新たなる来訪者と試練の医術試験1
バスティアンが落馬して担ぎ込まれた、とんでもない状況に巻き込まれたのは、わたしが王宮の中庭をしれっと横切っているときのことだった。
「おい、誰か! 早く医師を──」
兵士たちが必死の形相で叫んでいるのを見かけ、わたしは半ば反射的に駆け寄ってしまった。重傷を負った騎士の周りを取り囲む貴族たちの視線は冷たくて、「なぜこの場に女薬師がいる?」とでも言いたげだったけれど、そういうときの無駄口には慣れている。彼らを無視し、バスティアンの脈と瞳孔の状態を急ぎ確認した。肋骨あたりを痛めている様子で、放っておけば命にかかわる可能性がある。
「時間がありません、押さえててください」
短くそう告げると、彼の呼吸を確保するために上着を裂き、折れた箇所を最小限の力で固定する。こういう作業は好きでやってるわけじゃないけれど、放っておけない性質だから仕方がない。
そのうち兵士の一人が「あ、あんた、何者だ?」と訊いてきたが、わたしは「宮廷薬師ですよー」とだけ言い捨て、応急処置を優先した。どうも女が“医師もどき”の真似をしている、と不満げな顔をしているようだ。だが、バスティアンの苦しそうな呻き声が低く響くのを聞くと、さすがに貴族連中も何も言わなくなった。
「的確な処置ですね、セシリア」
いつの間にか宰相アレクシスがやってきて、例の涼しげな声で誉めるのかからかうのか微妙なトーンで言う。彼が油断なく周囲を見回す仕草をしているのを見ると、きっとまた何か企み中なのだろう。それにしてもこの人、いつどこでわたしが何をしていても立ち会っている気がするのはなぜ。
「あなた…いつもタイミング良すぎません? まさか落馬まで画策したわけじゃないでしょうね」
「残念だが、そんなまどろっこしい手は使わん。運の悪さは彼の才能だろう」
相変わらず毒舌が鋭い。しかも宰相としての眼光が冷酷そうで面白い。本人はまったく意識していないに違いないけれど。
とはいえ、バスティアンの手当てが落ち着いたところにかけつけた王太子エドワードは、彼の無事を確認すると深いため息をついた。
「よかった、セシリアがいてくれて…ほんとに助かった」
純粋そうな表情を浮かべてホッとする殿下。こういう素直さはまぶしい。思わず「いえ、まだ安心できる状態じゃないんですよ」と厳しめに釘を刺したくなるが、せっかくの安堵をぶち壊してはかわいそうだ。
そのころ、後ろで「なんということ、彼女のような存在が堂々と治療行為を…」と眉をひそめる人影がいた。王の側妃イザベルと、その後ろに控える侍女マリアンヌだ。彼女らはわざとらしくか細いため息をつきながら、わたしに探るような視線を注ぐ。
「セシリア様でしたかしら? 女薬師が正式な手続きを踏まずに治療を行うなんて…ご存じありませんこと?」
「そうよ。いくら王宮だからって、無資格治療なんて認められるわけないわ」
にこやかな微笑みなのに、その瞳はまるで劇毒植物のようにじっとりと黒い。
「わたしも名を上げたいわけではないんです。ただ見過ごせなかっただけ」
そう答えると、イザベルは口元に手を添えて、クスリと笑った。「ふふ、謙虚ですこと」と言い捨て、ひらりと踵を返して去っていく。いつにも増して感じ悪い。マリアンヌも上目遣いのまま、何やら不穏なほほ笑みを浮かべてついていった。
治療する人間が女かどうかで何が変わるのだ、と突っ込みたい気持ちをぐっと押さえ、わたしはバスティアンを休ませる部屋へ急いで運んでもらう。貴族たちの陰口が耳に刺さるようで、正直うんざりしてしまう。
すると、今回の護衛相手だった后妃候補アイリーン・メリディアが、取り乱したまま駆け寄ってきた。目は大きく潤んでいて、不安という文字がそのまま顔に描かれているかのようだ。
「バスティアンがこんな目に…! 私、どうすれば…」
彼女は異国から嫁ぐために来たばかりで、この宮廷の雰囲気に明らかに馴染めていない。わたしはそっと肩に手を置いた。
