影を運ぶ雨の調べ3
毒キノコで倒れた男は、ベッドの上で震えながらまた同じ言葉を呟いていた。「白銀の…髪…紅い瞳…」と。聞いたところで何もわからないのに、これだけ繰り返されると不気味さが倍増する。
わたしは枯れ気味のハーブを煎じた湯を男の口元へ近づけてみた。中世ヨーロッパ風といえど、毒で臓腑をやられた場合は知恵と経験が頼りだ。ほんの少量ずつ飲ませると、その男はいっとき恍惚とした表情になり、再びうわ言のように呟いた。
「……紅い瞳が…すぐそこに…」
ひょっとして、その“白銀の髪”の女性も毒を扱う人物なのか。それとも、まったく別の厄介事だろうか。胸の奥を落ち着かせようとするたびに、新たな不吉がせせり寄ってくる気がしてたまらない。
そうこうしていると、侍女がバタバタと走り込んできた。大きめのバンダナがずり落ちかけていて若干ワチャワチャしている。
「せ、セシリア様、大変です。シャルロッテ様の護衛隊が襲撃されたとの報せが王宮に!」
「はあ、また襲撃ですか? しかも今度はシャルロッテさまですって?」
王宮には長雨だけでもうんざりしている人が多いのに、どれだけ混乱に拍車をかければ気が済むのか。護衛のほとんどが謎の睡眠薬で眠らされた挙句、“重い木箱”を狙われたというから、聞いているだけで胃が痛い。男の看病どころじゃないが、わたしの職分を放り投げるわけにはいかない。
すると部屋の奥から宰相アレクシスが現れ、鋭い視線をめぐらせた。彼は失踪した管理官の捜索を指示しているらしく、夜な夜な部下をこき使っているらしい。しかしやつれた様子をまったく見せないのはさすがの一言だ。
「セシリア、そちらの男の容体は?」
「まだ危篤ギリギリです。でも一時よりは少し持ち直しました。『白銀の髪に紅い瞳』を呟くばかりで会話にはならないんですが」
「そうか……白銀の髪、ね。手がかりになりそうだ。何かあったら即知らせろ」
相変わらずアレクシスは鋭いが、その声にはわたしへ寄せる一種の信頼が混じっているような気がする。本人は絶対に認めなさそうだけど。
そこへやって来た王太子エドワードも、じりじりと苛立ちを隠せない様子。「管理官が行方知れずのままなのに、シャルロッテまで狙われた。何をどう疑えばいいのかさっぱりだよ」と弱音を吐く。文書管理官ヴィクトールも「僕の資料までイザベル殿下の侍女に横取りされましてね」と皮肉っぽく笑う。情報をかき回しているのは、どうやらあちら側の一派らしい。
ならばこちらも負けるわけにはいかない。毒キノコの件を調べるため、わたしは密かに城下町へ出た。ある古い文献を扱う薬師の家があったはずだが、いざ辿り着こうとした瞬間、路地裏からひょいと現れた見知らぬ男たちによって進路をふさがれる。
「お嬢さん、珍しい時間に散歩かい?」
「あいにく職務中。怪しまれる前にどいてくださらない?」
わざとらしく回り道を強要され、さらに嫌がらせのような柵まで見せつけられる。まったく、わたしは宮廷薬師。こんなどろんこ道で立ち往生してる暇はないのだが、どうにも足止めを食らってしまう。明らかに“不自然”な妨害が入っているとしか思えない。
結局、街で資料を得ることは難しく、後日もう一度出直すしかない。宮廷に戻ると、雨の臭いが染みついた廊下で侍女や兵士たちが暗い顔をしている。長雨による鬱々とした空気も手伝って、妙な噂ばかり増殖しているらしい。連日の陰謀話で庶民まで神経を張り詰めているというのだからたまらない。
そんな中、毒キノコ男はようやく小康状態に入りつつあった。彼の発熱が下がれば、詳しい話も聞けるかもしれない。ひょっとすると“白銀の髪に紅い瞳”の女が今回の襲撃に絡んでいるのだろうか。あるいは箱が運んでいた“何か”との接点があるのか。頭の中で幾通りもの推測が巡っては消え、眠気はおろか食欲すらどこかへ行ってしまう。
アレクシスがこぼした「箱の中身を解明すれば、一気に局面が開けるだろう」という言葉が、どうしても頭から離れない。そんなわたしの様子を察したのか、ヴィクトールが気遣うように近づいてくる。
「セシリア様、少し休んでください。さすがにお疲れでは?」
「大丈夫。こう見えて体力には多少の自信があるんです」
本当はしんどいが、ここで倒れるわけにはいかない。敵は見えないところで狙いを定めているはずだ。今さら弱音を吐いたら自分が許せない。
そんなこんなで翌朝、毒キノコ男が薄目を開いたという報せが舞い込む。まだ言葉がはっきりしないけれど、「卵のような肌」「赤い火花みたいな瞳」という断片的な表現を漏らしたそうだ。まるで幻想の怪物でも見たかのように、うわごとを重ねる姿に背筋が寒くなる。けれど、このかすかな糸口を逃すわけにはいかない。
シャルロッテ護衛隊から奪われそうになった重い木箱、睡眠薬による襲撃、そして白銀の髪と紅い瞳を持つ謎の女性——。すべてが一つの線で繫がっている予感がする。わたしはアレクシスに報告し、今こそ形勢を逆転する手段を探るしかないと決心した。
「どうやら敵はとんでもない切り札を隠しているようね。だけど、じわじわ追い詰めてやるわ。我慢の限界を超えたら最後、こっちも容赦しないから」
毒舌すれすれの独り言を口にしたとき、たまたま通りかかった王太子がギョッとした顔をしたけれど、今は気にしていられない。追い詰められたまま逃げ腰になるなんて、わたしの流儀に反する。
長雨の中、非常灯のような小さな光が見え始めている。次こそは決定的な証拠を握って、あの箱の秘密を白日のもとにさらしてやるのだ。暗幕のように続く雨雲を払いのけるために、わたしは薬師として、もうひと押し踏み込む覚悟を固めた。
そして不思議な胸騒ぎに煽られながら、廊下を駆ける足を速める。今度こそ――ほんの些細な手がかりでもいい。敵の影を炙り出し、真相を暴く時が来たと信じて。




