影を運ぶ雨の調べ1
長雨の音が、まるで王都そのものを押し沈めているかのように思える。道は泥だらけ、空気はどんより湿り気たっぷり。いやでも気分が滅入りそうなところに、わたしはひょっこりと王宮へ戻ってきた。
「セシリア様、お戻りとは」
文書管理官ヴィクトールが珍しく笑みを浮かべて近づいてくる。わたしは薬箱を抱えつつ、ばしゃばしゃと跳ねる水たまりを避けてやっとの思いで玄関ホールへ駆け込んだ。すると彼が低い声で囁く。
「少々不穏ですよ。古い管理官の行方がわからないそうです。噂によれば、荷馬車に関係しているとか」
「荷馬車?」
聞き返してもヴィクトールは曖昧に首を振るばかり。もったいぶった態度にも思わず「何そのイジワル」と毒づきたくなったが、彼が普段からわたしを助けてくれているのは事実だ。つい先ほども「やはりセシリア様は有能ですね」と大声で言われて、大混乱しそうになったばかり。ほんと、そういう評判増やさないでほしいのに。
視線を上げれば、宰相アレクシス・フォン・エバーハルトがこちらを見据えている。涼しげな表情なのに、その背後からはまるで誰かを威圧するオーラが滲み出ているのがわかる。彼と目が合うと、ひそやかに指先を動かし合図してきた。要するに「後ほど来い、話がある」というわけね。長雨が作り出す薄暗い廊下を抜け、わたしは彼の執務室へ向かった。
「セシリア、戻ったばかりですまないが、また面倒なことが起きている」
机の上には山積みの書類。アレクシスがため息まじりに続ける。
「古い管理官が“謎の荷馬車”を最後に姿を消した。王太子殿下も心配されているが、そちらはイザベル殿下が『大げさに騒ぐほどではないわ』と言い張っていてな」
「あの側妃殿下の鶴の一声ですか。ご立派ですね」
若干皮肉っぽく返すと、アレクシスの眉がぴくりと動いた。あまり余計なことを言うと火に油を注ぐので、ここは素直に口を閉じる。そしてちらりと視線を落としてみると、彼がふと苦笑混じりに呟いた。
「お前なら何か妙に気づくんじゃないか、と思ってな。実際、医術の才は……あまり吹聴するなと前に言われたが」
「そ、それ以上おっしゃらないでください」
わたしは慌てて両手を振る。何度も言うようだけれど、自分の能力を誇示するつもりはまったくない。おとなしく薬師−兼毒見役をこなしていたいのに、やたら注目されるせいで胃が痛いのだ。
そこへ突然、扉を開けてマリアンヌ・ルグランが姿を現す。イザベル殿下の腹心の侍女だと有名だが、その優雅な微笑みは正直言って信用ならない。いつもどこかで秘密をかぎ回り、都合の悪い証拠を握り潰している噂は宮中に蔓延している。
「まあ、皆さま、こんな雨の中でもお元気で何より。私もお手伝いできることがあれば喜んで」
「ご親切にどうも。ところで行方不明の管理官は、ご存じありませんか?」
わたしが率直に尋ねると、彼女はスルリと笑ってかわした。
「さあ、わたくしは侍女にすぎません。権力争いなんて場違いなものですよ」
その白々しさには思わず吹き出しそうになったが、アレクシスが目で「やめておけ」と制してくる。マリアンヌは無邪気な顔で一礼し、さっさと執務室を出ていった。
「彼女、絶対何か知ってますよね」
「間違いないが、まだ証拠がない。焦るな……それより問題の荷馬車だ。王太子が『馬車の底板に奇妙な仕掛けがあった』と耳にしたそうだが、詳細は不明で、誰も見ていない」
アレクシスの言葉に胸がざわつく。長雨のせいで薬草は集まらないし、失踪騒ぎまで起きて、さらにイザベル殿下の影がちらつくとか勘弁してほしい。でも、王太子エドワードは優しく穏やかな青年だ。あの方が困っているなら黙って見過ごせない。
ちょうどそのとき、エドワード本人から侍従が使いを寄こしてきた。「荷馬車を直接見たいが、誰か信用できる人を連れて行くように」とのことだ。後宮内でも雨漏りがひどいというし、機密の調査など到底落ち着いてやれる状況じゃないのだろう。
「アレクシス様、わたしに行かせてください」
思わず申し出ると、彼はわずかに目を丸くした。そしてすぐ、まるで思いついたかのように薄い笑みを浮かべる。
「そうだな。確かにお前なら何か見抜けるかもしれない。だが、くれぐれも無茶はするな。あの雨のせいで視界も足場も悪い」
そうして迎えた夜、わたしは宮廷の裏手に停め置かれた例の荷馬車とやらを目にした。車輪は泥まみれ。軋む扉を開けた途端、むわりと湿気が押し寄せる。意外にも中は空っぽに見えるが……これはやはり怪しい。床板をそっと叩くと、中が空洞になっているような音がする。
「やっぱり、床下に隠しスペースがあるんじゃないの」
口に出してから、いきなり背後に人の気配を感じて振り向く。そこにはヴィクトールが、濡れたフードを脱ぎながら佇んでいた。
「セシリア様、調べたいならお手伝いしますよ。雨で書類仕事も大半が滞ってますし」
「ありがとう。でもあんまり騒ぎ立てると、余計に敵が増えるわよ?」
「大丈夫です。僕はただの“地味な役職”ですから」
彼の微笑みに少し助けられながら、わたしは馬車の底板を注意深くこじ開ける。すると、確かに大きな隙間があって、薄紙と土埃の混じったような妙なにおいが漂ってきた。いったい何が入れられていたのだろう。
嫌な予感がする。もしこれが毒物や禁制の品だとしたら、行方不明の管理官はそれを知ってしまい、口封じされたのでは? そう思うと、ぞくりと背筋が凍る。王妃に続き、今度は管理官が犠牲に? とてもシャレにならない。
激しく降り続く雨が、薄暗い夜空をさらに重苦しく染め上げている。ヴィクトールと顔を見合わせ、あちらもわずかに眉をひそめているようだ。
「セシリア様……これは、相当大きな陰謀ですよ」
「まあね……でもどんな陰謀でも、暴いてしまえばこっちの勝ちでしょ?」
理不尽な裏工作を放置できるほど、わたしは自分を鈍感だと思っていない。誰よりも先に証拠を見つけ出してやる。それがわたしの性分であり、なぜか周囲には“有能”と評される原因の一つでもあるのだろう。面倒極まりないけど、ここで引き下がったら後悔必至。
ポタポタと木箱から滴る雨粒を指で受けながら、わたしは決意を新たにする。明日になれば、もっと大騒ぎになりそうな気配は十分。だけど今はまだ助走段階──ここから一気に駆け上がった先、待っているのは嵐か、それとも光か。
──間違いなく、ただでは終わりそうにない。だが毒だろうが陰謀だろうが、受けて立つしかないわたしたちに逃げ道はないのだから。よし、やるしかない。もうこうなったら誰がなんと言おうと、王太子も管理官も、その命ごと徹底的に守ってやるから覚悟して。わたしは、大雨の中で密やかに、その想いを深く刻み込んだ。




