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影を運ぶ雨の調べ5

シャルロッテが遠隔地の館に押し込められたという報せが届いてから、王宮の空気は微妙に変わった。特に侍女連中がこそこそと噂話を交わすときの目は、まるで亡霊でも見ているかのように怯えている。

わたしはその有様をちらりと横目で見ながら、例の男――毒キノコにやられた患者の寝台に向かう。今日は少し顔色が良いみたいで、うっすら目も開けている。少しでも話が聞ければと思うのに、なんだか心ここにあらずといった表情だ。


「セシリア、すまないが手伝ってくれ」

唐突に肩を叩かれ振り向くと、宰相アレクシスが例の冷ややかな声で呼びかけてきた。こちらは声に応えようとした瞬間、彼の鼻先に世にも珍しい種類の薬草の香りを思い切り噴射してしまい、アレクシスが「…くっ」とわずかにむせる。


「ごめんなさい、タイミング悪かったですね?」

「おかげで鼻の奥がツンとする…まったく。まあいい、例の木箱について動きがあった。王立図書館を探り直したが必要な文献が消えていたんだ」

「消えてた…? 誰がそんな真似を」

「あの手合いには心当たりがある。だが証拠がハッキリしない以上、断定はできん」

アレクシスは言葉少なにそう付け加える。眉間に深い皺を寄せる彼の横顔は、相変わらずツンと澄ましたイケメンだが、何かに追われているような焦燥感が混じっている気がした。


そのとき、文書管理官のヴィクトールがひょこっと顔を出した。

「消えた文献は禁忌関連の章だったらしくてね。白銀の髪と紅い瞳にまつわる記述が、実はそこに載っていた可能性があるんですよ」

「じゃあ誰かが先に持ち去った、と。うわあ、うっとうしさ爆増って感じ」

つい本音が漏れてしまうけれど、ヴィクトールはクスリと笑うだけで否定しない。彼は表情こそ穏やかだが、腹の底では情報収集に燃えているタイプだ。そういう人がこうも苦戦しているあたり、今回の陰謀がどれだけ根深いかわかろうというもの。


一方で、王太子エドワードが珍しく忙しそうな面持ちで現れた。顔色もいまいちだが、それ以上に目の奥にある意志がはっきりしているので、いつもより凛として見える。

「セシリア、僕にも協力させてくれないか。シャルロッテのことがずっと気になっているんだ。妙に閉じ込められたままで、館に派遣された侍女たちがやけに怯えていて…何かあるのは間違いないよ」

「では殿下も一緒に、館の情報を追うんですね」

「うん。正直、体はあまり強くないけれど、何もしなければ後悔しそうで」


その独特の純粋さと決意は、わたしにはまぶしすぎるほどだ。ある意味アレクシスより厄介かもしれない。何せ真っ直ぐすぎて、危険に首を突っ込まないかヒヤヒヤして仕方ないのだ。


そこへさらに、イザベルとマリアンヌが「新しい報告書が届きましたわ」と、上品そうな仕草で近づいてくる。但し、目つきがどうも胡散臭い。

「セシリア様、あの件は大した問題ではなくなりましたわ。記録が見当たらないのは一部管理ミスですって。ご安心くださいな」

「ええ、そうなんです。きっと早とちりでは?」

彼女らのにこやかな口調を聞くと、こちらの裏を取る前に全て情報を握りつぶしてやる、とでも言わんばかりの危うさが漂う。アレクシスが冷やかな視線を送るのも無理はないだろう。


わたしは適当な相槌を返して、すぐに毒キノコ男のベッド脇へ戻った。彼は先ほどより呼吸が落ち着いていて、頭をもたげる仕草も見せる。もう少しで会話ができるかもしれない――と思った矢先、かすれた声で「し…テ…くれ…」と呟くのが聞こえた。


「大丈夫です、焦らずゆっくり…」

思わず優しく声をかけると、男の瞳がわたしを一瞬だけ正面から見据える。続いて、かすかに唇を震わせながら「…禁忌が、ついに…あの箱は…」と言い淀んだ。


その言葉に、周囲で控えていたヴィクトールが軽く眉を上げるし、アレクシスは「やはり」と片方の拳を固める。エドワードも息を呑むようにして男を見守った。

だけど、男は急激に体力を使い果たしたように再びぐったりと沈黙してしまった。


「危ない、もう少しで教えてくれそうだったのに!」

内心で叫びたくなるが、ここで彼を揺さぶっても危険が増すだけ。わたしは慎重に脈を確認しつつ、そっと冷たいタオルを当てる。医師としてはギリギリの状態だけれど、なんとしてでも彼から真相を聞きだしたい。腹立たしいほど焦りを抑えられない。


そんなわたしの心境を察したのか、アレクシスがポンと肩を叩いてきた。

「いずれにせよ、彼の命綱はお前が握っている。焦らず、だが確実に情報を引き出せ。私も動く」

「あなた、いつも上から目線で指示しますよね。もうちょっと可愛い感じになりませんか?」

「…口の減らない奴だな」

冷ややかな笑みを乗せた彼の言葉に思わずプッと吹き出しそうになる。それでもそのやり取りが妙に落ち着くのだから、不思議な関係だ。


そこへヴィクトールが再び近づき、声を落として言う。

「屋敷で禁忌研究の資料を漁っている者がいるという噂を、密かに手に入れました。しかも何か、白銀と紅い瞳にかかわる記録までも…」

「つまりその屋敷って、シャルロッテがいる館も関係してくる?」

「可能性は高いです。すでに管理官の部下を潜り込ませてはいますが、何しろ相手が手強いようで」

やれやれ、また面倒ごとが増えた。勝手に調べて勝手に報告してくれたら早いのに、相手もプロ級なのか証拠をきれいに隠してしまうらしい。


そうこうしているうちに、重たく垂れこめていた雨雲がようやく引き始め、外には久しぶりに柔らかな光が差し込んできた。長雨がやっと終わったのに、この胸の中のもやもやはどこにも行かない。陰謀という名の暗い霧は、まだここから不意に黒い牙をむきそうだ。


「シャルロッテを出し抜いて、禁忌との繋がりを探る奴がいるのか…あるいはイザベル一派が仕掛けたのか。これは絶対に事件の匂いがする」

咄嗟にそう呟くと、エドワードが小さく頷いた。

「今はまだ小さな光しか見えないけれど、きっと解き明かせると僕は信じてる。セシリア、僕も何かできることがあればいいんだけど…」

「期待してます、殿下。身体を無理しない程度に手伝ってくださいね」


王宮全体が、雨上がりの湿った空気の中でざわつき始めている。ここからどう転ぶのか、誰が笑い、誰が泣くのか。

わたしは意識不明の男を見下ろしながら、ごくりと唾を飲んだ。


「禁忌の研究、白銀の髪、紅い瞳――全部まとめて暴いてやる。

そしてシャルロッテの軟禁先で何が起きているのかも、絶対に見逃さないんだから」


雨はようやく止んだけど、その分だけ闇がくっきり浮かび上がっていくようだった。

わたしは焼けるように熱い胸の鼓動を感じながら、次なる一手に思いを巡らせる。

大丈夫、こういう追い詰められ方には不思議と慣れっこだ。

自分の有能さなんて全然わかってないけれど、この先のドロドロにどっぷり浸かる覚悟だけはある。


――さあ、ここからが面白くなる。

どんな陰謀でも解体してみせるし、禁忌だって克服しちゃう。

わたしの指先は、また新しい薬調合の準備を始めていた。まるで次の波乱を待ち受けるかのように。

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