「心配しなくて大丈夫です。いま最善を尽くしていますから」
アイリーンはわたしの言葉に安堵したらしく、その場でしゃがみこみそうになった。目元をぬぐいながら「ありがとうございます…本当に」と繰り返す。その儚げな姿は、周囲から見れば“守ってあげたい”オーラ全開だろう。但し、この宮廷でそれが通じる人がどれほどいるのか。
宰相アレクシスはそんなアイリーンを横目で眺めながら、意味深に小声で言う。
「上辺の同情くらいは集められるだろうが、この宮廷で孤立しないかどうかは、彼女次第だな」
「よくそんな冷たい分析ができるもんです。情のかけらもない」
「無論、彼女をどうするかは私の役目でもある。…ただし、セシリア、お前ももう少し周りを利用しろ。要らぬ火の粉の浴び方はするなよ」
軽く諭すような口調には、妙に優しさをにじませている気がするのは気のせいか。まあ、アレクシス独特の“保護”意識なのかもしれない。
バスティアンは幸い命に別状はなさそうで、しばらく安静にすれば回復する見込みがある。それを耳にした兵士たちのホッとした表情が印象的だが、同時に「女性薬師に助けられたのか…?」と戸惑った様子でもある。わかりやすい葛藤ね。
その夜、わたしはヴィクトールに呼び出された。例によって文書管理官室には書類が山積みで、「セシリアさんは面白い騒ぎを起こしますね」と冗談めかしてくる彼の声がやけにのんびりしている。
「わたしが好きで騒ぎを起こしてるわけじゃないんですよ。たまたま倒れている人を見過ごさなかっただけです」
「ええ、存じてます。けれども、その才能と捨て身の優しさが、ここでは目立ちすぎるんですよ。ほら、貴族医師たちが黙っていませんからね」
ヴィクトールは穏やかな笑みを浮かべ、「次はセシリアさんを正式に医師資格へ誘導する流れが生まれそうだ」と言う。
わたしは思わず息をのんだ。そんな試験を受けるには、貴族の後ろ盾と厳しい筆記・実技に合格する必要がある。まさか、この状況を仕組んだのはアレクシスかもしれない。あの冷血宰相、わたしにとんでもない試練を押し付ける気満々なのだろうか。
「女薬師に正式な資格なんてあり得ない、と騒ぐ人もいますしね。興味深い展開になりそうです」
ヴィクトールの言葉には皮肉混じりの面白がりがあって、わたしは額に手を当てて深い嘆息をつく。頭が痛くなりそうだ。
けれど、バスティアンが救われた現場を目撃した者は多い。アイリーンの護衛官を助けた“実績”を利用すれば、あるいは道が開けるかもしれない。わたしはその可能性にすがる一方で、妙な圧力をかけてくる貴族どもやイザベル一派の妨害が絶対にあるだろうと腹をくくる。
わたしはそれから幾度も深呼吸をして、決意を固める。この宮廷の古い慣習にも、理不尽な風潮にも負けるつもりはない。覚悟を決めたら、あとは前に進むだけ。アレクシスやエドワードはどんな策を巡らせるのだろう、イザベルはどんな手段で揺さぶろうとするのか。日々、息もつかせぬ波乱が起こりそうで、正直ワクワクしている自分がいる。
──誰が笑って、誰が泣くのか。
けれど、毒針みたいな陰謀もきっと大量に潜んでいるはず。
この騒ぎが、単なる落馬事故だけで終わるわけがない。
「仕方ない、受けて立ちましょうか。この女薬師、喜んで騒ぎを引き受けますよ」
わたしは一人つぶやき、部屋を出た。
さて、明日から始まる新しい嵐を思うと、胸の奥がざわつく。
でもその一方で、奇妙な高揚感が湧き上がるのはなぜだろう。
どれだけ厄介ごとが振ってきても、やるべきことはいつだってひとつ。
なにせ、医術の道こそがわたしの天職なのだから。
もっとも、わたし自身は“有能”なんてたかが知れてると思っているけれど。
じわじわ寄ってくる貴族どもの妨害やら、アレクシスの策略やら、エドワードの真っ直ぐすぎる情熱やら、イザベルの飄々とした毒気やらを、きっと同時にさばく羽目になるだろう。
わたしは思わず苦笑いを浮かべながら、そのすべてを引き受ける覚悟を固めていた。




