの不穏な知らせ

 私が宰相アレクシスに呼び出され、宮廷の中庭を横切ったところで、やたら仰々しい溜息の声が聞こえた。背後を振り返ると、侍女たちが何か言いたそうにこちらをチラ見している。視線に混じる狼狽と期待が、正直うっとうしい。最近は亡霊騒ぎに加えて毒殺未遂だの疫病だの、どれだけスキャンダルのフルコースを味わわせるつもりなのか。私は自分の住宅街感覚で大きく伸びをし、あえて澄ました顔で薬草温室へ向かった。


温室では控えめな熱気がむわりと広がっている。蔓をのばす草花たちを眺めつつ、ほんの数秒だけ癒やしモードに浸る。——が、そんな余裕を許さないかのようにアレクシスがやって来て、私の肩を小突いた。 


「今度は東方の庄園からの報告だ。イナゴが大発生しているらしい」


ああ、今度はイナゴ問題。亡霊コンボにプラスしてバッタの蝗害だなんて、まさしく王宮恒例の“いやがらせ祭”。私は嘆きながら手近な薬草の葉をくるくると千切る。飢饉が起きれば貴族も平民も地獄絵図に突入なのに、どうにも王宮には危機感が薄い。そんなマイナス思考と愚痴が渦巻く頭をぶんぶん振って、仕事に本腰を入れる覚悟を固めた。


そこへ、すっかりおなじみのヴィクトールが、山ほどの記録書を抱えて登場。よく見れば過去の研究書らしき古い紙束も混じっているじゃない。すかさず私が目を凝らすと、彼は「旧砦で勘づかれた研究が再燃している可能性があります」とシリアス顔で囁いてくる。眉間に皺を寄せるアレクシスを横目に、私はつい「その『再燃』って言葉からして碌でもなさそうね」と皮肉ると、彼は力なくうなずいた。どうせ、またあの“フィリップ”が絡んだヤバい実験の残滓なんでしょう。いくら死人の研究とはいえ、こうも亡霊散歩が流行ると笑うしかない。


「もう一つ、これを見てください」


ヴィクトールが差し出したのは、赤と黒のイナゴが鮮明に描かれた紙。妙に迫力があり、端っこには子どものような筆跡らしき英字ではない何かが書き込まれている。聞けば、足の不自由な少女アンナが描いたものだとか。周囲で噂されるには、赤いほうが特に大量発生の兆候を示しているらしい。虫一匹に人生を左右されるなんて笑い話のはずが、実際これが大惨事への入口かと思うと、背筋がぞわつく。


「何だか腹立つわね。イナゴまで赤黒く装って“私たちを見て”とパフォーマンスしてくるなんて」


私が毒舌を零すと、そばにいた侍女が吹き出しそうに口を押さえた。アレクシスは「君のその発想が一番怖い」と呆れ顔。ほっといてほしい。 


そこへ、エドワード殿下の侍従が駆け込んできて「殿下が“もし万一に備えて毒見役がほしい”と訴えている」と告げた。騒ぎに騒ぎを重ねてくる宮廷の様式美に、私だって多少は慣れたが、ここにきてさらに付け足される“ちょっとした不安”の一言が、私の神経をあっさり踏みにじる。


「殿下が毒見を私に依頼してくるって何なのよ、貴族医師は山ほどいるでしょうに。……ああ、もう面倒くさい」


アレクシスは唇の端をきゅっと吊り上げる。「仕方がない。君が有能だって評判が回ってるから」。——持ち上げないでほしい。自覚はないし、好感度が上がると余計な求婚者が増える。とにかく私は、イナゴと旧砦と主君の健康を同時に追わねばならないらしい。 


「おっと、私なら三つ同時進行でもいけるけど、給料は三倍もらったっていいのよ?」


冗談半分で言えば、宰相は皮肉気味に「あとで検討してやろう」と囁く。こういうときに限って彼の顔がやたら近いのは、やめてほしい。見透かすような瞳で“借りを作りたくないなら、働け”と言われる気分。おまけに奥の方でイザベル妃が臣下を呼びつけて何か画策しているとか、マリアンヌの姿が見当たらないだとか、不穏な影がちらちら漂う。——本当にもう、軽快なコメディにすらならない混沌ぶりに頭痛が増すばかりだ。 


隐れてため息をつくと、ヴィクトールがふっと静かな声で続ける。「東方の農地被害はすでに広範囲です。飢饉の恐れもありますから、王都でパニックが起きる前に何とかしないと……」彼の語尾が小さく震え、私も自然に背筋が伸びた。泣き言はいったん後回し。ここはさっさと現場の情報を集めようと決心した。


「私が原因解明してやるから、もうちょい踏ん張って。……ところで、その旧砦の研究書はどれくらい手に入ってるの?」


「まだほんの断片です。第三巻が行方知れずで……」


なるほど、行方不明の研究資料か。嫌な予感しかしない。隣でアレクシスが冷徹に笑みを浮かべ、「そいつを握った人物こそ最大の得をするってわけだ」と評する。陰謀まみれの王宮には、そういう“最強の札”を欲しがる連中がいて当然。 


私は意を決して、アンナと話してみることにした。赤いイナゴの特徴や、砦の話をどうやって知ったのかなどを聞き出すためだ。どこかでフィリップの亡霊——いえ、生々しい悪意の残響との繋がりを見つけられるかもしれない。何せ、今回の蝗害はただの自然災害じゃ済まない気がするのだから。


「じゃあ行ってくるわ。ついでに殿下の病状も診断しておく」


言い捨てて腰を上げる私に、アレクシスがどこか嬉しそうに「手助けしよう」と近づいてきたので、私はとっさに手を挙げて制止した。


「大丈夫。あなたがついてきたら色恋沙汰が濃厚になるから遠慮して。みんなの色欲を煽りたくないの」


思わず毒舌が漏れると、背後で侍女たちがぷっと吹き出す。ああもう、こういうくだらない笑いが起爆剤になって、また変な噂を横行させるんだろうな。でも、踏み込んだら後戻りはできない。その覚悟だけは決めておく。 

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